記録の中の幻獣たち
本書はタイトルにあるとおり、河童や鬼や人魚や天狗など、「幻獣」と呼ぶべき不可思議な生物たちを、図版とともに紹介した書物です。特徴的なのは、その「図版」の多くが、決して新しいものではないことでしょう。
図版のほとんどは、江戸時代または明治時代の瓦版、錦絵、妖怪本、記事、絵葉書などからとられています。すなわち、本書はなにより「当時の人はどのように幻獣を見ていたのか」を解き明かすことを眼目としているのです。
一八世紀末の寛政一一(一七九九)年、『絵本黄昏草(たそがれぐさ)』と題された五巻本が刊行された。各地に伝わる奇談を絵を交えて紹介したものだ。題名に使われている「黄昏」は暗くなりかかり、人の顔が見分けにくくなって「誰(た)そ、彼は」との問いかけが語源といわれている。やがてやってくる闇の世界を前に、ふと気がつくと異界への入り口がポッカリと穴を開け、その中を覗き見てしまうような不思議な時間帯とでもいったらよいのだろうか。
悲しむべきことに、わたしたちの多くは(都市生活者の多くは)、「誰そ、彼は」と問いかけるような機会を失っています。都会に住んでいれば、人の顔が見分けづらいことなどほとんどありません。夕方だろうが夜だろうが、相手の顔は昼間と同じように「見える」のです。幻獣があらわれなくなった要因のひとつは、そういう時間帯がなくなったことに求めることができるでしょう。本書の魅力のひとつは、記録をふりかえることで、失われかけたセンス・オブ・ワンダーをかき立ててくれることにあります。
アマビエはどうしてヘタなのか
本書は、2005年に河出書房新社から出版された同名の書籍の復刻です。
講談社学術文庫で復刊されるまでの18年間で、本書に取り上げられた幻獣の中で一種だけ、影響力や知名度が大きく変わった生物があります。アマビエです。
『肥後国海中の怪(アマビエの図)』(京都大学附属図書館所蔵)
アマビエは、本書の原著がリリースされるまで、「知る人ぞ知る」存在でした。
彼(彼女)がはじめて描かれたのは江戸時代の肥後国(熊本県)で配布された瓦版ですが、戦前に描かれたのはこれ一度きりしかありません。その後幾度か江戸期の瓦版などを集めたコレクションのひとつとして紹介されたこともあったようですが、知っている人はほとんどありませんでした。なにしろ、アマビエには類例がないのです。河童や鬼の伝承は日本全国いたるところにあり、それゆえに多くの人の認知するところとなっていますが、アマビエはそういう存在ではありませんでした。
しかし、現在ではこの幻獣の絵を見たことがない人はほとんどいないでしょう。
新型コロナウィルス感染症が世界的な流行となったとき、誰がはじめたか「アマビエチャレンジ」と題して、彼(彼女)の姿を描いたりキャラクターにしたりしてSNSで披瀝するのが大流行しました。著名なイラストレーターの参加もあり、アマビエは全国的な知名度をもつ存在になります。ネットばかりでなく、テレビや街角でも見かけることも多くなりました。やがて、厚生労働省がアプリCOCOAのメインイラストとして取り上げるに至り、アマビエは国にさえ後押しされる存在になったのです。
それにしても――そう感じた人は多いはずです――なんてヘタクソなイラストでしょうか。立体感も陰影もまったくありません。思わずラクガキかよとツッコミを入れてしまうほどです。
上述したとおり、このイラストは瓦版に掲載されたのが初出ですが、部数にかぎりがあるとはいえ、もうすこしマトモな絵師に描かせることもできたではずです。つまり、このヘタさは「わざと」演出されたものです。
じつは、「ヘタな絵」であることがアマビエの性格を表しています。
予言獣としてのアマビエ
アマビエが肥後の瓦版に掲載されたとき、そこには次のような意味の文言が付されていました。
「これから病が流行するだろう。それを食い止めるために、私の姿を絵にして広めなさい」
文字の読めない人が多かったことも関係しているのでしょう。アマビエはその姿を絵にして描きうつすことを求めました。アマビエが新型コロナウィルス感染症の流行とともに有名になっていったこと、それを描くことが広がっていったことは、彼(彼女)がそのはじまりから備えていた性質だったのです。病の流行を食い止めるために、絵姿を描く必要があるもの。アマビエはそういう獣として造形されました。
この特徴は、類例がない珍奇な獣であったアマビエの正体をつきとめることにも貢献しました。「アマビエ」と呼ばれる獣がなぜ他にはいないのか? 本書はその謎に明確な回答を与えることに成功しています。重要なのは三本足であることでも髪が長いことでもありません。絵心ない者が絵姿を描くために必要なのは何か、ということだったのです。
本書はアマビエを「予言獣」であるとしたうえで、次のように述べています。
予言獣は人間とコミュニケーションをとる幻獣としてきわめてユニークな存在で、予言獣を調べることは幻獣の本質を知るうえで大きな意義を有すると思われる。それは、そこに社会状況が浮き彫りにされているからであり、予言獣を通して父祖たちの声なき声に耳を傾けることができるからなのである。
アマビエが社会状況を反映した予言獣としてふるまう様子は、瓦版を見た肥後の人たちよりも、わたしたちが強く実感していることでしょう。そんな感慨を抱けるのも、本書の重要な特徴のひとつになっています。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/