長野県と群馬県の境にある活火山、浅間山。さかのぼること240年前、江戸時代も半ばを過ぎた天明3年7月8日(新暦では1783年8月5日)、世に言う“天明の大噴火”は起こった。
本書はその未曽有の大災害の一部始終を、各種資料をもとに振り返り、検証し、消滅した村の発掘作業も加えて記録した貴重な1冊である。約200ページというコンパクトサイズだが、書かれている内容はとてつもなく巨大で、恐ろしい。
浅間山の火口から立ち上る噴煙は、草津温泉の湯治客には風流に見えたほどの日常的光景だった。しかし、天明3年の4月8日(9日という説もある)に起きた噴火を境に、山は異変を見せ始める。最初はおそらく中規模程度のものだったが、以降ひと月ごとに噴火が繰り返され、不穏な鳴動は遠く他県にまで響き渡った。周辺には降石・降灰が続き、その中には白毛(マグマの飛沫が地上で急激に冷やされ、繊維状のガラスになったもの)も混じっていたという。
同年7月6日、ついに近隣住民がたまらず家を捨てて逃げ出すほどの激しい噴火が始まる。その晩から翌日にかけ、火口から溶岩流が地表に流出。そして8日の朝、再び凄まじい大噴火が起こる。約50メートルもの火煙を噴き上げ、大量の溶岩流が山肌に流出。猛烈な勢いで土砂岩石を巻き込み押し出して発生した粉体流は、火口から15キロメートル先にあった鎌原村をあっという間に埋没させ、そこから利根川支流の吾妻川になだれ落ちた……。
これらのディテールが、地元の調査資料だけでなく、他藩の公文書や当時の文化人による著作、現在から見た地学的分析などもまじえ、ありありと描写される。図解や写真も豊富で、当時の状況をまざまざと想像させる。有無を言わさぬ自然の猛威が生み出した焦熱地獄の様相は、本書副題「日本のポンペイ」が決して大げさに聞こえないほど恐ろしい。
なかでも強烈なインパクトを与えるのが、かの高名な蘭学医・杉田玄白による随筆集『後見草(のちみぐさ)』の引用だ。未曾有の大噴火は浅間山周辺だけではなく、想像以上の広範囲にわたって地獄絵図を現出させていたことが分かる描写である。
さて十日の日、下総国金町村(現葛飾区金町)の勘蔵という名主が関東郡代の役所に訴えでて、昨九日の午後二時ごろ、江戸川の水の色が変わって泥のようになったので、不思議に思ってみていると、根からひっこぬけた大木をはじめ、人家の材木や調度類がどれもこまごまに折れ砕け、またそれに交って手足の切れた人馬の死骸が数えきれないほど川一面に流れてきて、その日の夜半にいたってようやくまばらになった、と注進したとのこと。
噴火が生んだ土石流は吾妻川河岸の村々を削り取り、やがて利根川と合流。人牛馬の死骸も、まだ生きて助けを乞う者も容赦なく押し流し、銚子から太平洋へと至った。さらに濁流の一部は江戸川にも流れ込み、多くの人が壮絶な光景を目撃することになった。学校の教科書に載るような簡略化された解説では、さすがにそこまでの想像は及ばない。
噴火が治まったあとも災厄は続く。住居も生業も失った麓の人々は難民となり、折からの米価高騰も重なって、のちに“天明騒動”といわれた大規模な一揆運動へと発展。さらに、浅間山火口から吹き上がった大量の灰塵は、列島の空を覆って日照を阻み、気温は著しく低下。その年の冷害に拍車をかけて“天明の大飢饉”の被害をさらに広げたとも言われている。
当時、全国各地を旅して優雅に和歌を詠んだ紀行家・菅江真澄の綴った文章も、本書では興味深く引用される。青森県西津軽郡の村までやってきた菅江は、飢饉のもたらした惨状を村人から聞かされた。その強烈な証言記録は、いよいよ現実から目を背けきれなくなった作家の劇的変節の瞬間を見るかのようでもある。
「そのようなものを食いつくしますと、自分の生んだ子、あるいは弱っている兄弟家族、また疫病で死にそうなたくさんの人々を、まだ息の絶えないのに脇差で刺したり、または胸のあたりを食い破って、飢えをしのぎました。……人肉を食った者の眼は狼などのようにぎらぎらと光り、馬を食った人はすべて顔色が黒く、いまも生きのびて、多く村々にいます」
本書を読んで思い知らされるのは、過去の歴史に思いを馳せるとき、多面的な視点で捉えることの重要さだ。その時・その場所の「点」だけでなく、当時の庶民の暮らしぶりや地学的分析なども含めた「面」、前後の時代を俯瞰する「線」なども併せて知ることで、ようやく全体の様相が見えてくる。テレビの当たり障りのない歴史検証番組などでは踏み込めない、陰惨なディテールにまで分け入り、時代の空気を圧倒的なビジュアルイメージとして伝える。硬質な研究書ならではのアドバンテージを強く感じさせる1冊でもある。
本書のラストを飾る第六章は、1979年から1982年にかけて行われた鎌原村発掘調査の成果報告である。大噴火によって埋もれた地中から、幻の石段と、ふたりの女性の遺骸が発見されるくだりは特にドラマチックだ。その素性に迫っていく過程は、良質のミステリー小説のようでもある。そして、無辜(むこ)の人の死という悲劇であっても、余計な感傷に流されない研究者の文体だからこそ、読んでいて救われる部分もある。
どんなかたちであれ、ちっぽけな人間が自然現象を前に太刀打ちできない状況は起こりうる。コロナ禍は、我々にそのことを如実に思い出させてくれた。そして、日本人が粛々と災厄下の生活を受け入れたのは、東日本大震災の記憶がまだ新しいことも大きかっただろう。
危惧するべきは、その記憶が薄れていくこと。危機感も畏怖も失い、驕りや慢心ばかり膨らんでいくこと。記憶は永遠ではないが、記録として残すことはできる。本書はそうした作業の大切さを痛感させる1冊である。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。