最前線からの現状報告レポート
心の病は、どこに原因があるのか? その多くは「脳」に由来します。
「いやいや、いじめとかストレスとかのせいでしょ」「遺伝的なものもあるって聞くよ」
もちろんそのとおりですが、そんな環境要因や遺伝要因を受けて、脳内で「なにかしら」が起きて心の病を発症するのです。そして脳内の「なにかしら」のメカニズムについては、残念ながら未知の部分が多いというのも事実です。
この本で取り上げられている「心の病」は、主に「精神疾患」と呼ばれるものです。「神経変性疾患」と呼ばれるアルツハイマー型認知症などと違うのは、脳細胞を調べても、これといって異常なタンパク質の蓄積や、細胞死は見られないという点です。つまり精神疾患については、病理学者が細胞を顕微鏡でのぞきながら「う~ん、これはうつ病ですね」とは判断できません。そのため「精神疾患は神経病理学者にとって墓場」とまで言われていたのだとか。そもそも「脳を調べたい」と思っても、患者さんの頭から細胞を取り出して生体検査を行うことは難しいでしょう。
しかし、研究者たちは諦めたわけではありません。
私たち研究者は、決して精神疾患が不治の病であるとは考えていません。最新研究で精神疾患が生まれる仕組みや治癒への道筋を探り、その成果が少しずつ見えてきているのです。
本書は、精神科医や基礎神経科学者などが、「心の病がどうして生じるのか?」「どこまで研究が進んでいるのか?」、自らの研究の最前線を解説した1冊です。現時点でわかっていること、そしてこれから取り組むことについての現状報告レポートとなっています。
解明されながら浮上する新たな問題と視点
読みやすさにはかなり配慮されている本書ですが、なにぶん最先端の脳科学についての内容なので、多くの専門用語が出てきます。そんな用語が連続すると、とっつきにくさを感じるかもしれません。そのため、興味を持っているところから読むことをおすすめします。うつ病や注意欠如・多動症(ADHD)について知りたいなら、その疾患について書かれたページを探して読む。さらに心の病は、脳のどこが不具合を起こして発症するのかについて、ゲノム(遺伝子)、シナプス、脳回路の3つから解説した第1部(第1章~第3章)を読むと、さらに先に読んだ興味のある疾患についての理解が深まります。余談ですが、私はマンガ『はたらく細胞』のようなイメージで専門用語を飲み込みました。神経細胞が電気パルスをバリバリっと発する「神経発火(発火)」とか、議会で多数決を取っている「シナプス・デモクラシー」とか、そんな細胞キャラクターを想像すると、とっつきやすいです。
また脳科学に興味があり、知識も備えた読者なら、頭から読むと理解しやすいでしょう。研究者が疾患を引き起こす脳の変化をどう突き止めたのか、これからどういう方向性で研究を進めようとしているのか、克明に書かれています。さらに興味深いのが、ところどころに挟み込まれたコラムです。ビッグデータ解析やヒトiPS細胞が、どのように利用されているのか。2年ほど前に話題になった「複雑性PTSD」についての解釈など、ちょっと人に教えたくなる話題が多いです。
本書のなかでも、私が興味深かったのは注意欠如・多動症(ADHD)についての内容です。子どものADHDは大人になると治るのか? ADHDが生じるメカニズムについての4つの仮説。薬物療法が効く仕組みとそのメリットデメリットまで、「もう、こんなところまで研究が進んでいるのか!」と驚きました。
たとえばADHDの治療には、心理社会的治療と薬物療法が行われます。そのなかでADHD治療薬を服用すると、不注意や多動性、衝動性といった「ADHDの症状は軽減する」のですが、それは「脳機能が正常化する」ことと同じではありません。
「薬を飲むようになってから、何か面白くない」と訴える子もいます。「薬を飲んでから、たしかに席を立って怒られることは減ったけれど、座っているからといって先生のお話に興味が湧くわけではない」とか、「周囲の人の動きに気付けるようになったけれど、相手が何を考えているのか考えてしまって、思っていることを言い出しにくくなった」という子もいます。治療においては、特定の機能障害が改善するかだけでなく、本人の主観的な体験がどう変わるかという視点も持ちながら、総合的な意味でのリスク、ベネフィットを考えていく必要があります。
薬物によって社会的に過ごしやすくすることはできます。しかし、それは「その人らしい」生き方を担保するものではないかもしれない。その人自身が「生きやすさ」と「自分らしさ」のどちらを優先するのか? それを考えて治療を選択していく。研究が進み治療方法が明らかになる過程で、新たな視点を持つことを求められているようです。
また、「もうそれSFの世界なんですけど」と思うような新技術も登場しているようです。それが第10章で紹介される「ニューロフィードバック」です。
ニューロフィードバックとは、ごく簡単に言うと、脳の情報を解読し、その情報をリアルタイムで被験者に見せ、自分で自分の脳活動を特定のパターンへ誘導してもらう技術です。
この手法を使うと、顔の好みを変えたり、ヘビやクモなど苦手なものへの恐怖反応を緩和したりできるというのです。それを利用し、PTSDの患者が抱える恐怖反応を緩和する可能性が探られているとか……。すごい! 実用に耐えられるのかまだ検証中とのことですが、世界中の研究者がさまざまな試みを行い、ベンチャー企業が次々と立ち上がっているといいます。
精神疾患を発症するメカニズムを解明し、精神疾患を目に見える疾患にして、その原因に直接アタックする治療法を開発しようと研究を続ける研究者たち。彼らの途中報告は、読めば読むほど「結局、全体として何が起きているんだ?」と思わせます。しかし同時に、ざっくりとではあっても精神疾患が理解不明な手の打ち用のないものではなく、ある一定(もしくは複数)の脳の働きによるものだとイメージすることができると思います。そうした脳に関するリテラシーを持つことができる、歯応えのある1冊です。
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。