父をネトウヨ化させたものへの怒りと違和感
本書は2019年7月25日の「デイリー新潮」に寄稿された、「亡き父は晩年なぜ『ネット右翼』になってしまったのか」という記事から始まる。晩節の父がどうしてネット右翼的な思想に染まったのかを憂い、父を食い物にした商業的右傾コンテンツへの怨嗟に満ちたこのネット記事は、今読み直しても共感を呼ぶ。
発表当時、私はこのネット記事を興味深く読んでいる。というのもこの頃、ごく近しい老年の知り合いから「最近はテレビなんか見ない。ずっとチャンネル桜。エエことを言う」と話すのを聞いたからだ。私は「そういう人じゃなかったのに」とキツーい気分になったが、面倒な話になるのを避け「へぇ、そうなの」と受け流した。もし、それが親子間の話であったら……と思うと、そのネット記事は他人事には思えなかった。
しかし、先のネット記事から3年を経て書かれた本書は、まったく違った読後感をもたらしてくれる。刺激的なタイトルだが、右(保守)と左(リベラル)の分断を煽るものではない。
本書は、亡き父を知り、自分を深く掘り下げる道程を記した、非常にパーソナルなドキュメンタリーなのだ。
それは同時に「政治的イデオロギーによる分断は、家族の分断になるのか?」という問いにつながっていく……と、そういう生真面目な読み方もできるのだが、私は「父と息子の溝に何があったのか?」を探るミステリーとして、とても面白く読んだ。そして、その結末に大きく心が揺さぶられた。このミステリーは、怒りにまかせて寄稿したネット記事に、著者自身が違和感を感じると同時に、不可解な事実を思い出したことから始まる。
事実【1】 保守系ワードを言うようになったのはリタイア後(2002年ごろ)で、がんを患う前からだった。
「老いと病で衰えたところを商業右翼コンテンツにつけ込まれた」という推論は、時系列的に間違っている。またリタイア後に半年も中国に語学留学していた父が、もともと保守や排外的な思想を持っていたとも思えない。
事実【2】 流行り物が大嫌いで、迎合を良しとしない性質
「退職後に父が広げた交友関係のなかで、周囲に影響されたのでは?」という推論を立てるが、父の性質を考えると強い違和感が残る
もし、もし万が一、父が僕の思うようなネット右翼ではなかったとしたら、価値観に変節をきたしたわけでもなかったとしたら、僕は自らの父の尊厳を毀損したまま放置した、最悪の息子ということになってしまう。
記憶の腑分けからたどり着いたものとは?
そこで著者は記憶をたどり、母や姉に聞き、パソコンの中身をさらい、ヘイトスラングも含めて「父が何を語っていたのか」を列挙し、ひとつひとつ腑分(ふわ)けしていく。
1.中韓(主に韓国)に対しての批判
2.社会的弱者に対する無理解(生活保護・シングルマザー・発達障害関連での発言)
3.保守論壇の主張に含まれる「伝統的家族観の再生・回帰」「性的多様性への無理解」の影響を受けているように思えるもの
4.ミソジニー(女性嫌悪・蔑視)が感じられるもの
5.排外主義(日本文化の維持についての危機感)
どれをとってもネット右翼な内容だ。では「ネット右翼とはなんだろう?」と振り返ったとき、著者には「保守思想をベースにした非常に残念な人たち」というイメージしかなかった。もう少し解像度を上げると、
1.盲目的な安倍晋三応援団
2.思想の柔軟性を失った人たち
3.ファクトチェックを失った人たち
4.言論のアウトプットが壊れた人たち
ということになる。これはネット右翼に違和感を感じる人が持つ、認識の平均値ではないだろうか。そこで著者は研究書や保守の人たちが書いた本を読み、ネット右翼について理解を深めていく。父とネット右翼を比較するうえで特に鍵となったのが、2の思想の柔軟性の部分だ。
政権批判をする者がいれば即反日扱いし、国籍を疑う。原発反対派(エネルギー政策はリベラル)だけど憲法については改憲を支持する(防衛政策は保守)なんてことは絶対になくて、原発容認&改憲は必ずセット。そんな感じで価値観や思想が「定食メニュー化」している。
しかし父は、この価値観や思想の「定食メニュー化」についてブレブレであった。嫌韓嫌中以上に白人国家を嫌い、「ナマポ」という言葉を使いながら旅行先のタイで路上生活者に食べ物を恵み、シングルマザーやLGBTQへの批判(伝統的家族観の再生・回帰)の一方で積極的に厨房に入った父……。
さらにここから著者は、父のネット右翼発言に至った要因を探すため過去へ遡っていく。それは同時に、自分自身の内面を掘り下げる作業にもなっていく。その過程について「父に寄り添いすぎではないか」「そういう時代だった、で片付けてはよくない」という意見も出てくるだろう。しかしこれは、父と子という極めて緊密な関係性に決定的な「分断」を生まないための、血の滲むような作業なのだ。さらに「父をネット右翼たらしめたのは誰なのか?」について、とても苦い結論に行き着く……。
40代50代で「実家に帰ったら親がネット右翼になっていた」という事態に遭遇したら、それは親だけの問題ではなく、自分に突きつけられる問題でもある。そして、政治的イデオロギーによる分断は、解消可能なものに分類できる分断だと著者はいう。そんなもので、家族が分断してしまうことが、本当にくだらない、とも。もし、相手が生きているなら、それだけで僥倖(ぎょうこう)だ。望みはある。
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。