「サリヴァンが蘇ったのは二回目である」──編訳者まえがきのこの一文に、興味を惹(ひ)かれた。「生前にはアメリカの医学界を陰で支配しているとまで言われていた」という著者に、いったい何があったのか。
本書には精神科医である著者の、12の論文と講義録が収められている。それぞれは初出出典に基づき新しく翻訳されたもので、日本語オリジナルの論集として今回の刊行を迎えた。各論の冒頭には「訳者ノート」がそえられており、本文への足がかりとなっている。当時の著者の状況や時代背景を簡潔にまとめたその内容からは、訳者の静かな熱意が感じられ、本書で初めて著者を知る私にとって大きな助けともなった。
著者は1892年にアメリカで生まれた。同性愛を自覚したのは、幼年期のあたりと推測されている。ハイ・スクールを卒業後、コーネル大学理学部からシカゴ医学校へと編入。1917年に医師免許を取得した後、陸軍医官として勤務した。30歳の時にシェパード・アンド・イノック・プラット病院へと移り、そこで一任された独立病棟で、実験的な運営を行ったことで、関係者の間で評価が高まっていったという。
さて訳者はまえがきで、著者について「患者一人ひとりを診るのではない精神医学を提唱した先駆者であった」とつづっている。本書のタイトルにもなった思想を著者が述べた時、「それはあまりにラディカルな危険思想として受け取られた」そうだ。
しかしまずそれは端的に、独立ないし自立した人間というのが机上論に過ぎないことの指摘であった。個人ごとの差異を、彼はまったく決定的であるとか、特別視するべきものとは考えない。人間は互いに相違点よりも共通点をずっと多く持っていると信じて「人間集団に対しての精神医学psychiatry of peoples」を唱えたのだった。
ちなみに個人ではなく実社会が抱える病理について、著者が提唱する以前までは「医学の埒外にあるとされていた」そうだ。たとえば個人が集団から受ける圧力や差別、偏見といったものが精神疾患の原因となりうることは、今を生きる私たちにとっては自明ともいえる。だが当時は、まだそういった概念が確立されていなかった。
それを解消するための行動は、個人それぞれにある差分よりも、法とか慣習として人類全体に固着しているものを改めることだと彼は主張した。これがトラウマ理論や発達病理学と呼ばれて学際的な研究領域として確立されつつある時代、サリヴァンが改めて注目されるようになったのは、彼の提出したものにやっと科学が取り組めるようになったからでもある。
著者が語る内容は確かに、現代において受け入れやすい。どの論文を読んでも不思議と古さを感じず、しっくりとくる。だからこそ100年も前の世であれば、著者の言説や論考にはかなりの軋轢を伴うこともあっただろう。たとえば表題となった論文内で、著者は人格について「多数の人々そして文化からなる世界と深く絡み合った声明のコンタクトから生まれるもの」と定義している。その上で、
だからこそ今日、対人関係論が社会科学や精神医学のなかで重要性を増しているのです。生きることの困難を取り扱うのが精神医学でありますから、その困難が表面化するに至る一連のプロセスをこそ研究するべきです。そうでなければ「困難」が実際のところ何であるかも分からないままです。
と説き、「人間同士の相互作用を探索することこそ必要」と断言する。人が人である以上、時に抱えざるを得ない病について真摯に寄り添う著者のアプローチは、専門家ではない私にも強く響いた。
著者は1949年に亡くなった。没後は同性愛に関する言説が嫌悪されたこと、また共産主義との関わりが疑われたことで、著者の名は忌避されたという。その後、生前に書き遺した唯一の著作は、1972年にようやく出版された。そして今世紀初頭から変化した学問的潮流の中で、著者の思想は再び日の目を見るようになったそうだ。冒頭の一文が腑(ふ)に落ちた。
本書の各章には、原注や訳注も多く添えられている。すみずみまで丁寧に造られた本書を、著者の業績に触れる入り口としてほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリ