「歳をとる」ことに無防備すぎる
「自分はもう若くないのでは」と察すると、動じないフリをしつつ内心ではびっくりしている。たとえば、自分の頭からぴょこんと飛び出る白髪を見つけたとき。ケガの治りが昔よりゆっくりだと悟ったときも「あっ」と思う。例外なく私たちはみんな歳をとっている。それを知っているはずなのに、心の準備はまるでできていないし、その無防備さに気がついてさらに焦(あせ)る。「健康寿命」という言葉を見て不安ばかりが募る。焦ってどうする、と思う。正しく心配したいし、正しく備えたい。
「老年医学」の専門医である著者が科学的なエビデンスと自身の経験をもとに書いた『最高の老後 「死ぬまで元気」を実現する5つのM』は、人生を最後まで元気に生きるための指針だ。例外なく歳をとる全年代の人にすすめたい。
歳を重ねる「加齢」は等しく皆に起こりますが、「老化」は、人の顔や性格がそれぞれ皆異なるように、そのプロセスもスピードも、人それぞれ千差万別です。
そう、老化には個人差がある。だから「できれば私は健康に歳をとりたい」との願望をまるだしにして本書を手に取った。
老化に遺伝子は関係あるの? 老化すると心や体はどうなるの? 運動ってどんな効果があるの? 認知症ってそもそも何なの? 若い頃と同じ薬を飲んでも大丈夫? 老いに関して多くの人が気になるであろう数多くのトピックスをていねいに教えてくれる。
各章、著者が実際に体験した「老年医療」の現場のエピソードから始まり、老化するとどうなるかの事実が続く。そして健康な「最高の老後」を迎えるための提案で締めくくられる。とても読みやすい。で、読みやすいなあとページをめくるわけだが、なかなか甘くない老化の現実が並ぶ。たとえばこんなページで私の手は止まる。
私が想像していたよりも車椅子か寝たきりの65歳以上は多かった。小さく振られた注釈の番号はエビデンスとなる文献を示している。本書の365ページからは文献一覧がギッシリ並んでいた。
こんな意外な事実も教えてくれる。
年間に風邪をひく回数は40歳以降はとても低い! 老化って悪いことばかりじゃない。
お医者さんの前に座ってゆっくり説明を受けているような安心感を覚える本だ。「なーんだ」と楽観するのでもないし、がっくり肩を落とすのでもない。覚悟が決まる。
「予防」の効果は過小評価されやすい
本書が掲げる「5つのM」とは、Mobility(からだ)、Mind(こころ)、Medications(くすり)、Multicomplexity(よぼう)、Matters Most to Me(いきがい)を指す。これらは米国老年医学会が提言する健康な老後に不可欠な視点だ。
たとえば第1章 Mobility [からだ]では、身体機能を維持する大切さが述べられる。なかでも「運動は体にいい」をエビデンスと共に真正面から語っている。
「リスク低下」という点で言えば、運動は死亡、心血管疾患、高血圧などのリスク低下と関連します。また、意外かもしれませんが、肺がん、乳がん、膵臓がんなど、少なくとも8種類のがんのリスク低下との関連も示唆されています。
筋トレ好きとしては「おっ」となる記述だが、次のくだりが私はとても好きだ。
これらは、必ずしも「運動をすればがんにならない」という因果関係を示したものではありませんが、少なくとも密接な相関がありそうです。
油断するとすぐに「○○すればがんにならない!」「○○が効く!」なんてセンセーショナルな言葉に踊らされがちな私によく効く文章だった。著者は本書で因果関係と相関関係の区別を繰り返し述べ、科学的に根拠がある事実だけを伝える。
そして、こんな言葉も刺さる。
また、運動はただ病気のリスクを下げるだけではなく、身体機能はもちろんのこと、認知機能や生活の質、睡眠の質を改善してくれる効果も期待できます。
これだけの「病気の予防」や「質の改善」に効果がある薬やワクチンは、この世の中に存在しません。運動は何にも勝る「良薬」なのです。(中略)それにもかかわらず、どうして人は運動をしないのでしょうか。
ここに、「予防」という概念の難しさが詰まっていると思います。健康や病気ということに関して言えば、どうしても「予防」より「治療」のほうが効果が見えやすく、注目されがちです。逆に言えば、「予防」の効果は過小評価されすいのです。(中略)
私たちは、「過小評価している」ことに意識的であるべきでしょう。
うん、動こう。1時間ごとに「さあ立って少し動きましょう!」とかいがいしく知らせてくれるスマートウオッチよありがとう。
さらに老年医学の専門家ならではのこんな視点も面白い。身体機能を守る上で運動や筋肉と同じくらい大切なパーツは「足」なのだという。
(略)高齢者を診察していると、意外にも多くの人が自分の足に気を配っていないことに気がつきます。
私は、外来で必ず1回は診察するようにしています。(中略)患者さんの中には、自分は肺の病気や高血圧で受診しているのになぜ足を診るのだとおっしゃる方もいます。しかし、私は肺を治療できればそれでいいと思っているわけではありません。肺がよくなっても足の問題を見落とし、歩けなくなってしまったのでは主治医として失格です。
ですから、「肺ももちろん大切だけれども、健康に毎日を過ごせるお手伝いをしたいので、歩く上で大切な足も確認したい」と伝えています。幸い、それを聞いて反対する人はいません。
著者の山田先生と患者さんとのやりとりが胸にすとんと馴染(なじ)む。足をケアすれば、感染症を防げたり、転倒のリスクを下げられるかもしれない。予防は大切。
「事前指示書」のむずかしさ
本書は一貫して「人によって千差万別」であることを述べる。薬の飲み方、認知症の原因、そして人生でなにを大切にするかも、人によって違う。一緒くたになんてできない。
そのことをしみじみと実感して自分の人生を大切にしたくなるのが、第5章 Matters Most to Me [いきがい]だ。
「最期のとき、自分で意思決定ができない可能性は大きい」という事実と、「人によって千差万別」の2つが重なると非常にやっかいだ。かといって「自分が判断能力を失ったら、治療方針はこうしてください」とあらかじめ本人が書面で伝える「事前指示書」や、残された時間をどう生きていきたいかについて、本人や家族や友人、そして医療者で話し合う「人生会議」で、この問題がすべて解消されるわけではないと筆者は述べる。
しかし、実は人生会議について、その意義や方法論に異を唱える論文も報告されており、現在もなお議論されているところでもあります。人生会議がはるかに浸透している米国では、それが浸透したうえでも、あまり患者さんのケアが改善されていないと指摘されているのです。(中略)というのも、事前に人生会議が行われていたとしても、人の価値観は時間とともに、あるいは病気の存在やその進行とともに大きく変化し、事前の話し合いの内容と大きく変わってしまうことがあるからです。
刻々と人の気持ちは変わる。とても生々しい事実で、ポンと簡単に出せる答えなんて1つもないのだとよくわかる。ただ、「研究結果には表れない形なのかもしれないという指摘」とともに「事前指示書」が家族の心の支えになった事例も紹介される。自分や大切な家族のことを考え直すことにつながる、とてもよい章だ。
自分の晩年がいつであるかなんて本人にはわからない。でも毎日ちゃんと歳を重ねている。この2つを同時に想像すると不安でしかたがないけれど、どう生きるかの積み重ねの果てに老後が待っていることは確かなようだ。心身によく効く1冊だ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。