コロナ禍で見えなくなった戦場
ロシアのウクライナに対する軍事侵攻に関する報道を朝も夜も毎日かならず見聞きする。ある日のNHKで、ウクライナ支援のニュースのあと、キャスターの男性が「ウクライナと同じく支援が必要で、忘れてはならない」としてミャンマーとシリアについて触れた。思わず仕事の手を止めてテレビを見た。ショックだった。私が目にする情報の濃淡は世界の実態と連動していないのだ。そして情報の濃淡は、そのままその人の関心と無関心に直結する。
情報の濃淡といえばコロナ禍だ。自分の体温と唾の飛び方にばかり詳しくなって、人との接触が激減した。なにより、海外どころか家からもまともに出られない時期が続いた。国際報道に携わる人たちも同じ制約のもと生きていた。現地へ行けないまま、どうやって取材をして、番組を作る?
『NHKスペシャル取材班、「デジタルハンター」になる』は、そんなコロナ禍の真っ只中の2021年に起きたミャンマーの軍事クーデターを軸に、NHKスペシャルのチームが日本から出られない状況下でいかにしてミャンマーの実態へ迫ったかの記録だ。
ネットで手に入れた情報を検証すること、情報を広く安全に提供してもらうこと、そして情報を番組として組み立て、見えない戦場を視聴者に伝えること。どれも生々しく語られている。
会う人みんなに「この本いいよ」とすすめている。新しい調査手法の面白さやドキュメンタリー作りの緊迫感もさることながら、決して遠い国ではないミャンマーと、私たちが毎日浴びる「情報」の話だからだ。
現地に行かずに取材する手法、「OSINT(オシント)」
本書は「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代+」の制作チームが、コロナ禍で取材が思うように進まない中で「OSINT(オシント)」と呼ばれる手法と出合うところから始まる。
「一緒にOSINTで、新型コロナの起源を追う調査報道を番組でやらないか?」
恥ずかしながら、私は、この時、初めてOSINT(Open Source Intelligence)なる言葉を聞いた。これは、インターネット上のさまざまな情報や、SNSに投稿された動画や画像、地図情報、衛星画像など誰もがアクセスできる「公開情報」を使って、戦地などの取材が困難な場所での殺戮の実態や、国家権力が隠蔽している“不都合な真実”、世界を揺るがす事件の真相などを解明する手法で、その革新性から「調査報道革命」または「報道革命」とも呼ばれてきた。
SNSに何気なくアップした写真や発言から個人がみるみる特定されてしまうことは知っていたが、それを応用すると報道にも使えるとは。このOSINTの第一線にいるのがエリオット・ヒギンズ氏によって創設された「ベリングキャット」という国際的な調査集団だ。彼らは「デジタルハンター」と呼ばれる。
「ベリングキャット」は、「凶暴な猫の首に鈴をつけるため相談し合うネズミたち(Belling the Cat)」を描くイソップ物語に由来する。実際、彼らは調査で嘘を暴くたび、さまざまな組織、集団や個人から何度もハッキングを受けたり、名指しで「悪名高き集団」といったレッテルを貼られたり、批判を受けている。その多くがロシア政府からだ。それでも一歩も怯(ひる)むことなく、それどころか次々とスクープを出し、飛躍し続けている。
デジタルハンターの主戦場はインターネット。ネット上に転がる膨大な情報から証拠を探す。だが、ここで身構える人もいるはずだ(私はそうだった)。SNS上で拡散される「真実」がフェイクだったら? ベリングキャットが世界中の報道機関から信頼される理由も、この問題に関連している。
ヒギンズ氏らメンバーたちは、ウェブサイト上で、一つひとつの調査のプロセスを詳細に説明している。ヒギンズ氏がいつも口にするのは、「証言は変わることがあるが、動画は嘘をつかない」ということ。だからこそネット上に転がる膨大な動画や写真という情報の「原石」を見つけ出し、調査の証拠という「宝石」に丁寧に磨き上げる。さらに、その調査報道のプロセスを包み隠さず公開することで結果に対する透明性と信頼性を担保する。
ネット上に転がる「原石」を、調査や報道で使える「証拠」に磨き上げる基礎は「ベリフィケーション(検証)」と呼ばれる。
ベリフィケーションとは、ネット上に投稿された動画や写真が「フェイクではないか」、そして「誰が、いつ、どこで、どんな目的で撮影し投稿したか」について明らかにするということだ。(中略)
この作業を正確に行うためには、その事象に対し、正しい背景の知識を持ち合わせていること。そして、正しい問いを立てられること。さらに、正しいツールを知り、使いこなせることが必要になる。しっかりした検証能力がなければ、自分自身がだまされるだけでなく、フェイクを広めてしまいかねないからだ。
証拠としての価値を保つために積み上げられる無数の努力が本書を読むとよくわかる。「ネットは情報収集しやすいから取材でも便利」なんかじゃない。そして、ベリフィケーションが手間のかかる難しい作業なのだと知ることは大切だ。安易に拡散される「真実」は、不確かなデマかもしれない。ふと立ち止まるきっかけになる。
OSINTにはこんなリスクもある。
アムネスティ・インターナショナルが講座の中で、繰り返し警鐘を鳴らしていたのが、調査する側に対するメンタルケアだ。
暴力的で悲惨な動画や写真を繰り返し見ることによって、トラウマになる危険性に留意しなければならないということだ。
当事者による生々しい情報と向き合うOSINTにはテクニックと訓練と用心深さが求められる。
コロナ禍の葛藤、OSINTの可能性、そして「ベリングキャット」が主催するOSINTの研修を受けたNHKのディレクターと、報道への信念。これらすべてが2021年1月に起こったミャンマーの軍事クーデターの調査報道になだれ込む。
弾圧が起きるたびに増える投稿、消える投稿
NHKはミャンマープロジェクトを立ち上げ、OSINTを活用して、ミャンマー軍によるクーデターと市民への弾圧を伝える番組制作を始める。だが、程なくして情報収集の難しさと報道番組の宿命が激突する。
日本にいるミャンマー人の協力も仰ぎつつ情報収集を始めると、市民が自分のスマートフォンで撮影した現地の様子が大量に集まってきた。波のように押し寄せるのだ。
3人のディレクターが手分けしてスプレッドシートに入力しても、とても処理しきれるものではなかった。私は入力された情報をチェックし、動画をくまなく見ていく作業に専念していたが、それさえも難しくなるほど日々SNS上の動画や写真は増殖を続けていた。
刻々と状況が変わる現地の様子は、やがてSNS上の情報の量にも影響を与える。
SNSのタイムラインから、あったはずの投稿が次々削除されているというのだ。どうやら軍からマークされるのを恐れて、一度アップした投稿を削除する動きがミャンマー市民の間で広がっているようだった。
波が引いていくさまの生々しい絶望感は動画からも伝わってくる。
3月17日のヤンゴンの動画。
「窓から顔を出した人全員に発砲しています。動画を撮影しているからといって」
撮影者は身を潜めながら、アパートの高層階に銃を向ける警察の部隊を記録していた。
声が握りつぶされるってこういうことなのか。投稿はいつ消されるかわからないから、ひとつひとつ保存していくしかない。砂粒のような情報をかき集めた次は、報道番組として編み上げる作業が待っている。
ディレクターたちの努力が実を結び始め、デジタル調査は進展を見せつつあった。しかし、番組の核となる決定的なコンテンツになりうるかというと、まだそこまでの力はない。NHKスペシャルのような特集番組では、テーマを象徴し強い訴求力を持つコンテンツが必ず必要になることを、私はこれまでの経験から身をもって知っている。わかりやすく例えれば、30点のものを3つまとめてセット売りしても90点にはならない。合格点を取るには一つでいいから90点のコンテンツが必要になるのだ。
OSINTがいくら画期的な取材方法であったとしても、それはあくまで道具であって、報道番組の根幹は不変であることがよくわかる。見過ごされそうなアジアの実態を伝える、しかも大勢に見てもらえるように伝える、そのどちらも諦めないのだ。
「混迷ミャンマー 軍弾圧の闇に迫る」と「忘れられゆく戦場 ~ミャンマー 泥沼の内戦~」を実際に視聴した。デジタルハンターたちは点と点のような情報を調べ、結びつけ、ミャンマーでの弾圧がいつどのように行われたかをあぶり出していた。地図にプロットされていく写真に胸が潰れそうになる。スマートフォンで市民が撮影した動画の生々しい手ブレや声に肌が粟立つ。忘れられない番組だ。そして本書には番組の舞台裏と情熱が焼き付いている。ぜひ手に取ってほしい。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。