思いあたるのは、間違いなく酒とストレス
「心肺停止」というワードを耳にすることはよくあります。でも私にはどこか他人事でした。確かにアラフィフともなれば、更年期特有の心身の諸問題はそれなりにありましたが、健康診断は問題なく、いたって元気! 大好きな酒は毎日うまいし、一緒に暮らしている猫たちはかわいい。それだけで幸せ。フリーの医療ライターとして生計をたてつつ、気ままに暮らしていたのです。あの朝、山手線でぶっ倒れるまでは⋯⋯ 。
この本は、私が山手線の車内で心肺停止になり、奇跡的に回復するまでを書いたルポをマンガ化し、実用書にまとめたものです。
私が倒れたのは「冠攣縮性(かんれんしゅくせい)狭心症」という画数がやたら多い心臓の病気で。簡単に言えば、心臓に酸素や栄養を送る冠動脈が突然に痙攣(けいれん)・収縮し、心臓の筋肉への酸素供給がシャットダウン。まさにブレーカーがバチッと落ちるように、一瞬で心肺停止。あのまま逝っていたら倒れたことさえわからなかったでしょう。倒れた場所が、ひとり暮らしの自宅ではなくたまたま人目のある山手線の電車内で、さらに居合わせた乗客のみなさんの連携プレーと、救命救急のノウハウを持つ駅員さんのお陰で命をつなぐことができたのです。心から感謝しています。
私の蘇(よみがえ)り体験に多く寄せられる質問1位は「ぶっちゃけ、なんで倒れたの?」。2位「年齢は?」、3位「めっちゃデブだったの?」です。「明確な原因はわかりません。それがわかっていたら真っ先に教えますよ」と私の主治医である東京都済生会中央病院循環器内科医長の鈴木健之先生は言います。
倒れた時は52歳。私は中肉中背で特に太っておらず、家族に心疾患の人はいません。基礎疾患はなく、健康診断でも血圧、コレステロール値なども正常範囲でした。けれど振り返って思いあたるとしたら、酒とストレス。というのも、倒れる3ヵ月前に、がんを患っていた最愛の母が他界したのですが、それまでの看護や亡くなってからの葬儀などで、家族との意見の食い違い、バトルモードがヒートアップ。他は家庭持ちで社会的にもご活躍。バツイチ、フリーランスと強いカードがない私は、ほとんどコテンパンで、自己肯定感がだだ下がり。「これは飲まなきゃやってらんな~い」と酒量がいつも以上に増えていました。それでもまさか突然心臓が止まるなんて。心肺停止後に奇跡的に回復した後、心臓カテーテル検査で、ストレスにより極度に血管が収縮する性質であることが判明したのですが、これって人間ドックのオプション検査でも分からないんですよね。元気だと思っていたけどまさかの「隠れ心臓病」だったわけです。
「隠れ心臓病」から自分を守るために
胸が痛むのは、決まって朝のおしん再放送の時間帯。しばし横になると治まったので、「ストレスが収まったら、痛みも消える」と安堵。加えて心臓は左側にあると根本的な勘違いをしており、胸の真ん中の痛みを放置。思い込みってほんとに怖いと今は思います。 「いつもとは違う痛みを感じたら病院へ行くこと。それが一番の心臓病から命を守る手段です」と鈴木先生は繰り返します。私も予兆をキャッチして病院に行っていれば、心肺停止を逃れることはできたはずです。
「ストレスかな、お酒かな、それとも⋯⋯ 」と原因をあれこれ考えるより、胸の異変をキャッチしたら、見逃さずにすぐ病院へゴー! これが「隠れ心臓病」から自分を守るために何より大切で、この本を通じて皆さんにお伝えしたいことのひとつです。病院で何もないとわかれば安心できるし、たとえ問題が見つかっても予防のために薬を処方してもらったり、必要であれば治療を受けることができます。自分に危険因子があるとわかれば定期的に診断を受けて、リスクマネジメントをしていけばOK。「隠れ心臓病」と脅かすつもりはなく、見つけにくいからこそ私のようにならないために、異変を感じたら病院へ行っていただきたいと思うのです。
「触るものみな傷つけた」高次脳機能障害と診断されて
心肺停止から奇跡的に蘇った私は、高次脳機能障害と診断され、脳への酸素が滞った影響で周囲を驚かせることになりました。それはまさにペット・セメタリー状態! (死んだはずの飼い猫が蘇るスティーブン・キングのホラー小説とその映画)。記憶はツギハギですが、私は理不尽に自由を奪われた状況におびえ、シャーシャーと威嚇(いかく)を繰り返すしかなかったのでしょう。凶暴化はエスカレートし「脱走癖あり」とマークされ、腰ベルトに鍵、食事はナースステーションで監視されながら、ベッドの下には降りるとセンサーが作動するマットが引かれていました。今思えば全て私に必要だったと理解できますが、初体験の入院生活は衝撃体験の連続でした。
その後リハビリ病院に転院し、理学・心理・作業療法のリハビリを経て退院し、仕事に復帰するまでの道のりについても、この本のなかで紹介しています。
まさかに備えておくことは無駄ではない
この本で伝えたいふたつめは、「まさか」が起きてしまった時の備え。私のように一人暮らしでも、そうじゃなくても、急病に襲われたときにどこに連絡すべきか、どんな情報をまとめてどう管理しておくか、また大切なペットのケアはどうするのかなど考えておくことです。
人生は有限で締め切りがあります。今日と同じ明日が来るのは当たり前のことではない。だから毎日を大切に生きていかねばと、私は思うようになりましたが、すぐに忘れてしまいます。
この本の出版を父にサプライズで伝えようと思っていたら、転倒による脳出血で、突然逝ってしまいました。前日に「また明日ね」って別れたのに……。まさかはいつも突然。備えられないこともあるけれど、備えられることもたくさんあります。
異変を感じたら病院へ。まさかへの備えをする。この本が一人でも多くの皆さんの命のお守るためにお役に立てれば幸いです。