書店で働いていたころ、責任者としてお客様のクレームに対応することがあった。ある日スタッフに呼ばれてレジへ行くと、年配の男性が待っていた。しかし声をかけたとたん、「お前じゃ話にならん、男の店員を出せ!」と大声で怒鳴られてしまった。結局は男性の後輩が替わってくれたものの、役目を果たせなかった悔しさと、自分ではどうすることもできない理不尽さに落ちこんだ。「もし私が男性だったら」「もっと貫禄のある見た目だったら」あんなことを言われずに済んだのだろうか──。
考えても仕方のない思いが、心のどこかでずっとくすぶっていた。だからだろうか、本書を読んだ時、最初にこみ上げてきたのは嬉し涙だった。著者は1987年に毎日新聞社へ入社し、長野支局で記者人生のスタートを切ったという。その後は政治部、大阪社会部、ワシントン特派員から編集委員などを経て、2017年には政治部長に就いた。全国紙では女性として初めての就任だったそうだ。そして現在は、社説を執筆する論説委員を務めている。
そんな著者の、最初の配属先でのエピソードからご紹介したい。支局にかかってきた電話を著者が取ると、「誰かいないの?」「誰かに代わってくれる?」と言われることが多かったという。そのたび著者は「『誰かって誰?』といつも心の中でつぶやいていた」そうだ。
会社にかかってきた電話に出て「誰かいないの?」と言われた経験のある女性は、私たちの世代では、新聞記者に限らずけっこう多いのではないか。片や男性はそんな経験はほとんどないだろう。一事が万事で、こういう経験を何十年も我慢して重ねてきた女性と、一切そういう苦労をしないで済んだ男性の間には、その後の人生への自信の持ち方や、社会に対する認識に大きな違いが生まれるのではないかと思う。
そう、まさにそのとおり……! 著者の体験とは違えども、あの日の私がへし折られたものは「責任者としての自信」だった。そして何度も同じような扱いを受ける中、どこか諦めの気持ちと、自分が「女性であること」への卑屈さを抱えるようになっていたように思う。著者の言葉を目にしたことで、そのことに初めて思い至った。同時に、当時の自分に寄り添われた気もして、思いがけず涙があふれた。理解者がいる心強さを、こんな形で味わうとは。
さて本書は全五章から成っている。中でも、政治記者としての歩みをつづった第一章と、「セクハラ」という単語がまだなかった時代のハラスメントについて書かれた第二章は特に興味深かった。いずれのエピソードも働く女性にとっては、大なり小なり今も思い当たるものばかり。遅々として変わらぬ状況にめまいがする一方、それでも改善されてきた部分があることもわかって励まされる。
ちなみに著者はタイトルについて、「オッサンを揶揄したり、暴露したりするのがこの本の目的ではない」と語り、その上で「オッサン」という言葉をこのように定義する。
私が思うに「オッサン」とは、男性優位に設計された社会で、その居心地の良さに安住し、その陰で、生きづらさや不自由や矛盾や悔しさを感じている少数派の人たちの気持ちや環境に思いが至らない人たちのことだ。いや、わかっていて、あえて気づかないふり、見て見ぬふりをしているのかもしれない。男性が下駄をはかせてもらえる今の社会を変えたくない、既得権を手放したくないからではないだろうか。
そういった状態や人のことを著者は「オッサン」と呼びたいとした上で、こう続ける。
だから当然、男性でもオッサンでない人たちは大勢いるし、女性の中にもオッサンになっている人たちはいる。
この言葉にはドキッとした。男性と同じ仕事を求められる中で、私も気づかぬ内にそう振る舞っていたことがあったかもしれない。その時、私も確かに「オッサン」になっていただろう。過酷ともいえる記者人生を歩んできた著者も、「『オッサン』社会に違和感を感じながらも、同調する生き方を選んだ」と、自身の仕事を振り返っていた。そんな著者に、子どもを育てながら働く後輩の女性記者の言葉が響く。
「私たちは佐藤さんのようには働けない。私たちと同じような土俵に立ち、着実に歩んできた女性にリーダーになってほしい」。
私は「随分はっきりと言うな」とちょっと悔しかったのが半分と、もう半分は「そうだろうな」と納得せざるを得ない気持ちで聞いていた。
道を切り開いてきた人は、次の世代にも同じようなやり方を求めることが多い。しかし著者は、自身の歩みと次世代のそれをきちんと切り離し、今の時代なりのエールを送る。これはなかなかできることではない。私もこうありたいと願うとともに、著者の誠実さにまた泣いた。
「オッサン」にならないためには、まず自分が「オッサン」である状態を自覚し、目を外に向けること。そうして、環境を具体的に変えていくこと。すぐには無理でも、10年、20年と時間が経っていく中で、確実に変化は起きる。それを教えてくれた本書を胸に、これから先の未来を見つめ続けたい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。