現役の医師として働きながら50代で小説家デビューした異色の作家、南杏子さん。待望の新作『アルツ村』は、メディカル・サスペンスの手法で認知症の問題に鋭く斬り込む。
医師ならではの専門知識や自身の介護経験が物語に深いリアリティを与え、大いに注目を集めている。担当編集の森山悦子と、これまでの軌跡や作品への思いを語った。
趣味として始めた 小説教室をきっかけに
森山 南さんは、出版社に勤務された後、海外で暮らされて、帰国後は大学の医学部に編入されて、現在も医師として毎日診察をされています。作家としては、かなり異色の経歴ですよね。
南 イギリスに住んでいたとき、アロマセラピストの資格を取ったのですが、それから人体に関する興味がどんどん深まっていきまして。日本に帰国後、医学部で勉強しているときは、人生で一番楽しい時間でした。
森山 そこから、どういう経緯で小説を書くことになったんですか。
南 育児も一段落して、勤務も緊急呼び出しがない病院になって、生活がだいぶ落ち着いてきて、カルチャーセンターに行き始めたんです。陶芸やコーラス、武術など、いろいろ習いました。そのうちの一つが小説教室だったんです。
森山 それは、いつ頃のことですか。
南 2007年ですから、40代半ばですね。小説は読むのはものすごく好きだったのですが、まさか自分が書けるものだとは思っていませんでした。あくまで趣味で、最初は、ファンタジーや夢物語みたいなものを書いていました。ちょっとシュールなものとか、妄想全開なものばかり書いていたのですが、先生にはまったく評価されなくて。
でもあるとき、「もっとあなたにとって身近で切実なものを書きなさい」と言われたんです。それが自分にとって医療だったんですね。
森山 その先生の一言が、才能を開花させる後押しになったわけですね。
南 才能かどうかは分かりませんが(笑)、いざ医療のことを書き出したら、日ごろ考えていたこと、感じていたことが湧き出てきて、すらすら書けるようになったんです。
先生にも褒められて、楽しくなって、テーマを医療に絞って書き続けました。
森山 そこから、プロ作家へのきっかけは?
南 2014年に第8回小説宝石新人賞の最終候補に残ったのをきっかけに、プロの編集者さんを紹介していただいたんです。それがデビュー作につながりました。
医師としての経験や 医師になる前の経験も
『アルツ村』著者 南杏子さん
森山 今回の作品『アルツ村』は、認知症がテーマになっています。現役医師ならではの実感がこもっていて、どんなベテラン作家の想像力をもってしても、ここまでのリアリティはなかなか出せないんじゃないかと感じました。
南 ありがとうございます。いま勤めている病院の患者さんは、認知症の方が8割くらい。平均年齢は90歳近いので、軽い症状を含めるとかなり多くの方に見られます。
森山 日々、職場で経験していらっしゃることが作品に直結しているわけですね。
南 医師としての経験以前に、18歳から数年間、祖父の介護をした経験もあります。祖父が脳血管性認知症で、祖母もかなり高齢だったので、本当に大変でした。私はいい孫にはなりきれなかった、どうすれば祖父をもっと大切にできたんだろう、という思いがずっと心の中にあって。
森山 10代でお身内を介護された経験と、医師として日々高齢者に接していらっしゃる経験、その両方がこの作品の中に生きているんですね。
今回の作品の構想は、いつ頃できたものですか。
南 「小説現代」で連載させていただいていた「希望のステージ」を書き終えたとき、前任の担当編集の方に次作の構想を聞かれて、「ずっと温めていた『アルツ村』というのがあるんです」とお話ししました。2019年のことです。とりあえず、「そのタイトルはいいですね」と。タイトルは(笑)誉めていただきまして。
森山 そこからは順調に?
南 いえ、それが、当初は、ホラーチックで不思議な感じの物語を考えていたんです。担当の方と相談しながら、リアリティのある社会派ミステリーの方向に軌道修正していきました。
森山 前半は、この不思議な村はいったい何なんだろうという謎めいた重い空気が充満していますが、中盤からどんどん新たな事実がスリリングに明らかになっていきます。そして衝撃の結末! この結末は最初から決まっていたんですか。
南 実は最後のフィニッシュは、なかなか決まりませんでした。もう一歩進んだ何かを書きたくてずっと悩んでいました。でもあるとき、さる精神科の先生の講演を聞いて、パッと閃いて。一気呵成(いっきかせい)に書き上げたんですよ。
森山 その講演の内容は、ネタバレになるから言えないんですよね(笑)。
誰にとっても無関係ではない 認知症について考える機会に
(右)著者 南杏子さん (左)担当編集者 森山
森山 認知症の問題は確かに解決困難なことも山積みですけれども、認知症の人たちとこうすれば幸せな共存ができるんじゃないかとか、認知症の人たちはいろいろなことを忘れてしまっているけど、それでも互いに心を支え合って人間らしい精神的な営みをしているんだとか、この作品には医学論文では見えてこないような、温かな提言が書かれています。ああ、こういうふうに接すればいいんだという気づきをたくさんもらった感じがします。
南 老いた父や母にとっては、子どもからとげとげしい感じで扱われるのが一番つらいですよね。たとえどんなふうに認知症が進んでも、家族みんなが笑顔でいられる、そういう世界を目指したい。
もしかしたら医療よりも、介護とか生活のお手伝いとかをしてあげるほうが、認知症の人にとっては快適なのかもしれません。
森山 田舎での生活のように農作業などで体を動かして、規則正しいシンプルな生活を送る分には、認知症の人でもそこまでの支障が出ないというお話も出てきましたね。それもひとつの解決策ですよね。
南 昔は、介護というのは家族が愛を持ってやるもので、つらいなんて言っちゃいけないという風潮がありました。私もそれを鵜呑みにして、ただただつらかったんですよね。でも今なら、そうはならない方法もあります。愛しい人に愛しいまま「さようなら」と言える、それがこの問題のゴールなのかなと思っています。
森山 そうですね。アルツ村は、はたして楽園なのか、現代の姥捨て山なのか。この作品は、ミステリーとして楽しんでいただくだけでなく、誰もが無関係ではない認知症の問題について考えるきっかけになればいいですね。
1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒業。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入。卒業後、慶應義塾大学病院老年内科などで勤務した後、スイスへ転居。スイス医療福祉互助会顧問医などを務める。帰国後、都内の高齢者向け病院に内科医として勤務するかたわら、『サイレント・ブレス』で作家デビュー。2021年、『いのちの停車場』が吉永小百合主演で映画化され話題に。2022年3月30日に『アルツ村』を刊行。