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2022.03.16

レビュー

サブスクやフリマアプリにより「所有」の概念が揺らぐ今こそ読みたい。売ったものがもどってくる「徳政令」

かつて歴史を教えてくれた先生方には申し訳ないが、私の記憶にある「徳政令」の内容は、一言でいえば「借金がチャラになる」というものだった。おそらく、昔よく遊んでいた鉄道ゲームの影響だろう。ある意味で間違ってはいないものの、正しいとも言いがたい。本書の裏表紙では、こう説明されている。

売ったはずの土地がもどってくる──日本史上でもひときわ有名な永仁の徳政令。

チャラはチャラでも帳消しになるのは、お金ではなく土地の売買。きれいさっぱり忘れていた。本書の帯には「中世社会の本質に迫る普及の名著!」とうたわれている。そんな本を、こんな私が読んでもいいのだろうか──思わず二の足を踏んだ。でもどうせ知らないのなら、目の前にある扉から入るのも一つの手。せっかくなので、ページをめくることにした。

本書はもともと、1983年に岩波書店から新書として刊行された。書店で品切れしていた期間も長かったようで、解説では20年ほど前に古書店を回って入手した話が紹介されている。これから中世の日本史を学ぶ方にとっては、待望の文庫化といえよう。

著者は日本中世史の専門家で、東京大学の名誉教授だそうだ。その立場と原本の刊行から経過した時間を考えて、「さぞ硬い語り口なのでは」と身構えていたが、文章は驚くほど読みやすかった。全体は10章から成っており、リズムよく挟まる大見出しと小見出しが内容の理解を助けてくれる。鎌倉時代の知識があれば、よりわかりやすく楽しめるのは間違いない。

本書はタイトル通り、徳政令がテーマだ。ただその内容は、たとえば徳政令全般を時系列で追ったものではないし、「誰が」「どんなふうに」発して運用したか、といった紹介でもない。主眼は「永仁の徳政令」が誕生した環境と、その名が広く長く知れ渡った時代背景にあった。

考えてみれば当たり前のことだが、中世において、日本全国に同じ内容をすばやく知らしめるということは、至難の業だ。永仁の徳政令が出たころの人々は、どうやってその内容を知ったのだろうか。

よく知られているように、鎌倉時代には、京都の朝廷、関東の幕府、この二つの中央権力が並存し、ごくごく大まかにいえば、この二つがともに全国的な効力をもつ法を立法していた。このうち幕府法についていえば、法文の内容が確実にわかるものだけでも八〇〇ヵ条以上の立法があったことが、現在では知られている。

つまり中世の市井の人々には知られざるもの──それが当時の法だった。具体例として本書では、ある庄園にまつわる寺と地頭の争いを取り上げ、彼らが互いの言い分の根拠とした法が「そもそも実在するのか」という証明を迫られた、という話が紹介されていた。今では考えられないことにせよ、当時はそういう世界だったのだ。

そんな時代において、どうして「永仁の徳政令」だけは別格だったのか。著者はその理由を、法の受け手側に見出した。

立法者たる幕府の側には、いつもと違う発布形態、特別の伝達方法をとった形跡は全く認められない。だから、原因は法の受容者たる社会の側にあった。そこには関東の徳政令が近いうちに出されるという予想・期待が広くいき渡っていた。もう少し見方を変えれば、徳政はもうだいぶ前からはじまっていた。

ここから著者は、法の前提となった社会背景や人々の見方、考え方を、各種史料から丁寧に読み解いていく。時に法律家のような、時に民俗学者のようにも見えるその謎解きは、凝り固まった法への見方から読者を開放し、新たな視野を開いてくれるものでもあった。

ちょうど今放映されている大河ドラマやアニメでは、鎌倉の世になる以前の話が描かれている。その後の時代について、本書を入り口に当時の人々の思考や捉え方を知ってみるのも、面白いかもしれない。こんな扉もあっていい。ぜひ手に取ってみてほしい。

レビュアー

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田中香織

元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。

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