いつの世も下っ端の苦労や悲哀は変わらない。本書で取り上げられた平安の世にも、それはあった。ただ現代と異なるのは、そもそもの構造である。
当時の貴族たちから「下衆(げす)(下司・下種・下主とも)」と呼ばれた下級官人たちは、その門地(もんち)によって任命される官職や昇進の上限が決まっており、一応は個人の能力によって就職したり昇進したりできる(ことになっている)現代から見ると、まことに絶望的な人生を歩まなければならなかった。
その制約は本人だけでなく、子孫にまで及ぶという。歴史や国語の授業を通して触れていた平安時代の出世話や権力闘争は、主に上級貴族たちの話だと初めて知った。「立身出世」という言葉自体が、雲の上のものだったとは。そこには、今の私たちが味わう苦労や悲哀とはまた別のものがあったのだ。
そんな下級官人たちを含めて、本書では「平安」という時代に生きた人々とその暮らしに光をあてていく。著者は日本古代政治史や古記録学の専門家で、現在は国際日本文化研究センターで教授を務めている。これまでに多くの専門書を著し、男性貴族が記した古記録をいくつも現代語訳している。その成果は本書での引用を通して、強く感じられた。
最初に驚いたのはルビの多さだ。どこでも良いので、まずはページを開いてみてほしい。とにかくたくさんのルビが目に飛び込んでくる。あまりの多さに戸惑うものの、読み進めると、それらは確かに必要なものだということがよくわかる。人物名はもとより地名や風習、役職や役所、処罰や衣服に至るまで、初見の名称がどんどん出てくるのだ。それは「同じ国に住んでいながら、1000年も経つとこんなにもわからなくなるのか」と思ったほど。下手をすれば読み方も内容もさっぱりだ。
たとえば、単語になじみがあっても今とは読み方が異なるものを挙げれば、「停止」と書いて「ちょうじ」と読むとか、「相撲節会」と書いて「すまいのせちえ」と読むといったもの。ほかにも「結政(かたなし)」「丹(に)」「釈奠(せきてん)」といった単語は、字面から意味がまったく想像できなかった。まるで外国文学かファンタジーを読んでいるような心地にすらなってくる(なおどの単語も、著者の丁寧なフォローによってちゃんと理解できるようになる)。
本書は全四章から成っている。タイトルの通り、「下級官人」たちの仕事に注目したのが第一章。平安時代に起きた役所内での出来事のうち、事件や事故のエピソードが「これでもか!」という勢いで紹介されていく。ある意味、「ゴシップ集」ともいえるかもしれない。著者は官人たちの仕事や処遇にあたたかい視線を注ぎつつ、一方でツッコミも忘れない。
じつは同情ばかりしてもいられない。「懈怠(けたい)」というのは、本来は精進(しょうじ)に対していう仏教用語で、善を修する積極性がなく、悪は進んでおこなう心の状態であるが、古記録(こきろく)で使用されるのは、職務を怠る下級官人たちについてである。儀式や政務を怠ける官人も多いが、そもそも、ほとんど出勤しない連中がいるのであるから、あきれてしまう。
実例としては、懈怠を理由に天皇の食事や沐浴が用意されなかった話や、現在の警察に当たる検非違使(けびいし)が日の吉凶を気にして出仕しない話などが挙げられていた。程度はともかく、サボり自体は今の世でもありうる話だろう。思わず笑ってしまった。著者は官人たちの怠慢と、そんな彼らによって守られていた宮廷や天皇を「日本の古代王権の特質」と何度も評していた。気持ちはわかる。
第二章では官人と市井の人々が送った平安京の生活を、第三章では疫病や災害といった出来事にまつわる当時の人々の考え方を、そして第四章では官人以外の職種の人々の仕事を取り上げていく。どの話も面白いのだが、飛びぬけて印象に残っているのはこちら。
女性の闘乱も起こった。なかでも興味深いのは「うわなり打(うち)」という、離縁された前妻(こなみ)が後妻(うわなり)に嫌がらせをする習俗である。前妻が憤慨して、親しい女子を語らって後妻を襲撃し、後妻の方でも親しい女子を集めて防戦に努めたという。
「そんな習俗があったんだ!」と、のけぞってしまった。そして廃れていてよかったと、つい胸をなでおろす。
ほかに、清少納言の兄の話や初めて切腹をした者の話なども興味深かった。巻末には年表や平安京の地図、内裏の見取り図も収録されている。全体として情報量が多く、読みごたえたっぷり。だから自分の知りたいことに合わせて、好きな章から読むのもありだろう。本書を通して、平安京の新たなリアルにぜひ触れてみてほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。