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2021.12.17

レビュー

年々、夫や妻が理解できなくなるあなたへ──。長すぎる老後を楽しむ作法

なんだか、本なのにまるで目の前の舞台や生放送を観ているようなドキドキ感だった。この場に散りばめられた言葉が役に立つ、感銘を受ける、というのはさもあれど、それにもまして、お二方の魅せた「何幕かのお芝居」がなんとも見どころたっぷりだった。

お二方とは、ご存知「朝ナマ」のレジェンド、ジャーナリストの田原総一朗氏と、元NHKアナウンサーで、いまや押しも押されもせぬベストセラー作家、下重暁子さんのお二人である。のっけから、年齢の話で恐縮だが、御年87歳と85歳という「人生の大ベテラン」としか形容のしようがないお二方である。

直接的に「死」を語るわけではないけれど、だれもが避けては通れない「人生の締め切り」を前に、彼らが語る、男女「それぞれの作法」。男なのか女なのか。若い人なのか中高年なのか。家族持ちなのかそれとも独身者なのか。読者がどの立場にいるかによっても、伝わるものが違うのかもしれない。ここらへんが、この本の紹介の難しいところ。

もちろん、彼らの意見は(なんらかの意味で人生の締め切りを意識し始めた)「中高年」にはぐぐぐっと響いてくるけれど、若者にはちと早い(かもしれない)。夫婦関係のあり方にしてもこれだけ「多様性」が認められつつある世の中なので、彼らの表現になんらかの「違和感」を感じることもときにはあるのかもしれない。それはしかたのないことだ。

だが、いちばん強調したいのは、このお二方には、世代を超えた圧倒的な「男の子らしさ」「女の子らしさ」がある。男らしさ、女らしさではない。性差が社会での役割として際立ってくる前のもっと原初的な男女の「あり方」の違いみたいなものが、読み進めていくうちに、どんどんとあぶり出されてくる。

ちょっとだけ脱線させてもらう。いまから20年以上も前、私は某雑誌で、田原総一朗さんの対談のアンカーマンを務めさせていただいていた。勝新太郎さん、丹波哲郎さん、三國連太郎さんなどの大物俳優に始まり、YKK時代の小泉純一郎元総理に至るまで、数々の「超大物」たちとの対談連載は数年にわたり続いた。

ゴリゴリの政局話の合間から舌鋒鋭く切り込んでいく田原さん。また同時に、女性問題を追求したはずの勝さんに「え? 今の話、本気にしてたの? 純粋だねえ、田原さんは」とからかわれていた田原さん。硬派な雑誌だったせいもあるが、(いまの男女平等社会とはちょっと違って)なんとも「男臭い」仕事だったことを覚えている。

そんな縁もあり、私は完全な田原信者である。お年を召された姿に若者がなんらかの「異議」を唱えても、それは私の耳には入らない。そんな田原さんが、下重さんの前でもじもじしてる(ように感じる)。田原さんの相手に対する、あるいは女性に対する推量が、「それは違います」(意訳)と即座に跳ね返されている。「元祖熱血ジャーナリスト」の熱量で、ときには相手を一喝してきた彼が、神妙に聞き入っている。ゴクリというつばを飲み込む音が聞こえるかのような静けさで。いや、その場にいたわけではないので、やはりそれは読み手である私の固唾を飲む音なのではあるのが、とにかくふたりのさまは、まるで青春時代の教室での会話のようだ。

たとえば、「人間はなんのために生きているか」という話。田原さんが下重さんに訊く。

田原 (略)ズバリ訊くと、下重さんにとって生きる目的はなんですか。
下重 (略)私にとって生きるというのは自己表現をすることです。極端に言えば、自己表現をしてない人は、どれだけ元気でも死んでいるのと同じだと思っています。だから、どんな形でもいいから生きている限り、何か自己表現をしなきゃいけない。
田原 それ、言葉ではわかるけど、簡単じゃないですよ。自己表現するといっても、他人がそれを表現だと認めない限り、表現したことにならないですよね。
だから、物書きでも絵描きでも、他人から認めてもらおうと、一所懸命に自己アピールするわけ。でも、下重さんは他人には認めてもらわなくてもいいんでしょう。
下重 私にとっては自己表現することが目的であり、認めてもらうことが目的ではありませんから。私の経験から言いますと、自分から無理やり認めてもらおうとしなくても、表現活動を続けていれば、いずれは必ず認められるものですよ。
田原 (略)そこがね、僕と違うの。凄いね。
(略)
田原 絵描きでも作家でもスポーツ選手でも、やっぱり他人に認めてもらいたい、そのために頑張るんだと僕は思うんだ。僕なんか特にその傾向が強いけど、とにかく褒められたい。でも、下重さんはそこがない。
下重 完全にないわけではありません。褒められたり、評価されたりすれば、それは嬉しいです。でも、それは結果でしかない。それがあってもなくても表現を続けるということには変わりないわけです。

何気ないやりとりだが、私にはずいぶんと男女の違いを表しているように思える。褒められたがりの男と、そんな実体の「怪しい」ものにこだわることなく前に進む女。おおまかではあるが、そのように感じ、私もまた男性陣に味方する。余談だが、高倉健さんのエッセイの題名も、『あなたに褒められたくて』であった。

もちろん、どっちがいいなどという話ではなく、ただただ違いがある。

いや、しかし、書評に手を挙げたはいいが、人生の大先輩たちが語りおろした著書への大上段に構えた解説なんてものはできるわけもなく、はなはだやりにくい。

最後に引用をもうひとつ。

本のなかで、「生涯現役」のひとつとして恋愛の話に触れている。

田原さんは、
「70歳、80歳になっても今の高齢者は元気だから、恋愛もしたいし性欲もある。女性も元気で長生きなんだから、お互い需要と供給があるはずなのに、なぜかうまくいかないですね。それはなぜ?」
と下重さんに水を向ける。

下重 (略)子ども時代の教育の問題もあると思う。私たちが10歳くらいのころに日本は戦争に負けて、憲法が新しくなって、そこで男女の問題っていうのも変わりましたね。男女共学というのが始まったじゃないですか。
田原さんは同じクラスに女の子はいたんですか?
田原 いや、小学校5年生の1学期までは別学ですよ。女の子と口をきいたら、上級生から殴られましたよ、ほんとに。
ところが、新制中学へ行ったら男女共学。それから、困ったのがスクエアダンスの時間があるの。男女でね、手をつないで踊れって。
下重 ありましたね、スクエアダンス。
田原 いきなり手をつないで踊れと言われても、女の子と口をきいただけでぶん殴られる時代に育ってきたから手をつなげるわけない。僕だけじゃなくてみんな。そしたら、教師が『1、2、3って言うから、3でつなげ」、無茶苦茶です。
下重 それですぐ慣れました?
田原 慣れない。結局、中学校、高校を通して、女性と恋愛をしたことは一回もない。ダンスの授業以外で手を握ったこともない。
下重 田原さんが昭和9(1934)年生まれで、私が昭和11(1936)年なので、年齢は二つしか違わないのに、そこはずいぶん違いますね。
私は、高校生のときには、もう決まったボーイフレンドがいましたよ。そういう男女平等みたいなものは女性のほうが受け入れやすかったのかもしれないけれど、これは男女の差というより、個人の性格の差ですかね。田原さんは高校でも恋愛に至ることはなかったわけですよね。
田原 なんだか、怖くてね。

こんな「純」な話から、若い女性への性的関心、高齢者のセックス問題へと話が進展していく。

まだまだ引退はしない、朝ナマの途中で机に突っ伏しながら(無粋に)死んでいくと宣言する田原総一朗さんと、人間は昨日と今日で違う自分を見つけることもある、だから、まだまだ書いていないものを書き、茄子紺色の夕暮れ時に、暗闇との境目に(幻想的に)吸い込まれていくように死んでいくと語る下重暁子さん。

男と女はかくも違うし、そしてまた、人と人もじゅうぶんに違う。

本書の帯に書かれた「年々、夫や妻が理解できなくなるあなたへ」の文字があまりにも重い。もちろん、この本は「相互理解」への一助になってくれると思う。だが、何よりも、男女ともに、人がいつまでも現役でいるというのはこういうことなんだなと、改めて教えてくれる本だ。

レビュアー

中丸謙一朗

コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。座右の銘は「諸行無常」。筋トレとホッピーと瞑想ヨガの日々。全国スナック名称研究会主宰。日本民俗学会会員。

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