昔、財布を落としたことがある。紛失したことに気づいたのは翌日だった。血相を変えて出向いた交番で、調べてくれた警官に「警察署へ届いていますよ」と告げられた時は、心底ホッとした。そして実際に戻ってきた財布の中身は、すべて無事だった。嬉しかった半面「本当にそのまま戻ってくることがあるんだ!」と、驚いたのを覚えている。
そんな経験を持つ人は海外にもいるらしい。著者は日本に旅行で訪れた多くの友人から、同様の話を耳にしたことがあるそうだ。一方で、こんな疑問も投げかける。
だが、日本人の意識調査や行動動態の変遷を研究している私からすれば、こうした美談には違和感を覚えてしまう。本当に日本人は困っている人を助けるやさしい国民なのか?──残念ながら、答えは否だ。
例えば、先述した2019年の「世界人助け指数」によれば、「人助け」の項目で126ヵ国中、日本は最下位。「寄付」の項目では64位、「ボランティア」の項目では46位となっている。右のような美談に反して、こうした調査によれば、日本はどうやら「他人にやさしくない」国らしい。
数字が示す結果について、著者は「天邪鬼の私もいろいろ反論を考えてみたくなる」と前置きしつつ、データが基づく条件の設定から「人助け」とは何なのかという定義の見直しまで、さまざまな可能性を洗い出す。その上で、自身が抱いた「本当に日本人は他人を助けないのか?」という疑問について、各種のデータを基に検討を重ねていく。
海外での暮らしが10年以上になるという著者は、現在オランダに住んでおり、フローニンゲン大学で助教授として政治学・国際関係論を研究している。日本という国から離れ、各国の政治や経済、社会を比較することに長けた専門家が本邦の外側から指摘する現状は、この国に生きる者であればどこか思い当たる事柄ばかりでもあった。
たとえば第一章では、社会心理学者の山岸俊男氏の著作や研究を紹介しながら、日本の社会制度についてこう語る。
日本では昔から相互監視と制裁の社会制度が確立されており、そうした社会の中では、日本人は他人を信頼できるし、助け合いをすることも助長される。ただし、ここで言う助け合いは、制度によって半ば強制された、他人からの好意に対して返礼をしなければ何らかの社会的な懲罰を受ける、という受動的なものとも捉えられるし、制度が担保してくれた他人への安心感や好意から(半)能動的に生じるものと考えることもできるだろう。いずれにせよ、制度に頼った信頼や助け合いは、その制度がなくなった途端、蜃気楼のように消えてしまうだろう。
こんなふうに、本書の前半では「日本人の人助け」の内実や、「そもそもなぜ人は人を助けるのか」といったテーマについて分析していく。後半ではその分析から、日本という国における公助のあり方についてベーシック・インカムといった具体例を示しながら、さらに考察を重ねている。
全体は113ページと短く、やわらかい語り口もあってかなり読みやすい。著者が挙げる多くのデータにより、読み手は我が国の置かれた状態を新たな形で把握できるだろう。それはまた、自分自身の今と未来を見直すきっかけにもつながるかもしれない。社会に生きる一人として、著者の視点を借りながら見えなかったものと向かい合う契機としたい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。