自分の "好き"を仕事にしている人は、一体どれ位いるのだろうと思うことがあります。しかも、その世界で唯一無二の存在になるにはどうしたらいいのかは、多くの人が知りたいのではないでしょうか。
"ハコフグの帽子"で「ギョギョッ!!」と発する"さかなクン"を初めて見たとき、失礼ながら1発を狙いに来た芸人さんだと思ってしまいました。
しかし、喋り出すと魚の知識は深く、どんな事でも瞬時に答える様子から芸人さんではなく、長年、魚の勉強をしてきた人だということがすぐにわかりました。
その後、クニマスの生息確認に貢献したことが評価され、内閣総理大臣賞を受賞。 “さかなクン”は正真正銘の魚博士で、“好き”な仕事で成功した人という印象に変わったのですが、その道のりは決して順調ではなく、“ハコフグの帽子”にも深いわけがあったのです。
“さかなクン”が魚に興味を持つようになったきっかけは、小2のときの友達が描いた絵でした。
黒いものをモクモクと発射しながらウルトラマンと戦う数本足の生物に度肝を抜かれたミーボー(さかなクンの子供時代の愛称)は、それがタコだということを図鑑で知ります。
これ以来、生きているタコが見たいと、海にタコ獲りに行ったり、水族館でタコ壺からタコが出てくるまで1日中待ち続けていたそうです。
しかし、母親からプレゼントされた魚の下敷きを見て、魚にも興味を持つようになります。
最初に好きになったのが、「水墨画のようにぼや~んとした地味な模様」のウマヅラハギ。小学生なのにシブい!!
“さかなクン”の凄いところは、何事も徹底していること。
魚を見るために自転車で40分+電車で2駅の大きな魚屋さんに、中学を卒業するまでの7年間足しげく通い、店員のお兄さんとも仲良しになるなど、とにかく“好き”に対して真っ直ぐなのです。
水族館にも毎週のように通い、授業中も魚の絵を描いてばかり。
当然、成績は芳しくなく、先生からこのことを告げられるとお母さんは、
成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんながみんな一緒だったら先生、ロボットになっちゃいますよ。
お母さんはいつも、ミーボーの “好き”を尊重し、大事にしてくれていたのです。
中学に入ると吹奏楽部に入部しますが、部室の隅でカブトガニを飼育。水族館でも滅多にない卵の孵化に成功します。
高3の時には、「TV(テレビ)チャンピオン・第4回全国魚通選手権」で優勝。
やっぱり成功する人は最初から違うなぁと思っていたら、ここからが試練の始まりでした。
まず、憧れの水産大学に入るための一芸入試に失敗。専門学校の水族館実習でも失敗ばかり。卒業後は、熱帯魚屋さんとお寿司屋さんでバイト。
それでも、大好きな魚の絵は描き続けていたそうです。
すると思わぬところから転機がやって来て、魚専門のイラストレーターとして生計を立てるようになります。そしてお魚仲間との出会いも増え続けていきます。
そこには強面であろうがヤンキーであろうが、誰とでも仲良くなれる“さかなクン”の人柄の良さと、小さなご縁も大切にしてきた素直な人間性が表れています。
こうしてついに2001年、「動物奇想天外」(TBS系列)でお魚ナビゲーターをやる仕事が舞い込みます。
ところが、何度やってもNGばかり。元々人前で話すのが苦手な“さかなクン”。一芸入試に落ちたのも、実はうまく喋れなかったからでした。
そこで考えたのが、“ハコフグの帽子”。大きな魚に弾き飛ばされても一生懸命なハコフグのように頑張ろう!!と思ったのがきっかけでした。
現在は、東京海洋大学客員准教授・名誉博士という肩書きを持つ“さかなクン”。
実はこの大学の前身は、“さかなクン”が入りたくて仕方なかった憧れの大学。
つまり、一度は消えたと思っていた夢が、巡り巡って復活したわけです。
大人になると現実を思い知らされ、夢は夢として消えて行く……と思いがちです。しかし、好きなことを続けていれば、消えかけた夢もいつしか現実になることをこの本から教えられました。
レビュアー
「関口宏の東京フレンドパーク2」「王様のブランチ」など、バラエティ、ドキュメンタリー、情報番組など多数の番組に放送作家として携わり、ライターとしても雑誌等に執筆。今までにインタビューした有名人は1500人以上。また、京都造形芸術大学非常勤講師として「脚本制作」「ストーリー制作」を担当。東京都千代田区、豊島区、埼玉県志木市主催「小説講座」「コラム講座」講師。雑誌『公募ガイド』「超初心者向け小説講座」(通信教育)講師。現在も、九段生涯学習館で小説サークルを主宰。
公式HPはこちら⇒www.jplanet.jp