昨年の4月に新しい元号が発表された時、驚いたことがあった。それは新元号「令和」の「令」の字の、下部について。いつも私はその部分を「マ」の字で書いていたのだが、官房長官の掲げた額の中の文字は「卩」。簡単な漢字だからこそ、「まさかずっと間違って覚えてた……!?」と、思わず目を見開いてしまった。
その後、同じように感じた方が多かったのか、テレビのニュースで取り上げられているのを見た。そこでは「どちらの書き方でも間違いではない」という話になっており、ホッとした半面、「きちんと定められているはずの漢字に、どうしてそんな曖昧な使い方があるんだろう……」と、どこか不思議な気持ちだけが残った。
本書では、日本人の暮らしの中で日常的に見かける漢字の話から、漢字という「表意文字」が発祥からどんな歴史をたどり、成立してきたかという専門的な話まで、漢字にまつわる様々な側面が縦横無尽に語りつくされている。著者の博識ぶりはもちろんのこと、その鋭い観察眼と探求心のたどり着く先が気になって、どんどんと引き込まれていく。
特に著者が旅先で見かけた一文字から、その土地や生き物の物語を紐解いていく流れは、まるでミステリーの謎解きのよう! もはや「漢字探偵」といっても過言ではない。読んでいるこちらまで心が躍り、著者の華麗な「漢字さばき」に、何度も驚かされては楽しんだ。
そしてその謎解きの一つに、「令」の字の書き方と読み方の話があった。「令和」という元号についての出典や解説も添えられていて、昨年から私が抱いていた不思議な気持ちは、「探偵」の手によりあっという間に氷解した。せっかくなので詳細はご自身の目で読んでほしいところだが、ここでは少しだけご紹介しておこう。「令」の字の下部がいずれの形でも良いとされた理由には、「書体」と「教科書」の存在が深く関わっていた。
現在の日本で出版されている国語辞典や漢字辞典も、どこの会社のものであれ、ほぼすべて明朝体で印刷されているから、「令」は下が《卩》になっている形で辞典に掲載されている。しかし小学校の漢字教育だけは、ちょっと事情がちがう。というのは、小学校の教科書は明朝体ではなく、手書きで書く漢字の形にあわせて設計された、「教科書楷書」という書体で印刷されているからだ。──
つまり、小学校の教科書などに載っている「令」の字の下部は、印刷時に使われる書体ゆえに《マ》の形になっていて、中学校以降は書体が明朝体へ変わることにより《卩》の形になるという。個人的には《卩》よりも《マ》で書く方が身についているため、著者がほかの例として挙げていた「冷」の字も、疑問なく《マ》の形でしか書いたことがなかった。元号変更の話題で気が付かなければ、一生知ることのなかった違いかもしれない。
ちなみに、かつての中国や日本で実際に書かれてきた「令」の下部は、《マ》と《卩》、どちらも入り混じって存在していたそうだ。そのため、昔の人々にとっても「どちらの書き方もアリ」という漢字だったことがよくわかるし、「どちらも間違いではない」という結論にも頷けた。
他にもひそかに気になっていた「シンニョウの辺の点は一つか、それとも二つなのか」問題や、人名用漢字の変遷についても触れられていて、この機会にまとめて「漢字の謎」をいろいろ解き明かすことができた。まさに「漢字探偵さまさま!」といった気分。
後半部では、「表意文字」としての漢字の成立や歴史がボリュームたっぷりに、でもわかりやすくつづられている。私のような単なる漢字好きだけでなく、専門的な知識に触れたい方にも力強くお勧めできる。タイトルにいつわりなしの、まさに私たちのための漢字入門書! 読みながら、そして読んだ後で、さらに漢字を楽しんでほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。