外食でワインを選ぶ時は、同行者の好みか、店のメニューに書かれたおすすめから決めることが多い。特にこだわりがなく、選び方に自信もないためだ。
「ワインのこと、改めて知りたい気もするけれど、今更いったい何から知ればいいの……」とぼやきつつ、本書のプロローグを読んでみた。すると意外にも、いきなり何度も頷かされてしまった。
ワインは難しい。ワインはよくわからない。いまなお、このようにいわれるのを、たびたび耳にすることがある。
かつてよりも、日本人にとってワインは身近な存在になってきている。だが、ふだんワインをあまり飲まない人にとっては、産地や品種、あるいはワインが醸造された年(これを一般に「ヴィンテージ」と呼んでいる)しだいで味が違うだとか、値段が何倍も違ってくるとか、理解できないことが多いだろう。
いやもう、まさにそれ……! この冒頭で一気に肩の力が抜けた。著者は「専門書として専門家が読むことだけを前提」にするのではなく、「ワインのことはわからない(でも知ってみたい)」という読者も中にはいることを、理解し受け止めてくれている──。そんな風に思えたら「大丈夫、この本を読んで、これから知っていけばいいんですよ」と言われた気もして、嬉しくなりページをめくった。
ワインの本場であり、生産地としても長い歴史を持つヨーロッパでは、ワインと文化は常に深く関係してきた。たとえばキリスト教徒にとっては特別な意味を持つ飲み物として存在する一方、世俗の人々にとっても生活に欠かせない必需品であったという。それには明確な理由があった。
今でこそ、安心して水道水を飲める時代になり、パリのレストランでも人びとは普通に水道水を飲んでいるが、近代以前は、水を飲むことは大変危険な行為であり、下手をすると腸チフスなどに罹(かか)って死ぬこともあった。これに対して、ワインは、劣化することはあるが、水よりもはるかに安全な飲み物であった。(中略)十九世紀以前のワイン消費量は、一人当たり年間一〇〇リットルを超えることも稀ではなかったという。
以前「フランスやイタリアでは水代わりにワインを飲む」という話を耳にした時は、浅はかにも単にお酒好きが多い地域なのかと思っていた。こんな理由に根差していたとは……!
でも考えてみれば当然であり、合理的でもある。命を保つための水として必要とされ飲まれてきたからこそ、ヨーロッパにおけるワインは今の位置にあるのだろう。
今日、高値で取引されているワインの大半はヨーロッパ産が占めているという。世界中で生産されるようになったワインだが、同じ品種のブドウで作られても、産地や品質が変われば価格も大きく変わってくる。だからこそ、高価なワインであればあるほど、瓶のラベルに記載された情報は重みをもち、その正確さが何によって担保されているのかも問われてくるのだ。結果として、ヨーロッパではワインを守るための法と制度が整備され、時代に沿った改正も続けられてきた。
ところで本書には、歴史的な事件や人々がよく現れる。昔、授業で習った名称の数々。「アンシャン・レジーム」「モンテスキュー」「人頭税」「第二帝政」「万国博覧会」「英仏通商条約」「西部戦線」……。「ジャック・シラク」に至っては、元大統領であったことや今年9月の訃報は知っていたものの、農相としての過去の活躍は初耳だった。
そんな風に次々と出てくる歴史的な出来事や名称の内容を必死に思い出しながら、ワインと歴史の重なりを知っていく読書は、思いのほか楽しかった。それは専門書を読んでいるというより、「大人の学び直し」に近い感覚だった。
前半はフランス史と法整備を中心に語られていく本書だが、後半では各生産地の制度がどのように確立されてきたかが地域別に説明されていくため、世界史だけでなく地理の復習にもつながった。
ちなみに本書を読んだからといって、いきなりワインが選べるようになるわけではない。ただ、ワインの法制度が整備されていく過程を通じて歴史や地理に触れた分、以前よりもどことなくワインを身近に感じ、親しみが湧いてくるようにはなった。
多くの人々の歩みの上に、今のワインは存在する。次に飲むときには、私たちの歴史に寄り添い続けてくれた良き隣人としての感謝を持ちつつ、そのラベルをじっくり眺めながら飲んでみたい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。