それは、ひとつの「意志」が実現した
新時代=令和のはじまりを、多くの人が祝いました。
じつは、とても久方ぶりのことです。
明治から昭和までは、「一世一元の制」が採り入れられていました。ひとつの元号の終わりとは、かならず天皇の崩御を意味していたのです。
改元を祝すことができていたのは、江戸時代以前の人だけです。当時はめでたいことがあったり、災害や戦乱など不吉なことがあると改元がおこなわれていました。
「一世一元の制」を改めることになったのは平成の天皇の、強い意志によるものでした。本書は、平成の天皇の歩みをたどることにより、いったいなぜ生前退位というかたちで「一世一元の制」を改める必要があったのかを明らかにしています。それは、「象徴としての天皇」とはなにかを追求する旅でもありました。
平成28年(西暦2016年)、天皇はこう語られています。
「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」
失礼をかえりみず要約すれば、「自分はもう80歳をこえて、天皇の仕事を行うのが困難になってきた。引退したい」ということになります。
おおかたの日本国民はこれを「当然だ」と受け取りました。当時のマスコミ報道のトーンもそうでしたし、自分もそう思いました。80のおじいちゃんが現役で仕事している業界なんかそうそうないよ。引退でいいじゃないか。
ところが、お言葉の力点はそこにはなかったのです。
「天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」
再度、失礼をかえりみず要約すれば、次のようになります。
「摂政を置くという手もある。だけど、それじゃダメなんだ。天皇の譲位じゃなきゃいけないんだ」
「象徴」とはなにか? どうあるべきか?
本書は、なぜ天皇が「摂政を置く」ではなく「譲位」にこだわったのかを明らかにしています。本書によれば、平成における天皇の行動とは、それを実現するための「戦略」であったと語られています。
天皇は政治に口を出すことができません。
たとえば、天皇には選挙権がありません。特定の政党や人物に肩入れすることを防ぐためです。
したがって、「摂政じゃダメなんだ、天皇じゃなきゃダメなんだ」という意見は、本来ならあり得てはならない意見です。生前譲位の法律はありませんでしたから、実現するためには具体的に政治家を動かさなければなりません。つまり、これはきわめて政治的な発言であり、天皇みずから発してはならない言葉だったのです。
戦前・戦中を通じて、天皇は現人神(あらひとがみ)であるといわれていました。大日本帝国憲法には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」と規定されています。水木しげる先生も、戦前・戦中の天皇を「カミサマだった」と語っています。
すなわち、法的にも、民衆の実感としても、「天皇はカミサマ」だったのです。
平成の天皇は、カミサマの子として生まれ、自分もカミサマになるものと考えて少年時代を過ごしました。にもかかわらず、即位するときには、天皇は「カミサマ」ではなく、「象徴」とされていたのです。言い換えれば、平成の天皇とは、歴史上はじめて象徴としての天皇を最初から最後までつとめた天皇です。
象徴ってなんだ? 多くの人がそう感じたことでしょう。
平成の天皇は、それを自分のこととして考えなければなりませんでした。
定められた国事行為を粛々とこなすことは求められているでしょう。さらに、神道の各種行事をこなす必要もあるでしょう。
しかし、むしろ「象徴とはなにか」にたいする平成の天皇の解答は、それ以外の行動に表現されていました。
天皇は第二次世界大戦の激戦地に、何度も何度も慰霊に行かれました。皇太子時代、沖縄県では火炎瓶を投げつけられたにもかかわらず、慰霊を中断せず、半年後にはふたたび沖縄を訪れています。また、在位中、靖国神社を参拝することもありませんでした。
さらに、天皇が大事になさっていたのは、被災地の訪問です。
天皇は幾度となく避難所を訪れました。災害が起こってすぐ行ったわけではないのは、タイミングを考えていたからです。自分が行くことで支援の邪魔になってはならない。被災地に宿泊することは絶対にされなかったといいますし、食事も特別な用意をさせず、支援者と同じものをお食べになっていたそうです。
すなわち、平成の天皇は常に「象徴とはなにか? どうあるべきか?」を考え、それを行動にうつされていたのです。その行動には、常に「象徴天皇はこういうものだ」という主張がふくまれていたと言えるでしょう。
本書は、そうした天皇の行動を追いかけるとともに、それに対する政治の動きをドキュメントしています。さきの天皇の発言にたいする著者のコメントは、天皇の意図を表現しています。
かみ砕いて言えば「平成の象徴天皇制どうでしたか? 象徴天皇制このまま続けますか? それともこの際やめますか?」という問いかけである。直ちにやめるわけではなくても、象徴天皇制は適切な「メンテナンス」を怠れば早晩「自然消滅」する可能性が現実にあるので、今のうちに現代と将来の日本にとって天皇制が必要か、必要だとしたらそれはなぜか、そのためには何をしなければならないか、を考えないなら「天皇制やめます」を選択するのと同じである。天皇制は不作為に漠然とあり続けるものではない。
日本が民主国家であるのなら、それを考えるのはあなただよ。
ここには、そんな主張もふくまれていると言えるでしょう。
こんなに泣ける本はない
以下は個人的な感慨です。
俺はこの本を読んで、何回も何回も泣いた。新書を読んで涙を流すなんて、はじめてのことだった。
なんで泣いたかって、平成の天皇の考えを知るにつけ、こんなに日本という国のことを、国民のことを考えている人はないと思ったからだ。月並みな言い方だけど、すごく感動した。
同時に、それを取り巻く一般人たち――政治家と官僚――の醜さも知った。比喩ではなく、吐き気がした。
「保守」とか、ある政治勢力をひとまとめにする考え方はとんでもなく雑だということもわかった。保守って天皇制維持だろ? 大多数の自称保守政治家は、天皇制維持なんか考えちゃいないぜ。彼らが考えてるのは天皇制維持じゃない。現状維持だ。
日本には、崇高な美しさと、どうしようもない醜さが同居している。
ここには、すべての日本人が知るべきことが書かれている。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/