本書は、ビットコインに代表される暗号通貨(仮想通貨)の特色を簡略に述べたものです。ただし、そのしくみだけに着目しているのではありません。『暗号通貨の経済学』というタイトルどおり、本書は暗号通貨の経済的側面に重点を置いて述べられています。暗号通貨に関する書物は数々出版されていますが、ここに着目した書物はすくなく、本書は貴重かつ重要な情報をもたらしてくれます。著者は経済学者です。
暗号通貨はなぜ「お金」と認識されるのか。それを述べるために、著者は「お金」というものの性質について、かなりの分量を割いて論述しています。
お金をお金たらしめるのは、「みんながお金を利用するから、自分もそうする」という「しがらみ」状態です。これは、集団的な振る舞いであって、個人の判断だけでは実現できません。つまり、お金がお金の機能を果たすには、ある意味で「みんながよってたかって支える」ことが必要なのです。これは公共性に他なりません。
お金ってとってもミョーなものです。たとえば1万円札。1万円札は1万円のモノと交換可能とされていますが、あんな紙切れに1万円の価値があるはずがありません。原価は数十円といわれています。つまり、数十円の紙切れに「1万円の価値がある」と信じ込ませて流通させているのです。
この信用を与えているのが、国です。円の場合は日本です。海外旅行を経験した方ならご存じでしょう。ほとんどの場合、円は日本の外では価値を持ちません。日本が与えた「信用」がなくなるためです。1万円札は本来の「紙切れ」という本質をあらわにしてしまいます。外国に行くと両替しなくてはならないのはそのためです。
つまり、なんらかの通貨を使うことは、その通貨を発行している国を介在させることでした。暗号通貨はこれを解消しました。これが「暗号通貨は非中央集権である」といわれるゆえんです。
国って、すごくあいまいなものです。四方を海にかこまれた日本ではあまり実感できませんが、大陸には国境線というものがあります。道路のこっち側はA国であっち側はB国、この線からは公用言語も通貨も変わりますよ。そういう「線」があちこちにあるのです。
こことそこは地続きじゃないか。気候も気温も湿度も海抜も変わらないじゃないか。農作物も植生も一緒、自然が与えた条件はまったく同じなんだ。なのに、政治システムも経済システムもちがうって、おかしいだろ!
まさに正論ですが、その正論は通用しません。国境線とはそういうものです。
しかもこの「線」、人為的なものですから、しょっちゅう変わります。夏目漱石が樺太に中学校の校長をしている同級生がいる、と書き残しています。樺太は当時、日本領だったので、公務員たる先生は樺太に赴任することもあったのです。当然、樺太では日本の通貨が使われていました。
漱石の時代はそうだったのですが、今、樺太に1万円札を持っていっても、何それといわれるだけでしょう。樺太は日本が円に与えた「信用」が通用しない場所になったからです。
どちらの例もまったくくだらねえと思います。人が決めたルール、しかも自分の都合ではなくしょっちゅう変わるルール。それってどうなのよ。囲碁将棋やトランプゲームのルールのほうがずっと長生きだし、しっかりしてるよ。
かといって、従来はそれに唯々諾々としたがうほか方法はなかったのです。
暗号通貨はそれを解消してくれました。人を自由にしたのです。これが希望の技術でなくてなんだろう!
しかし、本書を読むことで、こんな感慨も生まれました。
お金には、取引に使われる以外に重要な役割がある。そのひとつが、景気のコントロールだ。現状では、暗号通貨にその役割を果たすことは難しいのではないか。
お金ってなんだろう。国ってなんだろう。
本書は、暗号通貨をきっかけに、そんな根本的問題を考える機会を与えてくれる良書であります。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/