このまま会社に勤めていて、将来は大丈夫なのだろうか。そう漠然とした不安を持っていても、どう動けばいいのか分からずにそのまま……という方は多いのではないでしょうか。本書は「すべての中流家庭は貧困化する」とズバッと言い切り、そこから抜け出す方法について書かれた本です。
先進国では中流家庭の消滅が進んでいます。アメリカのトランプ政権は、ラストベルト(赤さびに覆われた地帯)と呼ばれる、中流世帯の生活が成り立たなくなったアメリカ中央部の工業地帯のアメリカ市民たちに支持されて誕生しました。
「なぜ自分たちがみじめな生活に追いやられてしまったのか、その理由はわからない」という正体の見えない何かへの怒りが、トランプ支持者を全米の半数にまで引き上げたのです。
先日、TV番組を観ていたら世界最大の自動車産業都市として名を馳せたアメリカのデトロイトの緑化計画が放映されていました。街の中心部が廃墟のようになっており、誰も住んでいない家の庭を利用してトマトやナスの苗がそこかしこに植えられているのです。
このデトロイトの姿は、未来の日本かもしれません。アメリカでは、ここ30年で実質所得が30%も下がっているのだとか。真面目に会社に行って生活していただけなのに、突然会社がなくなって、仕事と収入を失い、貧困層に転落する。それが一気にではなく少しずつ進むので、気づかないうちにそうなってしまうのです。
著者は、日本経済も虚構の上に成り立っていると言います。「銀行は潰れない」「年金はもらえる」など国を信じて委ねている人が多いから回りますが、それが破綻したときに守ってくれる人がいなかったら……? 私たちは、そこから目を背けて生きているだけなのかもしれません。
著者は、自己防衛のためにはサラリーマンとして給料を得つつ、同時に投資をやっておくべきだと説いています。具体的な方法を見ていきましょう。
本書では65歳になった時点で5000万円のお金を持っておくことを推奨しています。その根拠としては、5000万円あって6~10%の運用利回りで回していければ年間300万円から500万円のお金を生み出すことができるので、それで生活していけるというもの。
その5000万円を確保するために必要なものは「複利の力」。それを生かし、アメリカの株式市場に投資していくのです。
ちなみに、著者が米国以外の株をすすめない理由は以下です。
日本の株式市場には、日銀の政策で一時的に株価が膨らんでいるといった人為的な歪みがあります。また東芝事件でわかるとおり、上場株式に対する情報開示とその不正に対するペナルティも曖昧で恣意的です。その点では安心して長期投資ができる市場ではありません。
中国の株式市場も活況ですが、こちらは情報公開がさらに信用できないうえに投機熱が高すぎて株価が乱高下しています。それらと比較してアメリカの証券市場は比較的フェアに動いているというのが私の認識です。
現時点での年齢とそれに応じた投資額の目安はこの表の通りです。
著者がすすめているのは、アメリカの大企業500社の株価を平均して算出したインデックス「S&P500」。ここ40年ほどの「S&P500」の利回りは年平均で7.1%です。複利の力を使うので、若く始めれば始めるほど少ない金額で増やすことができるというもの。
一般的に投資の方法としては「国債」「不動産投資」「株式」の3つへの分散投資が王道とされています。著者は、米国株式への一点投資を推奨。分散投資の場合は年に2%くらいの利回りにしかならないというのがその理由です。
日本の株の場合は、東京証券取引所で購入できる株の単位は100株からですが、米国株の場合、1株単位から購入できることや、半期ごとの配当が多い日本株に比べて配当が四半期ごとにされる会社が多いという特徴があります。最低数十万円の資金が必要になる日本株に比べると、1万円程度から購入できる米国株のほうが資金が少ない人にとっては入りやすいといえるでしょう。
ただ、アメリカに住んでいない私たちは日本国内の株に比べて「肌感覚で企業の成長、衰退を感じられない」という点では不利になりますよね。日本の株式市場でも「テンバガー株」といわれる1年で10倍にも株価が跳ね上がった銘柄があります。
「あのとき買っておけばなあ……」と後悔するのは、何もしなかった人。著者の予想する"これから来るテンバガー銘柄"がある市場は「自動車」「人工知能」「医療」だとか。
これから伸びる株は、何気ない日常の中にヒントが隠されているといいます。読んですぐ行動する人こそが貧困層にならずに生き残れる人なのかもしれませんね。
レビュアー
20代のころは探偵業と飲食業に従事し、男女問題を見続けてきました。現在は女性向け媒体を中心に恋愛コラム、男性向け媒体では車のコラム、ワインの話などを書いています。ソムリエ資格持ちでお酒全般大好きなのですが、花粉症に備えて減酒&白砂糖抜き生活実践中。