小林秀雄が晩年に言っていました。
「おれはついにドストエフスキーはわからなかった。あれはキリスト教の信仰がないとわからないんだ」
自分は即座に、アンタがわかんなかったら誰もわかる人いないよ、とツッコミを入れました。
小林秀雄はその名も『ドストエフスキイの生活』という著書もあるたいへん高名な評論家です。西洋の思想や芸術についても、すさまじい知識と卓見を持っていました。その人が生涯をかけても「わかんない」というんですから、キリスト教はやはり、その内部に入らないと(信仰しないと)理解できないものなのかもしれません。
だからって読まないのはもったいないよ。それが本書の主張です。こう語られています。
この本は「ゆるく、ざっくりと」キリスト教に「親しんでもらう」ことをコンセプトにした本です。キリスト教を「理解する」ためにはもっと他のまじめな本を読んでいただく必要がございます。
アメリカ在住の映画評論家・町山智浩さん(原作者の熱烈なラブコールあって、実写映画『進撃の巨人』の脚本を手がけた人)は、「旧約聖書はおもしろいよ。だって酔っぱらいの話とエッチな話ばっかりしてるんだもん」と言っていました。
酒飲みたくて、エッチしたくて、ラクしたくて、ズルしたくてしかたがない。人間はそういうものです。聖書はむろん、人間の崇高さについてふれていますが、それと同等、もしくはそれ以上に、人間のどうしようもなさ・情けなさ・しょうもなさについても語っています。
それは「聖書のおもしろいところ」であるのですが、残念ながらこれまでは、それを得られるのは一部の知識人にかぎられていました。聖書は宗教の書・信仰の書であるがゆえに、親しもうとして近づく人はすくなかったのです。言いかえれば、聖書はとても敷居が高い書物でした。
この本は、その敷居をできるかぎり低くして、「聖書のおもしろさ」を述べた本です。かといって内容が薄いわけではなく、聖書にある程度接したことがある人も、「そうだったのか!」とつぶやく瞬間がきっとあることでしょう。
「クリスマス」「13」「禁断の実」「目からウロコ」……聖書由来の興味ぶかい話題がふれられています。また、「ヤコブはマザコン」「ノアは酒乱」など、聖人のあまりに人間的な側面にふれることも忘れてはいません。聖人を貶(おとし)めたいのではない。キャラクターを明快にしたいのです。
また、聖書に親しむために障害となるだろう箇所についても、臆することなくふれています。
旧約聖書のいくつかの章は「退屈なので読み飛ばしていいです」とハッキリ言っています。また、新約聖書はアブラハムからイエスまでの系図を語ることからはじまっていますが、これも「恐ろしく退屈な系図」だと語っています。
聖書のもっとも大切なところはどこか、ポイントはどこかという問いにも答えています。おそらく、「重要なのはそこだけじゃない」「これを語らなければはじまらない」そんな意見は山ほど寄せられているでしょう。しかし、あえて「中心」を示すことによって、全体を把握しやすくしているのです。
世に「入門」と題した本は数多くありますが、実際には名前に入門とあるがまったく入門者向けではないものも多く存在します。しかし、本書はタイトルどおり「入門」です。とにかく入りやすくすることを第一義にして書かれています。
この本を読み終えた誰もが言うはずです。
「こんなにおもしろい世界があったなんて知らなかった。じつに残念だ!」
著者はそう感じた多くの人に語ることも忘れてはいません。
「次のアクションはこれだよ」「次に読むべき本はこれだよ」
聖書の入り口としてこれ以上のものはそうそうないと断言できる、真の「聖書入門」です。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/