インスタグラムは、投稿する人の「まなざし」や「美意識」との相性が抜群にいい。スープが透き通る醤油ラーメンも、見下ろしたマノロのつま先も、手のひらにのせた貝殻も、老犬の寝顔も、その人が「いい」と思った瞬間がよくわかる。「“映え”ですか?」と冷やかす声は聞き飽きた。誰かにとっての「いい」なのだから、“映え”て当然じゃない? と思う。
数年前から正方形ではない画像もアップロードできるようになったが、インスタは、やっぱり真四角に切り取られたスタイルが好きだ。だから『茶のある暮らし』の真四角でぽってりと分厚い姿形が大好き。しかも表紙の写真を見て!
畳の目、お薄の鮮やかな緑、淡い色の美しいお茶碗。静か。いい。ザッツインスタグラム。
「お茶」を好きになるきっかけ
本書は、茶道武者小路千家の家元後嗣(こうし、と読む。跡継ぎという意味です)の千宗屋さん(@sooku_sen)の、お茶を中心とした日々を綴ったインスタ本だ。インスタの画像を中心としているが、お茶にまつわるコラムも面白い。(英訳もついているので海外対応もばっちりだ)
こちらは「大福茶(おおぶくちゃ)」という武者小路千家の元旦行事の風景。真っ暗ですよね、朝の五時です。いきなりおごそか……。
「茶の湯」で、しかも「家元」と聞くと、少し身構えてしまう人もいるかもしれないが、お茶を好きになる美しくて楽しいきっかけが沢山つまっている。
かつてお茶をしていた人は、懐かしさが込み上げて「ああ!」と思うかもしれない。私の家のお茶は表千家だったけれど、流派が違っても「お茶」のコアや美しいところは同じなので、お釜の湯気や茶道具たちの写真を見て、なんとも言えない優しい気持ちになった。お湯が沸く音、水屋にならぶ道具を眺めながら亭主が戻ってくるのを待つ半東さんの時間、「ふくささばき」が綺麗にできたときの嬉しい気持ち、炭の香り、時々いただける濃茶のスペシャル感。「お茶ってやっぱりいい」と思った。
すべてに「季節」がある
さて、沢山の「お茶を好きになるきっかけ」のうち、まず紹介したいのはこちらです。
紅梅色きれい……! そしてハッシュタグ「#二月のお菓子」に注目してほしい。お茶のお菓子は、いつでもいただける定番のお菓子もありつつ「この季節にしかない」ものが沢山あるのだ。
十月も温かみがあってかわいい。食いしんぼうは取り急ぎ各月のお菓子ページを探すのも楽しいはずだ。そして、季節があるのはお菓子だけじゃない。花も、道具の取り合わせも、全てに季節感がある。
「#一月の花」。「今日のお茶のために、ちょっとお庭から摘んできました」という感じの優しい花たち。
涼しげなこちらは「#八月の茶」。暑い夏に温かいお茶を美味しくいただけそうだ。茶碗好きとしては毎月いろんなお茶碗を見ることができて楽しい。また、七月の「#灰の手入れ」というオタク心に響いてやまないハッシュタグはこれからもマメに検索したい。
ところで、どうしてこんなに「季節感」が大切にされているのか? という点について、本書のコラムに解説がある。
むしろ、利休の時代の茶会に「季節感」はほとんど見出せません。(中略)重要視されるようになったのは明治以降なのです。
というのも、茶席はあくまで「非日常を楽しむ場」。昔は日常に季節感が溢れていました。もしかしたら「季節感を感じさせないこと」が、当時の非日常だったかもしれません。でも、現在はまるで逆。年中変わらない景色の中で、茶室でしばし季節感を感じるのが非日常となります。
茶室に入ると独特の平べったい気持ちになるのは、そうか、非日常に包まれるからなのか。(たしかに、うちの中で唯一整頓が死守されているのが水屋と茶室だ)
礼儀作法のためじゃない
美しい京都の景色や、お茶の一コマを眺めながら、お茶はスノッブな趣味や礼儀作法の習い事などでは、全くなかったよなと改めて思った。お行儀よりも「大切なこと」と繋がっている気がしてならない。
こうやって自分のためにお茶をさっと点(た)てるだけでも「お茶」なのだ。そういえば、妹の家の食器棚には茶碗と茶筅と茶入れと茶杓がちょこんと並んでいる。それを見つけたとき何かが愛しくてしょうがなかった。お茶室がなくてもお茶点(た)てたいよね。
そして、この本の写真の一つ一つがやっぱり愛しい。季節の美しさと、毎日続くお茶の非日常性と、それらが守ってくれているものの輪郭が伝わってくるからだと思う。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。