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2018.08.27

レビュー

“本物”からネトウヨへ、右翼はどう変わったか? 暴力と差別の戦後史

「うちって、相当右翼だね」
「おまえ、今頃そんなことに気がついたのか。うちは天皇陛下万歳だ」

これは、筆者が20歳の成人式の日に、めずらしく父親といっしょに出かけた際に交わした言葉だった。わたしたちの行き先は、父親の生家、いわゆる「本家」だ。職業軍人であった祖父が仕切っている本家には役所勤務の叔父もいて、その雰囲気は厳格を通り越してもはや時代錯誤。古ぼけた屋敷の玄関の上り口にある神棚の下には、見たこともないような八畳敷の日の丸(の旗)が貼られていた。その日、父とわたしは祖父に成人の報告の儀式(正座させられ祝詞を賜った)を済ませ、そそくさと本家を後にした。帰路での会話が冒頭の言葉である。

そのときわたしが何気なく口にした「右翼」とは何を指していたのか? 正直よくわかっていない。なんせやっと大学に滑り込んだ20歳の若者(馬鹿者)である。せいぜいが、その圧に蹴落とされんばかりの軍国的な祖父の佇まいと、いつも見ていたくせにその日改めて意識させられた日の丸のどでかさに、なにげなく「右翼」の言葉を当てたのであろう。

たとえば私が右翼という言葉を口にするたびに喉の奥から苦いものがこみ上げてくるのは、暴力への恐れを感じているからにほかならない。

著者の安田氏は、「はじめに」のなかでこう綴る。

同感である。冒頭の若き日のセリフも、自分のルーツであるにもかかわらず、暴力を肯定するような空気を持つ本家の大仰な空間を、なかば揶揄するかのようにして交わされた会話だ。幸い、暴力に満ち溢れたような家系ではなかったが、本家の客間には、祖父の「銃剣道十段」といういかにも暴れがちな額入り免状が高々と掲げられていた。

右翼とはなんなのだろうか? ふだんわけ知り顔で過ごしていても、子どもや無知を装う女性に聞かれたときに、いったいどうやって解説すればいいのだろうか? そんなことを考えているときに出会ったのがこの本である。

思想を「右翼」「左翼」に分けることは、18世紀のフランス議会から始まったとされている。議長席から向かって右側が穏健派(保守派)、左側を急進派が占めたことが語源となった。ここまではわかる。だが、それだけでは現状がうまく説明できない。

「右翼」はいつから「暴力」のイメージと結びついたのか。たとえば、天皇批判などがなされると、なぜと右翼団体は動くのか。’70年代に台頭した「新右翼」とはなにか。近年「ネトウヨ」と呼ばれる一団は、いままでの右翼とどのように違うのか。最近の政界でその存在を示している「日本会議」と右翼の関係は。次々と疑問が浮かぶ。これらの問題に、静かにそして丁寧に筆を進めているのが本書である。

この稿を書いている筆者も書き手の端くれである。経済や政治などのさまざまなテーマについて筆を執ることもある。本書は、そんな多くの書き手が嫉妬するほどの丹念で良質な著作である。「天皇」「国家」「右翼」などの、ある意味描きにくい世界を、ブレずたかぶらず逃げず、丁寧に書かれている。

わたしは幼少期を横浜で過ごした。’70年代当時、社会党の飛鳥田一雄(元委員長)が市長を務めた横浜市は、革新政治のお膝元だった。入学式、卒業式などの学校行事で国家が斉唱されることはなく、そらで覚えさせられた(妙に陽気な)「横浜市歌」ばかりを歌わされていた。日教組も革新政治家も奮闘しただろうが、勉強嫌いの中高校生であったわたしにその思想性を吸収する知性はなく、なんとなく学校では「左翼的」空気のシャワーを浴び、また、冒頭のようなかたちで、戦中の「右翼的感性」の影響も少なからず受けていた。

「昭和維新」の大義が、自らの拠り所とする天皇から拒絶されたことのショックは大きかった。そして、本来「反体制であったはずの右翼はこれ以降、体制に取り込まれていく。

本文にあるこの1文は刺激的だった。

「昭和維新」とは、1930年代に起こった国家革新に向けてのスローガンである。経済の悪化や国際情勢の不安定化に伴い、軍部の一部や右翼団体などを中心に「明治維新の精神の復興」や「天皇親政」を求める声があがった。それに呼応して起きたのが、あの有名な「五・一五事件」「二・二六事件」である。

暴力、テロ、クーデター。この時、右翼のイメージが固まった。手段としての暴力を示唆することで、右翼としての存在意義を見せつけた。そこに連なるように現代にも存在する、黒塗りの大型街宣車も、大音量で流される軍歌も、強面を演出する特攻服も、「天皇寄り」というイメージをはるかに超え、その暴力さが右翼のイメージを決定的なものにした。

だが、「維新」を起こした右翼は、天皇自身から拒絶された。このことは大きい。さらに、戦後に入り、天皇は自ら神の座を降りた。人間宣言である。この時、日本の右翼は、「高天原(たかまがはら)の主宰神に連なる系譜としての天皇が存在し、その天皇を万物の中心に位置付けることで、国体を守り切る」という大義さえも、完全に消失したのである。

わたしのつたない解説ではなく、さらなる詳しい戦後史は本書に委ねたい。

右翼は迷走しながらも、数々の大物を生み、幾多の事件を起こし、街に多くの「逸話」や「威勢」を振りまいた。そして、近年は右翼の活動形態も変わった。「辻説法」の猛者である赤尾敏(大日本愛国党初代総裁)が亡くなったのは1990年。もう30年近く前のことである。

「ネトウヨ」と呼ばれる勢力も無視できない。近年の大きな問題はヘイトスピーチである。著者はこう綴る。

差別や偏見を煽る日本の「極右化」は加速度を増している。いや、底が抜けている。差別デモに参加する地方議員がいる。応援に駆けつける国会議員がいる。差別発言を繰り返す議員がいる。(中略)もはやヘイトスピーチは「草の根」の専売特許ではない。社会の上と下で呼応しながら、差別のハードルを下げ続けている。

「私たちは右翼の大海原で生きている」
著者はこう語りながら、「差別社会」に対し、静かに異を唱える。

思想はともかく、はたして組織としての右翼など本当に必要なのであろうか? そんな疑問すら湧く。

右翼を「民族の触覚」と表現したのは、民族派の重鎮として知られた野村秋介だった。

こんな1文からはじまる本書は、日本人たちが日本人としての軸を失いつつあるいま、絶対に読んでおきたい本である。(敬称略)

レビュアー

中丸謙一朗

コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。座右の銘は「諸行無常」。筋トレとホッピーと瞑想ヨガの日々。全国スナック名称研究会主宰。日本民俗学会会員。

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