シニア──いわゆるリタイアした世代には、添乗員つきのパッケージツアーが適当なように思える。添乗員がいれば、名所旧跡の説明をしてくれる。こちらの質問にも答えてくれる。地元のおいしい店にもつれていってくれるし、土産物屋にも立ち寄ってくれる。そして、これがすごく重要なのだが──最近のパッケージツアーはリーズナブルだから、とても参加しやすいのだ。
「エジプトでピラミッド見てラクダ乗って帰りにタジ・マハール見て3日で3万円。最高級カレーも食べられるのよ! これって絶対行くべきじゃない!」
すこし誇張があるにしても、旅行会社が企画するパッケージツアーはたいがいそんなもんである。海外国内にかかわらず、行程の中に名所旧跡をたくさん盛り込み、短い日数で多くをまわり、数えあげられないほどの経験を積ませようとする。
本書によると、大手旅行会社の幹部はこう語っているそうだ。
「ツアーは詰め込めば詰め込むほど売れる」
短い期間でたくさん回れた方がおトク感が出るから、当然のことかもしれない。
そのために、スケジュールは分刻みの、とてもタイトなものになる。早朝から夜まで観光名所をひたすら回り、まさに足が棒に変わるまで歩かされる。ハードな行程が連続するから、おいしい料理だってほとんど喉を通らない。
「旅行なんてもう嫌だ」
そう感じる人がいてもまったくおかしくはない。
だけどもう一度考え直してみてくれよ。旅行ってそういうもんじゃないんだよ。
それが本書のスタンスだ。
本書は大きくわけてふたつのパートにわかれている。
ひとつは、名所旧跡は少ないけれども、自分でテーマを立て、それにしたがって旅行をした、そのレポートだ。
「ジャズのルーツを探す旅」「カレー文化をたどる旅」「標高5000メートルの天空を行く旅」
読み物としてすごくおもしろいばかりである。それぞれテーマが選ばれているけれど、若干パーソナルであり、移動距離が大きいものが多く、パッケージツアーには向かないものばかりだ。自分で予定を組み、自分で飛行機のチケットや宿を押さえる個人旅行こそ、このテーマの探求には向いているだろう。
だが、個人旅行は経験したことのない人間には不安も心配も多い。添乗員つきのツアーを選択したのは、名所旧跡にひかれたばかりではなく、万が一のときに対応してくれる人がいるからだ。シニアになれば健康に問題を抱えている人も多い。若いバックパッカーなら体力の心配も少ないだろうが、自分はもはや高齢者と呼んでいい年齢なのだ。
この本の後半は、こうした「個人旅行をしたことがないシニア」の疑問にていねいに答えるつくりになっている。このテーマの情報がこれほど1ヵ所にまとまったことはおそらく、はじめてだろう。まさに白眉と言うべきものである。
手前味噌になるが、自分はシニアと呼ぶには少々年齢的に若いので、本書の情報をそのまま受け入れられないところもある。だが、身体を悪くしているから、応用できる部分も多く、この本の情報はずいぶん役に立った。また、「ああこれは旅行達者な人が経験に基づいて言っていることだな」と感心することも多かった。
われわれは高度成長をささえたモーレツ・サラリーマンを尊敬している。あんたたちはすげえよ、と思っている。だが、彼が生涯をかけて培った常識の多くは、日本標準であっても世界標準ではない。きわめてローカルな慣習に基づいている。
あなたがたはじゅうぶんやった。そこにしがみついている必要はない。もっと解き放たれたっていいんだ。自由になったっていいんだ。
観光とは、「光を観る」と書く。その土地でしか見ることができない、自分の土地にはない光を感じとれたとき、人はひとまわり大きくなれる。自分はまだ成長できる、のびしろがある──それは、海外でこそ強く感じることができることなのかもしれない。
本書はその格好のガイドブックになるだろう。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/