2018年6月27日、国立がん研究センターHPで「世界初の取り組み~がんの増殖に必要な遺伝情報を読みとれなくする革新的技術開発~ゲノム編集を応用した転写調節技術により、がんの増殖を阻害」という研究が発表されました。(https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2018/0627_2/index.html)
細胞の遺伝子(ゲノム)のレベルでのがんの研究は着実に進んでいます。この本はその細胞・ゲノムでのがん研究の現在と新しい治療法を包括的に、かつ図説を多用してできる限りやさしく解説したものです。
細胞から見たがんはどのようなものなのか、この問いからこの本は始まります。
悪性腫瘍とがん幹細胞
もともと人間の体では細胞の増殖はコントロールされているものです。しかしがん細胞は、このコントロールが届かずに「必要とされる量を超えて」増えていきます。こうして作られた腫瘍と呼ばれる「かたまり」となったもののうち悪性のものががんです。(この本でがんは「悪性腫瘍とほぼ同じ意味」と記されています)
この悪性腫瘍には3つの特徴があります。
1.自律性増殖:勝手に増殖し続けるということ。
2.浸潤と転移:周りの組織に入り込むことと血流・リンパ流にのって体の多の部分に移り、新しい腫瘍を作る。
3.悪液質:栄養不良により体が衰弱。
なぜコントロールがきかない細胞が生じたのか、遺伝的要素を含めてその原因をつきとめようとさまざまな研究がなされています。(細胞の異常増殖は第2章「どうして生じるのか?」で遺伝子のレベルでなにが起きているのか解説されています)
こうして生じたがんが人を死に至らしめる理由は3つあります。
1.がん細胞が増殖し腫瘍が大きくなり、場所をふさぎ出血を引き起こす。
2.腫瘍によって臓器本来の機能がブロックされ正常細胞が動かなくなる。
3.がんによって悪液質に陥り、体力が消耗してしまう。免疫機能も衰えて薬にも反応しなくなる。
ここまでが、がんを考える上で知っておきたい(現在わかっているがんの正体)です。続く「がんがしぶとく生き残る術」「がんと老化の複雑な関係」「再発と転移」ではがんがどのような現象を引き起こしているか解き明かされています。
「再発と転移」は、患者にとってがんが怖いとされている大きな理由ですが、この再発を起こすのは「普通のがん細胞とは異なる『がん幹細胞』である可能性が高い」ことがわかってきました。幹細胞とは自己複製能力と多分化機能を持っている細胞をいいます。
つまりがん幹細胞は「がんを無限につくり出せる細胞」なのです。がん幹細胞は1997年に白血病患者から発見され、その後、いくつものがん幹細胞が発見されるようになりました。
がん幹細胞には2つのやっかいな性質があります。
1.必要でないときには休眠状態に入るため抗がん剤が効きにくい。
2.薬物を排出する性質、細胞死を阻害する分子を発現させるなど化学療法、放射線治療などの一般的な治療が効きにくい。
がん幹細胞は「がんの治療抵抗性や転移にかかわっていて、予後に大きく影響」をあたえることがわかっていますから、これを「標的とする治療が、今後の課題」となります。
「転移」についても遺伝子レベルの研究で明らかになってきたことがあります。
遺伝子がどのような役割を果たしているかの情報も十分に蓄積され、変異を起こしている遺伝子がわかれば、どのような機能に異常を生じているか予測できるようになってきています。転移に関する重要な遺伝子情報は今後ますますみつかると思います。
さらに「転移」についてはこの本に「転移の臓器志向性」に基づく一覧表がのっています。転移の3分の2は「血流循環のパターン」で説明できるそうですが、その説明を図示したものです。
がんのリスクを下げる5つの健康習慣
遺伝子レベルでがんの治療法が研究されている一方で、やはり大事なのは(気にかかるのは)予防法です。重要なことは「生活習慣ががんの原因の6割以上を占めている」ということです。がんのリスクについてこう記されています。
・がんのリスク上げる要因
「確実」と思われるもの:喫煙、飲酒。
「ほぼ確実」なもの:肥満→肝臓がんや大腸がん。食塩・塩蔵品(食品)→胃がん
・がんのリスク下げる要因
「ほぼ確実」なもの:運動→大腸がん。食品では野菜と果物(食品)→食道がん
生活習慣について、「禁煙」「節酒」「食生活」「身体活動」「適正体重の維持」についてのガイドラインが示されています。ぜひ参照してください。そして気になるガイドライン実践の効果はというと……、
この5つの健康習慣を実践する人は、実践しない人または1つだけ実践する人にくらべ、男性で43%、女性で37%、がんになるリスクが低くなると推計されました。
ちなみに、喫煙については「受動喫煙でも肺がんや乳がんのリスクが高く」なります。著者たちは喫煙者も専門医に相談するなりして「禁煙」に取り組むように薦めています。ともあれ、がんになるリスクを下げるにはまずは自分の生習慣を見直すことからです。
がんに立ち向かうゲノム医療
現在、「ゲノム解析」によってがんがさらに解明され、また新しい医療がはじまりつつあります。
最近では、がんにかかわる遺伝子のレパートリーは数百ほどで、そのなかから、臓器や細胞に適したものがいくつか活性化または不活性化されて、がんになると考えられています。
さらにがんの分類の仕方にも変化がおきそうです。これは臓器中心だったがんに対する見方を大きく変えるでしょう。
現在、がんは臓器と細胞の種類によって分類されていますが、遺伝子の種類によってがんが分類される時代がもうすぐやってくるかもしれません。
医療でいえば、一例としてマイクロRNA(miRNA)とそれを運ぶエクソソームの研究がとりあげられています。そして「特定のmiRNAが増えたり減ったりすることで、がんが発生する」ことがつきとめられました。(miRNAのわかりやすい説明、どのような部位のがんがmiRNA増減と関係しているかが示された図も掲載されています)
これはmiRNAを腫瘍マーカーとして使えれば、新しい強力な診断法になりえるということです。
「細胞障害性抗がん剤」が中心だった抗がん剤も「分子標的治療薬」の登場で「抗がん剤療法のパラダイムシフト」をとげているそうです。(両者の働きの違いは読んでください)ちなみに開発途上にある分子標的治療薬は数百種類におよぶそうです。
ゲノム医療ははじまったばかりです。その現状にふれた箇所があります。
まず患者の腫瘍ゲノムのがん関連遺伝子変異があるかないかを調べて、それに対応する抗がん剤を選びます。適正な薬がマッチングした場合に、治療の対象となります。がんの原因となる遺伝子変異が発見されても、対応する抗がん剤がなかったり、あっても日本では認可されていない場合も少なくありません。これに加え、副作用や病状の問題で適応除外になるケースもあるため、最終的に治療を始められるのは遺伝子検査を受けた患者の15~20%前後と予想されます。
たしかにゲノム医療が一般化するのはこれからの課題でしょう。直面している問題点も指摘されています。それは、すべてのがん患者の遺伝子配列を解析するだけの、コンピュータや人的リソースがない、ということです。
スタート時点では、治療の対象となるのは、拠点病院でゲノム治療を希望され、条件を満たした一部の患者さんに限定されます。
しかし、限定的とはいえ、がんゲノム医療が公的医療保険の対象となることの意義は極めて大きなものがあります。今後、技術革新が進み、遺伝子解析を安価でできるようになり、治療効果の高い分子標的治療薬や抗体医療が開発されれば、その対象者は大きく拡大するでしょう。
現在でも国民の2人に1人が一生に一度はがんにかかっているといわれていますが、さらにがんが高齢になると罹患率が高まる、ということを考えると高齢化社会日本で、ますます「がんは国民病」と呼ばれるようになるでしょう。そのような時代に生きているわたしたちに必読の1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。
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