「 14歳」より上の人間には、もう期待できない?!
『君たちはどう生きるか』の漫画版を手がけた漫画家・羽賀翔一さんと、同書への深いリスペクトのもと、2016年に『ミライの授業』を上梓した投資家・著述家の瀧本哲史さんの対談・後編です。これまで、日本中のさまざまな学校で特別講義を開講してきた瀧本さんと、かつて教育実習生として教壇に立ったことのある羽賀さん。お二人の考える学びの本質とは?
「中二病」の時期しか変われない
羽賀翔一(以下、羽賀) 吉野源三郎さんは、開戦間近の不安定な情勢下で、なんとか子どもたちに良い生き方を模索してもらうために『君たちはどう生きるか』を書かれた人だと思います。瀧本さんの場合は、どんな使命感で『ミライの授業』を書かれたのでしょうか。
瀧本哲史(以下、瀧本) 吉野さんと同じですよね。『君たちはどう生きるか』から80年。世界は大きく変化したけど、結局ほとんどの人はまだそれに気づいていないという問題意識が私にはあって。
羽賀 なるほど……。
瀧本 特に中高年の多くは、前時代のやり方や価値観にしがみついてばかりいる。そういう今の時代というのは、吉野さんが本を書いた1930年代末とよく似ているのかもしれません。私は「新しい時代には新しい教養があるはずだ」と信じているので、それをなんとか若い人に伝えたくてこの本を書いたんです。正直、もう大人には期待できないから(笑)。
羽賀 期待、できませんか。
瀧本 40代・50代の人に、今から価値観を入れ替えろと言ってもまず無理ですよね。大学生でもすでに厳しい。新しい価値観をすんなり受け入れられるのは、やっぱり14歳くらいだと思う。「中二病」なんて言葉があるのも、その時期が一番、新しい考え方に刺激されやすいからでしょう。
吉野さんも、子どものうちしか柔軟には変われないと感じていたからこそ、コペルくんをこの年齢にしたんじゃないかな。ちなみに羽賀さんは、漫画を描くときに、読み手の年齢層のことは意識しましたか?
羽賀 瀧本さんとは違って、あまり考えなかったんです。子どもにも読みやすいように、ということは意識していたんですけど。というのも、僕はコペルくんのおじさん目線にはなれなかったからなんです。あくまでコペルくん側の感覚で原作を解釈して、「よかった」と思うところを表現していく、というやり方を僕はしていたと思います。
瀧本 なるほど。そこが、漫画の間口を広げた要因のひとつかもしれません。この漫画を手に取った人は、実年齢がいくつだろうと、コペルくんに自分を重ねるでしょうからね。
「女子力」に負けないための『ミライの授業』
瀧本 年齢の話が出たので、ちょっと性別の話にも触れておきたいです。じつは、『ミライの授業』はかなり「女子読者」を意識しました。もちろん性別問わず読んでほしいんですけど。
羽賀 言われてみればたしかに、サッチャーとかJ・K・ローリングとか、女性の偉人が多く取りあげられていますね。何か理由があったんですか?
瀧本 前回も言ったとおり、この本の下敷きは全国の中学校で行った講義です。その過程で、「この年代だと、女の子の方がより野心的だったり、挑戦的だったりするな」と感じたんですね。講義が終わったあとに、顔を輝かせて「私も何かやってみようと思いました!」なんて言ってくれるのは決まって女の子だった。だから、そういう子こそが第一のターゲットだと考えました。
羽賀 中学生くらいのときって、女の子の方が大人っぽかったりしますもんね。
瀧本 そうそう。男子中学生なんて小猿の群れみたいなところありますよね(笑)。ただね、女の子の場合、高校生になると今度は急に失速するんですよ。女子としてああしなきゃこうしなきゃ……みたいな外圧、同調圧力に負けちゃう。「女子力」なんて言葉があるのもそのせいでしょう。
でも、そこで彼女たちが「私は、周りがいいと言うものじゃなく、自分がいいと思うものを選ぶわ」という姿勢を貫けたらどうなるか。10年後にはその中から変革者が現れますよ。『ミライの授業』には、その後押しをしたいという願いも込めたんです。
羽賀 なるほど。そこは、男の子っぽい世界観で展開していく『君たちはどう生きるか』とは違うポイントですね。
「キャラ」が見えなければ、勉強も漫画も面白くない
瀧本 ちなみに羽賀さんは漫画を作るとき、ストーリーとキャラクターのどちらに重きを置くタイプですか?
羽賀 今はキャラです。昔は、とにかくストーリーをギチギチに詰めて作っていくタイプでした。でも結局、生きたキャラがいないと、ストーリーも本当には動かないんだなとわかったので。
瀧本 なるほど。生きたキャラをつくるポイントって何なんです?
羽賀 僕の場合は、そのキャラのどこかに、自分と響き合う部分を見つけるということです。たとえば『君たちはどう生きるか』で言えば、浦川くんみたいな子を助けられなかった経験、僕にもあるなとか。深いところで何か重なりを見つけないと、そのキャラに説得力やリアリティは出せないと思っています。
逆に読み手として言えば、そういう重なる部分を見つけられると、歴史上の人物なんかのことも「キャラ」として魅力的に感じるんです。
瀧本 よくわかりますよ。私も、大学で過去の偉人たちの個人史や時代背景に触れて、そこでようやく、彼らのことをもっと知りたくなりましたから。「ヴィトゲンシュタインって幼少期からけっこう苦労してたんだなあ」とか、そういう感想を抱いて初めて、彼らのことを「生きた人間」として見られるんです。
羽賀 偉人ってみんなじつは「キャラ立ち」していますよね。『ミライの授業』に出てくる人たちももちろんそう。ここに出てくるような面白いエピソードって、中学や高校の授業ではなかなか聞けないですけど。
瀧本 中高の授業カリキュラムというのは、ほとんど暗記の押し付けですからね。正直、アメンホテプが4世だろうが5世だろうがそんなのどうだっていいと思うんだけど(笑)。教師の「採点のしやすさ」が最優先だからこうなるんです。子どもが勉強嫌いになるのも当然ですよね。散々退屈な暗記をさせて心を破壊しておいて、大学でいきなり「さあ好きな勉強をしろ、楽しいだろう」と放り出すのは酷というものです。
羽賀 採点ありきで授業内容が作られるのは、ちょっともったいないですよね。僕は教育実習生として学校に通ったことがあるので、採点ベースでないと教員側の負担が大きくなりすぎる、ということもわかるのですが……。
瀧本 ああ、羽賀さんは教師になるかもしれなかったんだ。何を教えたんですか?
羽賀 現代国語の授業を受け持って、現代詩のことを教えました。取り上げたのは吉野弘さんの「I was born」です。担当教官の方には「一番簡単なのは文法を教えることだ」と指導されたんですが、僕はもっと広い解釈のできる内容を教えたくて。
瀧本 ずいぶん野心的な授業をされましたね。でも、そういう切り口の授業がもっと増えていいと思う。いまようやく中高のカリキュラムが、暗記主体ではない方向に進みはじめたところなので今後に期待したいです。
学問と人生は直結している
羽賀 同じような学校教育を受けた人のなかにも、古い価値観にしがみついてしまう人と、時代に合わせて進化していける人がいますよね。後者の人は、どうして先見性を持てたのだと思いますか?
瀧本 学問と、自分の人生が直結していることを見抜けたからでしょうね。学問で学べるのは、単なる「特定の難しい設問に答えるための知識」じゃない。目の前で起きていることはすべて理論的に、かつ抽象的に考えることが可能だという事実。そして、その抽象的な思考をより洗練させていく方法論なんですよ。
『君たちはどう生きるか』にも、コペルくんが「人間分子の関係、網の目の法則」を発見するシーンがありますよね。
羽賀 はい、自分を育てた「粉ミルク」が、世界中のあらゆる人の関わりを経て自分のもとにやってきたんだと気づくところですね。
瀧本 ここは、この本でもっとも感動的なシーンのひとつだと思う。コペル君は、ニュートンと同じように目の前の出来事を抽象化し、仮説を立て、アイデアをふくらませた結果、ひとつの法則を発見した。もとを正せば粉ミルクの缶から考えたことにすぎないけれど、彼の人生そのものに影響する法則です。何かしらの学問に取り組むということと、そして自分の人生をよりよくしていくということ。どちらの根底にも、同じ知性の働きがあるってことが重要なんです。
羽賀 なるほど。
瀧本 抽象的に考えたことこそが未来を作るとわかっていれば、時代の変化をやみくもに恐れる必要はないんですよ。目の前のことを抽象的にとらえ直して、その都度自分なりの法則を見出していけばいい。それをできる人が、自分の人生を変えていけるんです。『君たちはどう生きるか』が教えてくれるのはそのことだし、この本に影響を受けた私も、もちろん同じことを著書で伝えているつもりです。
2冊を読めば、「私はどう生きるか」が見えてくる
──最後に、今を生きる私たちがこの2冊をどう読むべきか、お二人のご意見を聞かせてください。
羽賀 2冊合わせて、繰り返し読んでいただけたら嬉しいです。最初に読む順番としては、『漫画 君たちはどう生きるか』のあとに『ミライの授業』を読むのがいいかもしれません。『ミライの授業』には、『漫画 君たちはどう生きるか』で突きつけられる問いへの、答えを考えるヒントがたくさん詰まっているので。
あと、僕はこの漫画を“コペルくん目線”で描きましたが、瀧本さんはある意味“コペルくんのおじさん目線”で本を書かれた方です。だから『ミライの授業』を、「おじさんが書いた本」のように読むのも面白いのでは、と今思いました。
瀧本 羽賀さんと同じく、私も2冊を合わせて読むことをおすすめします。原作の『君たちはどう生きるか』を難しそうだと感じていた方も、羽賀さんの漫画版を読めば、そのエッセンスがしっかりと味わえるはずです。そして『ミライの授業』を読んで、自分なりの「未来の変革」に取りかかっていただければ、著者としてこれ以上の幸せはありません。
──ありがとうございました。