終活、エンディングノートなど人生の最終期についての関心がますます高まっています。広くとらえれば“断捨離”もこのなかに含まれると思います。超高齢化社会日本ならではの光景です。
この本が既刊のものと少し異なっているのは著者の次のような姿勢からきています。
(片づけが)挫折するくらいなら、いっそ何もしないほうがいい、というのが私の持論。「片づけることをあきらめる」という選択もあります。(略)本書では、エンディングのためではなく、人生の最終章を楽しく快適に過ごすための「住まいの老い支度」についてお話しさせていただきたいと思います。ずっと先の老後ではなく、今日からスッキリ暮らせる工夫も満載です。
なぜ最終章(最終期)がくる前のことを考える必要があるのでしょうか。著書がいうように、多くの人は最終章になってから、「仕事をリタイアして、ひまになったら……」片づけようと考えがちです。ですがこれは最終章の過ごし方として好ましいことなのでしょうか。
今の60代は、まだ若く、第二の人生を謳歌しようと、片づけについてもかなり前向きです。しかし、人生の後半を有意義に過ごそうとい時に、片づけに追われるなんてもったないと思いませんか? そして、体力は想像以上に衰えているので、60代まで放置してきた家の片づけを一気にするのは、重労働になります。
つまり「住まいの老い支度」は最終章の前にしなければなりません。ですから当然念頭に置かなければならないのは「自分の将来の暮らしを見据える」ということになります。自分がどのような(最終章を)楽しく、有意義に過ごしたいかということをまず考えなければなりません。
まず、自分が今やりたいことや興味のあることを洗い出し、何歳までに何をしたいかというロードマップを作ってみましょう。
ここには今までの習慣や当たり前に思っていたこと、なんとなく先延ばしにしておいたこと、これからはじめて見たいことなどが含まれます。もちろん嫌なことも洗い出す必要があります。
当たり前ですが、家は「片づけ」の対象などではなく、暮らし(=生き方)をあらわしています。家はそこで暮らす人の心(=文化)そのものともいえます。ですから目指すものは「家での時間が楽しくなる」という境地(!)でなければなりません。
かといって、やみくもに好き嫌いだけで分別すればいいというわけではありません。必要か必要でないかということを正しく判別するのは意外と難しいものです。
この「正しい判別」ができるようになるために著者が提唱するのは「ハレ」と「ケ」に住まいの空間を分けるということです。いうまでもなく「ハレ」は「非日常」、「ケ」は「日常」のことです。この2つをどのように家に応用すればいいのでしょうか。
住まいの空間を「ハレ」と「ケ」に分け、ハレの空間はいつも片づけてきれいに、ケの空間は少しくらい散らかっていてもOKという自分なりの仕組みを作りました。こうすることで、片づけをハレの空間に集中させることができ、日頃の片づけがラクになります(略)
この仕分けは部屋ごとにというわけではありません。
書斎も私だけが使用するケの空間ですが、その中でも、本棚をハレ、資料棚をケのスペースとして分け、本棚はいつも整理するよう心掛け、資料棚は多少乱雑に使うことを自分の許しています。
この「ハレ」と「ケ」という「仕組み」はとてもわかりやすいものだと思います。これは著者が別のところでいっている「いいもの一点主義」に通じるものがあります。
この「いいもの一点主義」は「使いやすく気に入ったもの」ということであり、豪華(高価)なものである必要はありません。著者が自身の「一点主義」で選んだものは「座卓」だそうです。座卓を大事にすることでを置いた周りをきれいにしようと心がけるようになったそうです。これも一種の「ハレ」効果と思えます。
もう1つおもしろいことを提唱されています。それが「ま、いいか」の呪文です。
やってみたけど、うまくいかなかった時、決して投げやりな気持ちではなく、仕方ないと自分を納得させる言葉が「ま、いいか」です。
大事なのは「やりたいこと」で、それをしやすくするための「片づけ」です。
さらに片づけ・掃除の秘訣が3つあげられています。
1.大きな家具を減らして床スペースを広く使う
2.細かいものはすべて収納して散らかさない
3.“とりあえず置き”をしない
こうしたことを積み重ねて暮らしのなかに自分なりの「仕組み」を作り上げてはどうでしょうか。そして暮らしの中にメリハリや楽しみを作り出せる「仕組み」を組み込めれば自然と「老い」を受け入れやすくなるかもしれません。今までできていたことができなくなっても楽しく生きる「仕組み」があれば「頭のスイッチ」も切り替えやすくなるからです。
住まいの老い支度の仕方で役立つ具体案がたくさんあげられているこの本、読んでいるとなにやら「片づけ」が「新たな自分への脱皮」するようなものだと感じさせてくれます。充実した最終章を過ごすため頑張ろうという勇気(?)をもたらせてくれます。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。