仕事、人間関係が思うようにいかずストレスにさらされていることが多い現代人、心がくじけそうになったことは誰もがあるでしょう。心が強くなればそんな苦しさに負けることはないのでは……そう思ったことがある人は多いでしょう。そのような人にぜひ読んで欲しい1冊です。じっくり読めば、著者が語っているように「心の基礎体力」が鍛えられ「ストレスを癒(い)やす力を持ち、悩みからの出口を見出す」ことが必ずできると思います。
ではどのように「心の基礎体力」を鍛えていけばいいのでしょうか。著者が取り上げたのはフロイトの精神分析と認知行動療法です。この2つを“指針”として具体的なケースを取り上げて、どのようにすれば心が強くできるのかを追究したのがこの本です。
まず注目したのは心を強くする6つの要因です。
1.主体性と自律性:やりたいことがある。
2.自我の防衛本能:自分を守る力を持っている。
3.衝動統制:我慢できる。
4.欲求不満耐性:耐えられる。
5.現実検討能力:ちゃんと理性が働く。
6.適応力
(はじめの5つが精神分析、最後の1つが認知行動療法から導き出されたものです)
この要因を高め、コントロールできれば「心の基礎体力」は高めることができるでしょう。ではこうして高められた基礎体力で作られる「心の強さ」とはどのようなものなのでしょうか。それがこの本の本質的なテーマである「本当の強さとは何だろう?」という問いかけです。
どんなときも愚痴をこぼさず、泣き言を言わず、弱みを見せない人がいる。傍目(はため)には強い人と映るし、本人もまた、自分は強い人間だと自負している。ところが、そんな人に限って、何かの拍子に心や体の病気になってしまうことがある。自分の弱さを直視せず、それに蓋(ふた)をしたまま強い自分を演じ続け、あるとき疲れ果ててポッキリ折れてしまうのだ。
このような人はとても強い人とはいえません。あるいは著者のいうように頑強で筋力のある、見るからに強そうな男性でも「心が強い」とはいえないことがあります。
もし彼がその筋力にものをいわせて、妻や恋人や周囲の人を、自分の思うがままに支配していたとしたら、その強さは本物の強さといえるだろうか。
いや、その強さは表面的なものにすぎず、むしろ彼の内面の弱さをカモフラージュする道具でしかない。
どんなに強そうにふるまっていても、「自分の弱さを直視」できなければ、一見強そうに見えても実はもろいものなのです。
とはいっても「自分の弱さを直視」するということは、いうほど簡単なことではありません。弱さを直視しにくいのには「自我の防衛本能」が働いていることがあるからです。しかしこの「防衛本能」が強くなりすぎると「主体性と自律性」を損なうことにもなります。さらに主体性のない弱さの自覚は「現実検討能力」を歪め、間違った「適応力」を働かせることになりかねません。昨年の流行語大賞になった“忖度”や“おもねり・追従”というという行為なども間違った「適応力」というものでした。あやまった「自我の防衛本能」の結果です。
これは心の強さを作り上げる6つの要素が空回りしている、あるいはお互いに打ち消し合っていることになってしまいます。ではどうすればいいのでしょうか。ここで著者は「性アホ説」というものを主唱しています。
「人間みんなアホである」という認識があれば、本当は強くもないのに強いと思い込んだり、できもしないのに、できると見栄を張ったりしないで、「助けて」と言えるし、力が足りないときは「できない」と率直に言うこともできるのではないだろうか。つまり、素直に等身大の自分を受け入れられるのではないだろうか。そういった意味で、素直さは、まさしく「アホであること」を認めたがゆえの効用ではないかと、私は思うのである。
大阪人特有の“アホ”という意味で使われていますが、なぜアホであることを認めると「心の葛藤が少なくなる」のでしょうか。
人間というものは、善も悪も清も濁もありとあらゆる感情を持つものだ。たとえば、都合の悪いことがあれば嘘をつきたくなるし、反対意見を言う相手がいれば目の前から排除したくなる。あるいは、好みのタイプの異性を見れば、ついフラリと近寄っていきたくもなる。行動に移すかどうかは別として、とにかく悪いことも、汚いことも、醜いことも、あれこれすべて考えるのが人間というものではないだろうか。
アホであるということはそれらすべてを認めるということです。そして強い心を持つには自分の心を見つめ、それらのすべてを認めるところから始めなければなりません。なぜなら「心の矛盾や葛藤は、自分の率直な感情を認めないところから生まれる」からです。これは「素直さ」というものが持つ力を再確認したものといえるでしょう。そうすれば「等身大の自分を受け入れる」ことができます。忘れてはならないことは次のことです。
自分がアホであることを認めても、自分自身の価値はいくらも減りはしない。相変わらず、まともな人間であることに変わりはない。
「強さをもたらす素直さ」に立ってこそ人は未来を語れるのだと思います。このとき「希望」というものが新たな価値を持ってせまってきます。
人生が順風満帆のときは、敢えて希望などという言葉を思い出さなくても人間は生きていける。忘れていても、前に進んでいける。
しかし、絶望の淵に立たされたときは、希望がなくては生きていけない。希望の力を借りないことには、前に進んでいけない。だから、無理にでも希望は持ったほうがいいのである。何の根拠がなくても、希望の有用性を信じたほうがいいのである。
根拠のない希望を持てる人は、それだけ強いのだ。
何かに押しつぶされそうになっている自分を感じているすべての人に勧めたい1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。 note⇒https://note.mu/nonakayukihiro