孤独であることが人間を作る
誰しもが感じている孤独というものの意味を正面から捉えかえした良書です。フランスで著名な精神分析家・心理学者が綴ったこのエッセイを読むと孤独感が一変します。
──「孤独」って、なにかとネガティヴなものだと思われがち。というのも、孤独という言葉からは恥ずかしさや痛み、みじめさ、虚(むな)しさといったイメージばかりが浮かんでくるからです。けれど、孤独は人間にとってなくてはならない、普遍的なもの。──
人間が孤独であるというのはどのような時でしょうか……。
──生まれるときはひとり。老いを感じるのもひとり。幸せや不幸せを感じるのもひとりなら、感動するのもケガの痛みに耐えるのも、喪に服すのだってひたすらひとり。もっといえば自分自身もいつかは死ぬわけで、それこそどんな風に向き合ってみたところで孤独以外の何ものでもなく、人間にとって避けては通れないものなのです。──
孤独は疎ましいもの、悲しむべきことと思いがちです。ですが著者の考えは少し異なっています。
──ひとりであること、やがて死にゆく存在であることを運命として受け容れられるようになってはじめて、人は他の誰でもない自分自身を確立することができるからです。──
孤独であることが人間を作っていくのだ、そのために孤独は重要なものである、著者はこういっています。
そのように人間にとって重要なものであるにもかかわらず、この本のタイトルでもある「ひとりではいられない症候群」はなぜ生まれてくるのでしょう。しかもこの「ひとりではいられない」ということがドラックや酒やタバコ、あるいは携帯やネット、ギャンブル、ゲーム、ペット、セックスにまで含む依存症を生むもとになっていると著者はいっています。
自分自身を確立するものとして欠かせないものと頭では分かっていても、なぜ人間は孤独ということを受け入れないような感情、思考が働くのでしょうか……。
著者は孤独というものを捉え返していきます。すると孤独には2種類あることがわかります。
1.苦しみとしての孤独:これが強いと自分が生きていることに実感がもてなくなる。ひとりぼっちの状態。
2.安らぎとしての孤独:生きているという実感にもあたるもの。ひとりの状態。
この2つは誰もが感じ、持っているものです。そしてどちらがより大きくなるかで「自分を取り囲む世界、ひいては自分自身に対するスタンスが定まって」くるそうです。
1の孤独が大きければ世界は冷たく、厳しく、遠いものと感じられるようになってしまいます。つまり2の安らぎとしての孤独こそが自分を確立させる場所を与えてくれるものなのです。
成熟に必要なものでもある「孤独」ですが、人の成長過程で、何かの要因で十分な「安らぎとしての孤独」をつかむことができずにいると「苦しみとしての孤独」のみがふくれあがってくるのです。この要因には家族を含め、さまざまな例が取り上げられています。もし、苦しみとしての孤独に取り憑かれていると感じる人は、そこに自分の姿を見つけ出すかもしれません。
ですから、重要なのは「ひとりでいられる能力」を育むことです。これは単に孤独に耐えるということではありません。自分に向きあう能力とでもいえるものだと思います。
心身にあらわれた症状が伝えてくるもの
ではどのようにすればその能力を身につけることができるのでしょうか? そのために必要なものは「心の余白」というものだそうです。「心の余白」とは自分に起きる「出来事やその影響をまずは受け止め、やがて取り込むこと」ができるようになるために不可欠な心の働きのことをいいます。
この「心の余白」についてとても興味深い記述があります。
──「ひとりではいられない症候群」の人々は、自分なりのやりかたで苦しみを紛らわそうとしがちです。それは一見すると、なにか足りない部分を埋めようとする行為にもみえますが、実は自分を(麻酔薬、アルコール、セックスやその他の行為によって)満たすことで、自分のなかに逆説的に余白を作り出そうとしているのです。──
つまり「ひとりではいられない症候群」の人々は、自分に向き合ったとき、そこに空虚、よるべなさを感じてしまい、そこからくる苦しみや悲しみに圧倒されるのでしょう。心に受け止める「余白」を持たない彼らは、そんな自分に向き合うことができません。そしてその無力感から逃れるためになにかに依存しようとします。依存症の始まりです。興味深いのは、この依存によって「心の余白」を作ろうとしているのではないかということです。
──自分のなかのどこかが「空っぽ」になっているような感覚を抱き、そこに身体があることをもはや苦しみを通してしか確認できなくなっている人たちにとっては、痛みこそが身体の存在、境界、輪郭を実感させてくれるもの。痛みのおかげで「自分は生きてるんだ」とわかるわけです。──
依存症者(ひとりではいられない症候群の人たち)が求めた「余白」は矛盾の産物です。苦しみを受け止めることができずに依存に溺れる……。それは「苦しみとしての孤独」にいる自分を見つめることができずに、それを「安らぎとしての孤独」であると思いこもうとしているのです。これは「ひとりではいられない人たち」は、本当は「ひとりでいたい人たち」と思う心がある人だということのように思えます。
孤独が2種類あるというのは、孤独が「隠れ家にも墓穴にもなりえる」ということです。孤独は成熟への道でもあり、自己喪失の道でもあります。
孤独を単に恐れているだけでは、「苦しみとしての孤独」から抜け出すことはできません。もちろん孤独がもたらす苦しみを軽視しているわけではありません。孤独がもたらしている病、苦しみ、不安のさまざまな様態、病状をこの本は詳しく分析しています。決して“気はこころ”や“気の持ちよう”ということではありません。著者がこの本で取り上げた心身にあらわれた症状の分析はこの本の大きな価値です。
そしてそれらの臨床例のなかで「ひとりでいられる能力」の重要性が指摘されているのです。孤独にさいなまれる人、疎外感に直面している人、さらに依存症に苦しんでいる人だけでなく現代社会がもたらすひずみに悩まされている人に読んで欲しい1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。