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2024.06.28

レビュー

能登半島地震の悲劇を徹底取材──「政治の人災」を繰り返さないための防災マニュアル

日本が最も世界に“誇れない”ものとは何か。政治家ではないだろうか。先ごろ、クールジャパン戦略の大幅予算改訂が発表されたが、ほとんど直接的効果を上げていない施策に20兆円も投入するぐらいなら、現職政治家の再教育にいくらか回したほうがいいのではないかとさえ思う。特に、2024年1月1日に発生した能登半島地震では、年頭から政府の対応のまずさを全国民が知ることとなった。

度重なる自然災害の犠牲や被害は「政治の人災」である――そう言い切るのが本書である。極めてアクチュアルな問題に切り込んだ一冊であることは、その表紙写真からも否応なく伝わるだろう。それは発行日(2024年5月31日)のつい半年ほど前に起きた、現実の光景だ。著者はTV番組のコメンテーターなどでもおなじみだが、本業はジャーナリストであり、長年の取材経験を通して見えてきた“災害大国ニッポン”が抱える政治的宿痾について、この本で赤裸々に書き記している。

第1章では、改めて能登半島地震の推移をつぶさに振り返りつつ、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、そして1995年の阪神淡路大震災など、過去の災害で得たはずの多くの教訓が「いかに活かされなかったか」を検証していく。岸田文雄首相の唖然とするような言動を、いまだ鮮烈に記憶している人も多いだろう。1月4日の年頭記者会見を早々に打ち切ったあと、BSのテレビ番組に出演した岸田首相の姿を見た立憲民主党幹部のコメントは、当時の市民感情をまざまざと思い出させてくれる。

「4日はまだまだ安否不明者や生き埋めになっている人も多くいる中で、地震発生から生存率が大きく下がるとされる72時間を過ぎたとはいえ緊迫していた。テレビでは震災関連の話はたったの冒頭10分強でそのあとは延々と今年の政局を話す始末。信じられない。普通この緊迫した状況の中で、テレビ出演は断る」

災害対応において、政府や首相がするべきこと、するべきではないことは何か。どのように被災地・被災者と向き合うべきか。どんな覚悟と視野をもって復旧事業に取り組むべきか。そのために必要な制度や法律とは何か。天災による被害(二次被害を含む)を最小限に抑えるために、どんな備えが必要で、どこに予算を投じるべきか。本書では防災にまつわる非常に多くの建設的テーマが示されると同時に、いかにそれらが「行き届いていないか」「不条理な壁に阻まれているか」「人材に左右されるか」という苦い現実も読者に突きつけられる。政治に興味があるかないかにかかわらず、日本という国に暮らす以上、それらは必ずどこかで直面せざるを得ない問題だ。そのために選挙があるということも、読者は否応なく考えながら(石川県知事の姿なども思い浮かべながら)読み進めることになるだろう。

地震だけではなく、台風、豪雨、猛暑、火山活動など、日本は数多くの自然災害が起きうる環境にある。近年では温暖化による気候変動の影響もあり、専門家に「常軌を逸するレベル」とまで表現される災害も少なくない。にもかかわらず、政治家の防災意識は相変わらず低い、と著者は厳しく評する。

予想できなかった――、これは災害対応を果たさなかった際に必ず出る常套句だ。言い訳だ。
政治・行政は、大きな自然災害が起きるたびに「未曽有の」「かつてない」「想像を超える」といった表現を使うが、その背景には自然災害は予測不能という怠惰や責任回避がある。自然災害だから仕方ないという感覚こそが本質的な問題だ。
政治家全体の自然災害に対する意識が低く、政策的使命を何も果たしていないということだ。

2019年9月9日未明、台風15号が千葉・神奈川に甚大な被害をもたらしたときも、まるで「いつもの台風と甘く見ていた」かのように、政府の初動は遅れた。凄まじい強風が電柱や送電線、家屋の屋根も吹き飛ばし、大規模停電と家屋被害が重なるという壮絶な状況を前にしながら、安倍晋三首相(当時)は同月11日、当初の予定どおり内閣改造人事をおこなった。「やるべきことをまったくと言っていいほどやっていなかった」と本書文中で断じられても仕方ない。

特に当時の安倍政権は「安全保障」を看板としてきたが、そもそも国民の生命・財産・郷土を守るという意味では災害対応も安全保障とまったく同じだと私は位置づけている。
災害において命を奪う敵は「自然」だ。たとえば他国との戦争なら相手があることだから駆け引きや交渉だってできる。しかし、自然相手ではまったくそれができない。不意に想像以上に、どこから襲ってくるかも分からない敵である。
政府にその意識はあるのか。自然災害は別物と考えているのではないか。「予想できない」とは言い逃れだ。その間にどれだけの人命が奪われれば済むというのか。

政府中枢と各省庁、あるいは政府と各自治体といった組織間の「距離」も、日本の災害対応における大きな問題として指摘される。ある気象庁職員のコメントからは、我々国民があまり知らない“忸怩たる思い”が伝わってくる。

「どれだけ私たちが警報を出しても、危険だと何度も会見しても、私たちに避難しろという権限はなく、それは市町村、そしてもっと大きな政府などの行政に委ねられます。首長や首相です。そしてもし被害が大きかったら、気象庁は会見でなぜもっと早く強く呼びかけなかったのかとこちらに責任が来ます。私たちに避難させる権限はないのです。首長や首相と密接に表裏一体の体制にしなければならないのではないか、とずっと思ってきました」

もちろん現状批判だけが本書の目的ではない。著者は自身の現地取材経験なども含め、いくつもの過去の事例を挙げ、そのなかで優れた対応力を発揮した人々の声もピックアップし、あるべき災害対応の在り方を浮き彫りにしていく。

実際に災害対応や復興事業に携わる人々へのインタビューを集めた第6章は、まさしく本書のクライマックスに相応しい内容だ。東日本大震災からの復興にあたり用地問題の解消に取り組んだ岩手県知事の達増拓也氏、新潟県中越地震での経験をもとに「長岡方式」という危機管理のノウハウを確立した元新潟県長岡市長・森民夫氏、3.11の翌日に故郷であり選挙区である宮城県気仙沼市に急行した自民党議員・小野寺五典氏らの言葉は、特に印象深い。同じく気仙沼市内で震災に遭遇し、現在も独自の被災地支援を続けている宮城県育ちの芸人コンビ・サンドウィッチマンの“当事者ならではの語り”も読ませる。

本書でたびたび引用されるのが、1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災でのエピソードだ。震災発生直後、混迷を極める状況で右往左往する村山富市首相(当時)の官邸に、危機管理のエキスパートだった後藤田正晴元副総理が駆けつけ、その後の対応について叱咤まじりの助言を与えた。その言葉は、著者の防災取材における基本理念にもなったという。

「天災は人間の力ではどうしようもない。地震が起きたことはどうしようもない。しかし起きたあとのことはすべて(政治・行政の)人災だ」
(中略)
「だから生命最優先でやれることは何でもやれ。ルール違反だってかまわない」

腹をくくった村山首相は、連立政権のパートナーである自民党の小里貞利氏を担当相として現地に派遣。法や制度に縛られた官僚ではなく、首相と同じ権限を持った政治家を現地に送り込み、なんでも現場で判断して決めることができる「もうひとつの政府」を形成することで、現場の復旧作業は飛躍的に大きく前進したという。

「それらの判断が法律違反というなら、あとで法律を作ればいい。むしろ官邸は後方支援に回り、すべての責任は首相である自分が取る」――という当時の村山首相の判断こそ、理想の政治主導による災害対応ではないか、と本書は示唆する。

だが、現在ではその方法論が別の意味で濫用されていることに、読んでいくうちに気がつくはずだ。国民の反対意見を無視して強引に推し進められる新制度、法律すら無視するかのように可決され成立する法令、責任を取るという観念を曲解しているような首長の言動……マイナンバーカード制度やインボイス制度、改正出入国管理法の施行などなど、非常時の緊急措置とは無関係なところで、強引なやり方で「国家が勝手に改造されていく」状況に我々は直面している。そのくせ、能登半島地震のような本物の非常時には迅速でフレキシブルな対応などままならないことも、我々は知ってしまった。まさしくそれは「人災」である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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