プラトンに『パイドロス』という対話篇がある。主人公はむろん哲人ソクラテス。彼の相手をつとめるのはたくみな弁論術をもつ若者、パイドロスである。
パイドロスが問いかける。
「あなたは、あの荒唐無稽な神話を信じているのですか」
ソクラテスが答える。
「きみは、私が『あんな馬鹿馬鹿しい話信じてないよ』と答えるのを期待してるんだろうね。だが、私はもっと奇妙な人間なんだよ。神話はぜんぶ本当だと思ってるんだ」
大好きなくだりである。
ただし残念なことに、自分はソクラテスのように思うことはできない。
イザナキとイザナミという兄妹の神様が天の御柱を回ってセックスしたら女神イザナミに子供ができていくつかの島が産み落とされた。これが日本である。
話としてはおもしろいが、実際にそういうことがあったとはどうしても思えない。すなわちソクラテスのようには考えられないわけだが、もしかしたらこれって、なにかに毒されてる証拠じゃないのか。
立川談志が得意としていた古典落語に「やかん」がある。
そこにはこんなくだりがある。
「地球が丸いなんてウソだよ」
「地球儀は丸いじゃないか」
「おまえは文房具屋で売ってるようなもんを信じてるのか」
まったくそのとおりで、教師もふくめ、誰もかれもが地球は丸いというからそう思い込んでいるだけで、自分で見たことがあるわけじゃないのだ。それって、神話をそのまま信じるのと何が違うんだろう。
江戸時代の思想家、熊沢蕃山(ばんざん)は「神話とはアレゴリー(寓意)である」と述べた。わかりやすくいうと、神話とはなにか別の意味を表現しているホラ話だと語ったのである。
文房具屋で売ってるようなもんを信じてる安っぽい知性には、蕃山先生の思想はとても受け入れやすい。青年パイドロスもまた、そういう思想の持ち主であった。つまり神話をアレゴリーとするのは、ソクラテスの時代には一般的なことだったのである(アレゴリーという考え方もギリシャ起源らしい)。
本書が興味ぶかいのは、ソクラテスが「信じる」と語ったギリシャ神話と、熊沢蕃山が「ホラ話だ」と語った日本神話を、ほぼ同じものであると喝破(かっぱ)していることだ。
女神イザナミが亡くなってしまったことが悲しくて仕方なかった男神イザナキは、黄泉の国(死者の国)に赴いて妻(妹)に会おうとする。しかし禁を破ったためにイザナミのおぞましい姿を見てしまい、連れ帰らずに戻る。
じつはこれとほとんど同じ話が、ギリシャ神話にもある。オルフェウスの物語だ。
亡妻を追って夫が冥界に行くが、タブーを犯したために妻は冥界にとどまり、現世と冥界の往来が失われる。このモチーフはギリシャ神話にも日本神話にも見られる。ゲルマン神話にもあり、メラネシアにもある。世界のあちこちに伝えられている話なのだ。
なぜ同じような話が各国の神話にあるのか。理由はふたつ考えられる。
ひとつは、文化や環境が異なっていても、人類は似たような思考を持つこと。たとえば、太陽を神格化した神様はどこの国にもいる。太陽の恵みと恐ろしさを知らない民族はないから、当然のことだろう。
もうひとつは、人類の移動や文化の伝播によって、似たような話が各地に伝えられるようになったこと。
近年、世界の神話は大きくふたつの系統に分類できるという学説が唱えられるようになった。これを世界神話学説と呼ぶ。本書は、この学説の入門書である。
2系統のうち、ひとつはローラシア型神話と呼ばれる。ギリシャ神話も日本神話もこちらに入る。エジプトやメソポタミアに伝わっているのも同じだ。もうひとつはゴンドワナ型神話。アフリカやオーストラリア、インド(非アーリア系)などで伝えられている。
ローラシア型神話の特徴として、物語で語られていることがあげられる。
物語とは、もっとも人々に受け入れやすい形式である。本書では『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』が神話とまったく同じ物語を語っていることが例としてあげられている。これほどあからさまなものは少ないけれども、物語はわれわれの思考に根深く入り込んでいるのだ。
あなたはテレビドラマや映画を見たり、小説やマンガを読んだりして、感動した経験があるだろう。そららはたいがい、物語の形式で語られている。
詳細は省くが、物語類型といって人が興味をひかれたり心を動かされたりするパターンは、大昔から決まっているのだ。ローラシア型神話はこのパターンで語られているので、おもしろいし理解しやすいし記憶しやすいのである。もっとわかりやすく言おうか。あんたが涙を流して見ているそのドラマ、何千年も前の大昔にできた話なんだよ。
もうひとつの潮流、ゴンドワナ型神話は、物語の形式をとっていない。したがっておもしろくないしわかりづらいし覚えづらい(と感じる人が多い)。それもそのはず、ゴンドワナ型神話は物語が形成されるよりずっと古い時代に成立しているため、物語の影響がほとんどないのだ。
著者は、これからはゴンドワナ型神話に目を向けるべきだと主張している。ゴンドワナ型神話は物語の形式をとっていない。より古層の、原初の人間の思考が表れている。
現代は閉塞し行き詰まっているといわれるが、その要因のひとつは、間違いなく物語を重んじてきたからだろう。そうでない方法をわれわれは知っているじゃないか。現状を打破する力は、希望は、ゴンドワナ型神話にこそある。
おおいに納得し素晴らしい考え方だと思ったが、口で言うほど簡単じゃねえぞとも思った。なにしろ敵は物語だぜ。俺たちの思考はそれに適合する形になってるんだ。いや、物語は俺たちの思考に合わせてできたんだ。それを払拭するのは容易なことではない。しかも、どいつもこいつも自分で見たこともないくせに地球は丸いと思い込んでる馬鹿野郎なんだぜ。そいつらの意識を変えるのは、並大抵のこっちゃない。
ちなみに、本書は日本神話を「ローラシア型神話に分類されるが、ゴンドワナ型神話のエッセンスも取り込んでいる」として特殊なものとし、かなりていねいな解説を付している。案外、こういうところに古層の思考を生かす筋道が示されているのかもしれない。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。2013年より身体障害者になった。
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