トップシェアのアラビカ種は、たった2本の苗木から広まった
──15世紀にアデンでコーヒーが発明されてから17世紀にいたるまで、コーヒー栽培の中心地はアラビア半島のイエメンでした。(中略)当時、イエメンではコーヒー栽培を独占しようと、種子や苗木の持ち出しを禁じていたと言われています。──
今や街のいたるところにカフェがあり、朝の目覚めや食後、休憩中など、世界中のあらゆるシーンで飲まれているコーヒーですが、どこから来たのか、いつから飲まれているのか、私たちはほとんど知らないのではないでしょうか。
コーヒーベルトと呼ばれる南北回帰線の間の国々で広く栽培されているコーヒーノキ(コーヒー豆が採れる木)ですが、もともとは一部の地域にのみ自生していたもの。
私たちが今、飲みたいときに好きなだけコーヒーが飲めるのは、何百年にも渡って人々が少しずつ苗木を広めていったおかげなのです。
『珈琲の世界史』では、エチオピアやアフリカのごく一部の地域に生えていたコーヒーノキが、どのようにして世界中に広まり流通していったかが紹介されており、人類の開拓の歴史とともに楽しむことができます。
中でも驚いたのは、世界の生産量の6~7割を占め、優れた香りと適度な酸味でもっとも高く評価されているアラビカ種について。
17~18世紀までイエメンでのみ栽培されていましたが、「ティピカ」と呼ばれる苗木がインドネシアやヨーロッパを経て中南米に、「ブルボン」と呼ばれる苗木がレユニオン島を経由してそれぞれ世界に広まっていきました。
伝播の過程で残った苗木はそれぞれ1本ずつ。つまり現在世界で栽培されているアラビカ種のほぼ全てがこの2本の苗木の子孫なのです! 世界中のアラビカ種が親戚同士って、なんだかとてもロマンチックですね。
コーヒーノキは栽培に成功すると巨額の富をもたらしたため、苗木は大変慎重に扱われながら、たくさんの物語を生み出しました。
ある時は贈る花束に苗木を紛れ込ませたり、ある時はこっそりと盗み出したり……本書で紹介されているこうしたエピソードを読むと、当時の情景が浮かぶようで心が踊ります。
数百年前に実在していた「ブルーボトルコーヒー」
コーヒーといえば、近年サードウェーブコーヒーの代名詞として人気のブルーボトルコーヒー。青いボトルのイラストが印象的ですが、実は「青い瓶の下の家」というカフェが17世紀のオーストリアに実在したというのです。
ポーランド出身の兵士がオスマン帝国との戦いの恩賞として、オスマン兵が残したコーヒー豆をもらってカフェを開いたという逸話も残されています。現在もウィーンのカフェでは彼の功績をたたえて肖像画を飾る店が多いそうです。
その店名を元にしたのが、かのブルーボトルコーヒー。青い瓶のイラストも、何百年も前の物語と被せてみると、また違った見え方になるかもしれませんね。
コミュニティカフェは17世紀のイギリスに!
紅茶のイメージが強いイギリスだって、コーヒーにまつわるエピソードはたくさんあります。なんと17世紀にはコーヒーハウスが爆発的に大流行。当時はヨーロッパのコーヒー消費を牽引する国だったのです。
──1649年の清教徒革命で、市民が支持する議会派が国王派に勝利したことで、イギリスは市民社会の萌芽期を迎えました。王侯貴族たちが宮廷やサロンを社交場にしていたように、市民にも、政治談義を交わしたり世間話をしたりする「交流の場」が、ある種の社会的必然として生まれてきます。その舞台になった場所こそがコーヒーハウスだったのです!──
当時庶民が集まる場所といえばエールハウスやタヴァンといったいわゆる居酒屋だけで、酒を飲みながらだと議論をしていても最後にはみんな酔っ払って潰れてしまっていました。(現代の居酒屋でもありがちな光景ですね)
そんな中登場したコーヒーハウスは、飲むと頭がハッキリするコーヒーを飲みながら議論できる場として人気を博し、イギリスの市民社会を醸成する場となったようです。
それにしても、今でこそコミュニティスペースとして機能しているカフェはたくさんありますが、400年近くも前のイギリスでも、交流の場としてのコーヒーハウスが存在していたとは。
カフェインが豊富に含まれるという特性からか、当時からコーヒーは「飲む」だけのものよりも、何かをするときの添え物として最適なものだったのですね。
形から入るフランスと、質より量なアメリカ
コーヒーにまつわる逸話は、欧米諸国の歴史のみならず、そこに住む人々の特性が反映されたエピソードが多く、クスッと笑えることも。
例えばフランスでは、コーヒーが庶民の間で広まった17世紀後半にパリでオープンした「カフェ・プロコップ」というカフェがきっかけでした。
大理石のテーブルやシャンデリアなど、こだわり抜いたヴェルサイユ風の豪奢な内装がパリっ子たちに大ウケして、それが現在まで続くフランスのカフェ文化の礎となりました。
味や機能よりも見た目からとは、なんともフランスらしい取り入れ方ですよね。
そしてイギリスから独立したアメリカの場合は、大量生産システムと労働者を抱えた背景のもと、品質よりも安価で大量に手にはいるコーヒーが選ばれたそう。
こちらもアメリカらしいといえばアメリカらしいエピソードです。
純喫茶の「純」って?
ところで純喫茶の「純」ってなんのことかご存知ですか?
答えは「純粋に喫茶できる」から純喫茶。では純粋ではない喫茶店って??
本書ではもちろん、日本のコーヒーの歴史についても触れています。カフェーや純喫茶、今でも商店街にある昭和な喫茶店はなぜ広まったのか、気になる方は本書を開いてみてくださいね。
本書の内容は以下の通り。
【序章】コーヒーの基礎知識
【1章】コーヒー前史
【2章】コーヒーはじまりの物語
【3章】イスラーム世界からヨーロッパへ
【4章】コーヒーハウスとカフェの時代
【5章】コーヒーノキ、世界へはばたく
【6章】コーヒーブームはナポレオンが生んだ?
【7章】19世紀の生産事情あれこれ
【8章】黄金時代の終わり
【9章】コーヒーの日本史
【10章】スペシャルティコーヒーをめぐって
【終章】コーヒー新世紀の到来
先人たちが繋ぎ広めていったコーヒーの歴史に思いをはせると、きっとカフェのメニューに書いてある豆の産地に興味が湧いて、毎日のコーヒーをより一層深く味わうことができるはずです。
コーヒーが世界に伝搬されていく様子を、ぜひ世界地図を広げながらお楽しみください。