コンプライアンス(法令遵守)が大きく取り上げられる契機となった、食の「偽装」、建物や構造物の建設をめぐる「偽装」「捏造」等の事件から10年近くがたちました。今では誰もがその重要性を疑わないコンプライアンスというものがどういうものだったのか。どのようにそれが日本に作用したのかを追求した力作です。(上記以外にも村上ファンド事件、年金記録改ざん問題、裁判員制度等についても言及しています)
コンプライアンスが常態化された今の日本に、これらの事件・事象は過去のものとなっているように思われるかもしれません。ですが、郷原さんが問いかけたことは少しも古びていません。それどころかますます重要性を増しているように思います。
郷原さんが問いかけたものは、「遵守」することによる怠惰=思考停止というものです。
一見正しいことのように思える「遵守」によってなぜこのような思考停止というものが起こるのでしょう。それは日本人特有の「法意識」と、さらにそれが歪められ、いたずらに拡大解釈されているからです。
この日本人特有の法意識とはどのようなものでしょうか。
──法令に対する日本人の姿勢は、「何も考えないで、そのまま守る」というものです。滅多に関わり合いにならないので、ごくたまに関わり合いになるときには、拝んで、そのまま守っていれば、通り過ぎていってくれる。これが今までの日本社会における、人間と法令の関係でした。
──法令が出てくると、水戸黄門の印籠に対するのと同様に、その場にひれ伏し、何も考えないで「遵守」するという姿勢を続けているのです。────
つまり日本では法は「お上(権力者≒政府)が押し付けるもの」というようにとらえられているのです。支配者が統治のために使うものと捉えられているのです。つまり、日本は「法治国家」ではなく近代以前の「人治国家」のままなのです。
──日本では、様々な分野について法が精密に作られていますが、それが実際に適用されることはほとんどなく、社会の中心部で問題を解決する機能を果たしてきたわけではありませんでした。法は象徴的に存在しているだけで、実際に社会内で起きたトラブルを解決するのは、慣行や話し合いなど法令や司法以外の様々な問題解決手段でした。──
解決手段となっているのが「社会的規範」と呼ばれるものです。「社会的規範」というのは、人々がその「価値を認め合って、大切に守っていこうという基本的合意」ができているもののことをいいます。
ところが最近では「経済構造改革の名の下に、経済活動や企業活動が大幅に自由化される一方、様々な分野で法令の強化・徹底」が図られました。
──そして、その頃から、頻繁に聞かれるようなった言葉が、「法令の遵守」を意味する「コンプライアンス」です。「法化社会」という言葉に象徴されるように、経済活動における法令の機能の強化が図られ、法令が社会の中心部分の至るところに存在するようになってきたのです。(略)しかし、明治以来日本人が百数十年以上も続けてきた法令に対する「遵守」の姿勢はなかなか変わりません。法令を目にすると、ただただ拝む、ひれ伏す、そのまま守るという姿勢のために、法令を「遵守」するという「思考停止」をもたらしているのです。──
思考停止をもたらすことになった背景には社会の多様性と変化があります。そもそも法令とはなにかといえば「ある時点での一定の範囲の社会事象を前提に定められた」のであり、社会の変化によっては、現実に発生する「社会事象との間でギャップ」が生じてくることも起きてきます。
ですから「社会的規範」が重要なのです。社会的規範というのは、法令と社会、経済の実態との乖離を埋め、法令の硬直性をカバーするということで、「法令遵守」の弊害を解消するものだったはずです。
ところが「遵守絶対視」の姿勢が「法令」をカバーする「社会的規範」にまで拡大されてきました。しかし「社会的規範」というのは、人々の間での「基本的合意」ですから、基本的に法令とは異なったもののはずでした。
──「社会的規範」がその本来の機能を果たすためには、それを無条件に守ることを強制する「遵守」の関係ではなく、「ルールとしてお互いに尊重する」という関係が必要なのです。「社会的規範」は、まず、法令を補充するもの、法令に柔軟性を与えるものとして位置づける必要があります。──
硬直化した「法令遵守」の不備を補うものである「社会的規範」も法令と同様に絶対視されるようになってきたのです。
──それらも「遵守」による思考停止状態の下で、単純な当てはめによって「不正行為」に対する一方的な非難につながると、逆に「法令遵守」以上に大きな弊害をもたらします。──
この「不正行為」のレッテル付けのケーススタディともなっているのがこの本です。ここではこのレッテル付けに加担したメディア、とりわけテレビの問題点が厳しく指摘されています。
このような「遵守絶対視社会」の思考停止状態から私たちはどのように脱すればよいのでしょうか。なにより法令の内容や運用が「市民生活や経済活動の実態」に適合しているかどうかを常に確認しなければなりません。そして「より適合するように法令を使いこなしていく」姿勢が肝心になります。それが郷原さんのいう「市民参加型の司法」というものです。
さらに郷原さんは「より良い社会を作る」ための要素として2つのことを取り上げています。
1.その行動が社会の要請に応えていくという方向をめざしていること。
2.個人の行動にとどまるのではなく、複数の人間の、組織内の、さらに社会内のコラボレーションの関係がつくれること。
「遵守」という名の下での怠惰(=思考停止)を脱するには、「遵守」にひそんでいるワナに陥らず、自分の足で立つ、そのことからすべてがはじまる、そんなことを考えさせてくれる1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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