著者は、「『タイタニア』完結記念 田中芳樹 ロングインタビュー」(ニコニコ生放送、2015年3月6日)の中で、「一族の興亡ということで、偉そうなことを言えば『平家物語』をイメージ」して『タイタニア』を「書かせていただきました」と述べている。『平家物語』は、「奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」の一語で、どれほど栄華を誇ろうと必ず滅びるという無常観を示した。『タイタニア』の第1巻がバブル景気の全盛期に書かれ、本書に登場する超巨大戦艦「黒太子」が日本社会のメタファーのように見えることを踏まえるなら、著者が「奢れる人」としたのは、空前の好景気に浮かれ、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”の時代が永遠に続くと疑わなかった当時の日本人だったのではないだろうか。
『タイタニア』は、完結までに27年を要したので、残念ながら著者の“警鐘”に気付かず、時代が先に行ってしまった観がある。ただ本書までを読むと、著者の想像力が、予見的だったことに気付くのだ。
長い不況を乗り切るため、政府が金融と労働市場の規制緩和を行い、企業は正社員を非正規社員に置き換えてコストの削減を行った。それが景気を上向かせた時期もあったが、日本は好景気の恩恵を受ける富裕層と、取り残された一般庶民との二極化が進んだ。これは、タイタニアによる宇宙支配の構図に近くはないだろうか。
タイタニアは、民衆に「パン」(生活の安定)と「サーカス」(娯楽)を与え、社会を改革して「現在(いま)より悪く」なるより、「現状に満足」し「ささやかな幸福」を守る「消極的保守主義」を根付かせたとされるが(第2巻)、これも格差が広がっているのに、現状を変えようとする人が少ない今の日本に似ている。
「星間都市連盟」結成直後、日本でいえば高度経済成長期的な活力と野心の減退を象徴するのが、2011年の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故といえる。著者が、「人類史のなかで、『原子炉は絶対に事故をおこさない』とか、『あの船は100パーセント沈まない』とかいう利益追求者の発言は、すべて虚言であった」(本書)の一文と「蛇足(あとがき)」を書いたのは、起こって欲しくない未来を当ててしまったがゆえの必然だったと考えて間違いあるまい。
政治学者のバートラム・グロス『笑顔のファシズム』(“Friendly Fascism:The New Face of Power in America”,1980、吉野壯兒、鈴木健次の翻訳は1984年)は、「ビッグ・ビジネスとビッグ・ガバメント」が提携し、「超富豪や大企業の経営者、高級将校や高級官僚などの特権を維持するために、国の内外を問わず、他の人々の権利と自由を侵害する体制」を、「フレンドリー・ファシズム」と名付けた。
ファシズムといえば、独裁的な政治体制で、言論の弾圧、反対派の粛清、密告が奨励され秘密警察が暗躍する暗い社会をイメージしがちだ。これに対しグロスは、「超国籍企業」が最新の技術と経済力で「大衆を支配」するのが「フレンドリー・ファシズム」であり、その傘下に置かれたメディアは「高度に選択的で偏向した」報道を行い、巧みに世論を誘導(“洗脳”と言い換えられるかもしれない)するとしている。
まさにタイタニアの構築した社会システムは、笑顔で近付き、民衆が抑圧されている事実にさえ気付かない「フレンドリー・ファシズム」の究極の形といえる。こうした巧みな支配と戦うのが、『銀河英雄伝説』に登場する天才的な軍人ヤン・ウェンリーの対極にいる平凡なヒューリックたちなのは、ごく普通の人でも、社会を覆う不気味な影に気付き、それに抗うことができるというメッセージに思えてならない。
その意味で『タイタニア』は、これから到来する社会をディストピアにしないためには何が必要かを描いた“警鐘”の書であり続けるだろう。
(本書解説より抜粋)
解説者
1968年、広島県生まれ。文芸評論家、アンソロジスト。文庫解説や雑誌、新聞など多くの媒体で書評を行う。著書に『時代小説で読む日本史』がある。