「週刊新潮はあした発売です。表紙は谷内六郎さん……」
というテレビCMがかつてありました。谷内さんの表紙絵をフィーチャーしたCMだったと思います。このCMで谷内さんの名前を覚えた人も多かったかも知れません。谷内さんは同誌の表紙を創刊号から25年にわたって描き続けました。総数で1335点に及びます。
谷内さんは、川端康成から“昭和の夢二”と称賛されていました。川端は抒情画家として谷内さんを感じていたのでしょう。でも今の私たちには「抒情」だけでなく、それ以上に「懐かしさ」を感じさせるものとなっています。
この本は「初春」7点、「春風」11点、「炎夏」11点、「秋立つ」7点、「玄冬」10点の絵に岩崎俊一さんのコピーを付けて発表された作品が中心となった画集です。これらの作品が発表(展示、展開)されたのは「電車ドア横」でした。2005年のことです。その時からでも12年、ちょうど干支の一回りです。
この本を紐解いてすぐに「原風景」という言葉が浮かびました。原風景とは私たちの人の心の奥にある風景のことです。普段は忘れていても、時折、間欠泉のように懐かしさの感情とともに甦ってくるものです。
この風景には時間が流れていないようです。子どもは昔ながらの子どもらしさを持ったままです。電化も日常生活に押しよせてはいません。電気がないことの不便さなど存在しなかったのです。
その代わり月明かり、星明かりがあり、闇がありました。蛍は輝き、虫の音が響いていました。それは“貧しい日々”だったのでしょうか。“富裕”ではありません。けれど今私たちが思う“豊かさ”とは異なった“豊かさ”があったように思います。
不便さは“便利さ”によって気づかされ、貧しさは“富裕さ”によって気づかされるのでしょうか。岩崎さんは夜、もれてくる窓明かりのもとで虫を見つめる姉弟の絵にこんなコピーを付けました。
──いつから日本は、こんなに虫を嫌う国になったのだろう。──
家族、それも大家族を思わせる谷内さんの絵、大家族は核家族化によってなくなっていきました。大家族が感じさせるわずらわしさもなくなっていきました。そこに開放感を感じたことがある岩崎さんも谷口さんの絵に触れてこう記さずにいられません。
──不平を言う筋合いはないのに、小さな従兄弟たちが集まる正月の絵や、一台の小さなテレビを囲み、家族ばかりか近所の人まで集まる絵など、谷内さんが描く「寄りそいながら生きる人びと」を見るにつけ、僕の胸は、どうしても恋しさに疼(うず)いてしまうのだ。──
これこそが「原風景」たるゆえんです。
この絵に描かれた子どもたちは“永遠の子ども”です。
──そこには謙虚で、丈夫で、美しい日本人がいた。貧しく、つつましく、「便利と快適」を知らず求めず、過去からつづく生活を一片の疑いもなく守り抜く人々。(略)ナントたくましかったのだろう、と思う。なんと健気で、まっすぐで、つよかったのだろう。──
岩崎さんは現代からの視線でこの原風景たる谷口さんの作品と対話するようにコピーを綴ります。
──子どもは外で遊んでいた。空でも遊んでいた。──
──獅子が遊びに来ないと思ったら、最近、どの家にも鍵がかかっている。──
──原っぱに放置されたものには、どこか秘密のにおいがした。──
これらは「懐かしさ」に止まることなく、現代を映す鏡にもなっているようです。
この本は『昭和というたからもの』と題されていますが、この『昭和』とは年代・歴史上のものではありません。『昭和』という記憶(理念・観念)だと思います。その頃は季節に包まれ繰り返し、時の移ろいは私たちの考える進歩とは無縁のものだったのででした。これは柳田國男のいう“常民”の暮らしに近いのでしょう。
着物、浴衣、洋服、火鉢、薪、釜……そのどれもがこの世界に欠かせないものでした。
──ものがあふれる前に、いのちがあふれる時代がありました。──
そのような時代がありました。その時代には今の私たちを呪縛している「成長」などはありませんでした。
けれど成長や繁栄、便利さが私たちの欲望を駆り立てる時代がやってきました。それは時代の必然でもありました。
──どんなに懐かしがろうが恋しがろうが、二度とあの時代は戻ってこない。なぜなら、僕たちはあまりにもいろんなことを知り過ぎた。過剰な情報と、うんざりするくらい便利な道具を持ち過ぎた。目の前に、味わい深いがとても手間のかかるものと、味わいは薄いが超がつくほど便利なものを見せられたら、誰だって後者に手を伸ばすだろう。無念だが、それが人間だ。──
こうして歩んだ私たちは、今あらためて気づかされます。「この世には、行き過ぎて戻らぬものがある」のだと。
谷口さんの絵はもはや「戻らぬもの」を描いているのでしょうか。この絵から聞こえてくる音・声も聞こえなくなってきました。
もしかしたらこの本の作品に「懐かしさ」を感じられる人は減っているのかもしれません。これらの風景の中で生きていた時を知っている人が減っているからです。田舎(故郷)の変貌は都市以上でしょう。都市は発展・変化の象徴です。都市が地方を飲み込む(地方の都市化)ことでこの本の世界は失われ続けています。この本は私たちが失ったものの大きさを教えているようです。
──通り過ぎてあと戻りできないものは、この私たち人間の暮らしではないだろうか。──
「原風景」から「幻風景」へ……そんなことも頭に浮かびます。「幻」でないものは谷内さんの持つ暖かさと岩崎さんの優しい眼差しです。忘れてはいけないものがあふれている1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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