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2017.04.05

レビュー

日本人はなぜリストラに怯えるのか? リスク回避の臆病な性格を変えるには

リスク社会というと日本よりはるかにアメリカのほうが「リスクが大きな社会」だと思われています。けれどリスクを避ける傾向は日本人が世界一だそうです。なぜでしょうか……。これを疑うことから2人の対話が始まります。

日本のほうがリスクが小さいのなら、日本人のリスク回避は、よくいえば慎重、あるいは臆病・怯懦ということになってしまいます。本当にそうでしょうか? 実は日本の社会の方がアメリカに比べてもはるかにリスクが高いのです。つまり日本人のリスク回避志向は日本社会が「リスクが大きな社会」ということのあらわれなのです。

メアリーさんはひとつの例として雇用に対する日米の考え方を比較してこう話しています。
──日本の方々は、雇用の安定とはクビを切らないことと同義なのだと考えていると思います。(略)クビを切られても、すぐに新しい職を見つけることができれば、それはそれで雇用の安定につながります。そうなれば、「今の職を失ったら、やっていけない。だから今の職を失うようなリスクをとるわけにはいかない」と考える必要もなくなるんですね。──

アメリカの実情を考えるとすぐにリストラされるので失職のリスクが高そうに思えます。でも本当にそうなのでしょうか。
──リストラされても絶望するわけではなくて、また新しい仕事を探します。だけど日本人にとってリストラは、それで終わりって感じですね。リストラの深刻さが待ったく違います。──(メアリーさん)
──リストラされたら先がないという恐怖が、日本人を萎縮させてしまっているというのが、いまの日本が元気のない最大の理由。──(山岸さん)
日本人はこの恐怖感から「職を失うリスク」です。職業に対する姿勢が日米で大きく異なっているのでしょう。

このようなリストラの「恐怖」はなくすことができるのでしょうか。

状況はどんどん難しくなってきているように思います。メアリーさんは日本の問題点をこう指摘しています。
──再雇用のための労働市場や訓練のための支援が十分に整備される前に、終身雇用制の終焉や非正規雇用の本格化が始まってしまった。──
転職・失職のリスクは高まるばかりです。さらに、労働条件の悪い非正規雇用者が増えることは少しも雇用の安定(=生活の安定)につながりません。このように「非正規雇用という形態が増えている実情を考えると、法律や社会規範から企業の行動をコントロールすることや、社会が監視の目を光らせることが必要」になります。

「日本人のリスク回避」志向は雇用の面だけではありません。「決められない日本人」、「空気」「立場」を重視する(それらに束縛される)日本人、このような行動にも「リスク回避」志向がうかがえます。

2人の対話からは幾つもの興味深い指摘があります。どれもが私たちが常識化して疑うことを忘れてしまった事柄です。

たとえば「成功の呪い」というものがあります。
──「成功の呪い」というのは、あるやり方で成功すると、状況が変わってもそのやり方にしがみついて、結局は大失敗をするということですね。──(メアリーさん)
高度成長をもたらした制度が、外的要因(人口構成、経済環境の変貌等)でもはや機能しなくなったにもかかわらず、制度の切り替えができずにいる、あるいは新たな目標を立てて制度設計をすることができなくなっているというようなことなのです。

ここには変化を恐れ(リスク回避!)、既成のものを離そうとしない日本人のありようが反映しています。「空気」「立場」を離れられないのですからなおさらです。「集団主義的な秩序が与えてくれる安心」というものです。

この「集団主義的な秩序」のもたらす「安心」こそが「空気」の正体であり、「リスク回避志向」のもとにあるものです。けれどそれがもたらす「安心感」は失われてきています。先の雇用を例にすれば「非正規雇用の拡大」はそれを象徴しています。ですから重要なのはもはや桎梏(しっこく)となったそれらから解放され、次へと進むことです。そのために何をすべきか、それが山岸さんがこの対話に込めたものです。

「集団主義的な秩序」とは「ほかの人がどう思うかを気にする」ということです。それをやめるには2つのことが必要です。
──一つは気持ちの持ちよう。日本人は他人からどう思われるかを気にしすぎだから、考え方を変えないといけない。──

けれどこれには先があります。
──だけど重要なのは、「ほかの人にどう思われるかを気にしない」でとる行動は、気持ちの持ちようですむ話ではないということ。ほかの人にどう思われるかによって、ほかの人にどう扱われるかが決まってくるわけだから。
だから、「ほかの人にどう思われるかを気にしない」ということは、気持ちの持ちようですむ話ではなくて、それができるためには、ほかの人に嫌われても生きていける途(みち)を持っている必要がある。これが、二つ目の点です。──

「集団主義的秩序」が生まれてしまっている場所では「自分らしい生き方をしたいと思っていてもそうできなくなってしまう」のです。ですからそのような生き方ができる制度が必要だということになります。
──アメリカ社会は、ふつうの人にもそういう途が開かれている社会だと思う。だけど日本の社会は、一部の特殊な人を除いて、ふつうの人にはそうした途が開かれていない。だから、いくら「気にしない」でいたいと思っても、気にしないわけにはいかない。(略)気持ちの持ちようを変えるように一人ひとりの日本人にアドバイスをするだけじゃダメで、そうしたアドバイスを受け入れたときに、それがネガティブなかたちで自分に跳ね返ってこない社会を作る必要がある。──

気持ちを変えるということだけでは実は何も始まりません。
──たいせつなのは、一人ひとりの生き方は、私たちが生きている社会(=秩序、均衡)の中では、個人の気持ちの持ち方一つで変えることができないことを理解すること。だけど、同時に、そうした社会(=秩序、均衡)のあり方は、社会についてのみんなの常識が変われば変化するものだということを理解することだと思います。──

日本人がリスク回避志向をするのは社会制度や環境がリスクをとりにくい状況を作り上げているからです。そしてその状況にむけて山岸さんは力強い宣言をしてこの対話を終わらせています。
──社会だとか文化だとか、自分を外から縛りつけているように見えるものは、すべてみんなで寄ってたかって作り出している幻想なんだ。だけど、幻想はみんなが信じている限り現実を生み出し続ける。だから、みんなで『王様は裸だ!』と叫ぼうじゃないか。──

リスクを恐れる生き方からの脱出、それは「空気」「立場」に縛りつけられることからの解放につながります。対話の背後にある“自由な精神”を感じさせ、読むにつれ読むものの心を弾ませ、私たちを力づける1冊だと思います。

リスクに背を向ける日本人

著 : 山岸 俊男
著 : メアリー C・ブリントン

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レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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