2015年に第61回江戸川乱歩賞を受賞した呉勝浩さんの小説。「排他」と「包摂」という、現代社会に顕在化するふたつの原理を主題にした作品です。
世界が「新しい中世」に突入したと言われて、久しいです。ヨーロッパでは移民の流入が大きな問題となり、大きなテロが連続して起きている。アメリカでは新しい大統領が、国境に高い壁を築くという公約を掲げている。
こうした流れは海の向こうの出来事ではなく、我が国でもまた、「排他」の衝動は、年々強くなっていると感じます。
「異質な存在を排他したい」という気持ちも、理解できます。たとえばドイツでは移民申請中の人物による殺人事件が起こりました。こうした時に「他者を排他するな」という原理を貫くのも、それは難しいことでしょう。
ですが排他の原理を全面的に肯定する社会で、人は幸福に暮らすことができるのか、どうか。もうひとつの原理、「包摂」に目を向けることも大切ではないでしょうか。
呉勝浩さんの、この小説を読むと、そうした思いを巡らせることになります。
主人公は、天錠学園に勤めるスクールカウンセラーの奥貫千早。天錠学園は小中高一貫の私立学校。しかし県の都市開発事業の一環として創設され、モデルスクールとして公的な性質を帯びた、恵まれた環境の学校です。千早はその学校に月火木と常在し、生徒たちの悩みを聴いています。
彼らの「声」は、学生らしく友人関係や恋愛にまつわるものもある。だが、彼女の元を訪れた高校1年生、野津秋成は違いました。彼の相談は「人を殺してみたい」というもの。
自分の殺人衝動は抑えがたく、このままではいつか本当にやってしまう。であるのなら、殺すべき人間を殺したい、と彼は語る。
思春期の若者にありがちな、過剰な自意識が彼にそんなことを言わせるのかもしれません。しかし秋成はすでに「一歩踏み出してしまっている」ことを、千早に告白します。
折しも、千早たちの暮らす天錠市には、女子高生を続けて強姦し、両親の目の前で暴行。心にも体にも二度と回復できない重大な損壊を与えた犯罪者、入壱要が、刑期を終えて暮らしているとの噂が流れていました。
千早の夫、紀文は地元のラジオ局のパーソナリティ。その夫の番組に被害者の親族が出演することになり、入壱の存在は夫婦の生活にも大きな影響をもたらして行きます。
たとえ法律上は罪を償っていても、不安と恐怖は拭い去ることは難しい。自分と違う衝動を持った人間に対する拒絶。こうした住民たちの「排他」の感情に、夫の紀文は理解を示します。
ですが千早は、その意見には賛成できない。彼女がかつて研究者としての道を歩んでいた時、追いかけていたのは「包摂」の原理。異端者を隔離するのではなく、受け入れるすべを考えていく思想でした。
そんな彼女を「理想主義者」と見る先輩もいる。人が人にできることには限界がある。そういう一線をひくこともプロの姿勢であると。
ただその姿勢を貫くと、結局「異端者は、隔離し拒絶するしかない」という結論にたどり着くことになる。それでいいのか。社会もまた異端の人間を受け入れるように、努力していくべきではないのか。
しかしもし、どんな努力も届かない、「絶対の悪」というものがあったとしたら?
住民たちの反発が高まるなか、祭りで賑わう天錠市で、ついに事件が起こります。しかも舞台は学園でした。
物語の結末に待つものは希望か。それとも悪の闇か。包摂の原理を貫き、若者たちを救うことができるのかどうか。
困難な状況の中で、蛮勇とさえ言える勇気をふるって理想を捨てないでいた千早。ぜひ、彼女の選択を見届けてみてください。
自分だったらどうするだろう。家族のために、どう振る舞うだろうか。物語の終焉とともに、読んだ人も深く深く考えることになると思います。そうした力を持った作品です。
レビュアー
作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に〝中年の青春小説〟『オッサンフォー』、 現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証 言集』では編著も手がける。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。