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2017.01.15

レビュー

2017年を「旧暦」で生きてみると?──粋な日本人になれる1冊

「願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」
この本でも引用されている西行の名歌です。ではこの「きさらぎ」は何月でしょうか? 西行は文治6年2月16日に入寂したといわれています。でも「もちろん現在の二月ではない。旧暦の二月、すなわち三月半ばから四月半ばにあたる」のです。考えて見れば分かるように2月(新暦)では桜は咲きません。梅がどうかという時期だと思います。

といっても
──西行を慕う人たちは俳句や短歌の愛好者を中心に全国に存在していて、西行忌にまつわる法要や行事があちこちで開かれていても、こればかりは新暦の二月十六日に行おうという人がいないのはおもしろいことである。理由は明白、そんな時期には桜は咲かないからだ。──

この西行忌は「確実に旧暦で人々の心に受け継がれている」そうです。確かに「西行を追慕するのに桜がまったく咲きそうにない新暦はいやだと思うのは、ごく当たり前の感覚」です。

もともと旧暦には「農事暦」としての役割がありました。「農事暦」とは農業従事者に必要なことをしるした暦のことです。
──農事はまず季節を知ることが重要で、そのため太陰太陽暦時代の東洋における暦の二十四節気はその基をなすものであった。これに播種(はしゅ)・収穫・施肥などの時期、あるいはとくに気象上注意すべき時期、さらに豊作を祈念し収穫を感謝する祭りの日などを記載した暦書が農事暦である。現行の太陽暦では、季節は毎年同じ暦日に循環するところから、農事暦の必要性は減少してきた。──(『日本大百科全書(ニッポニカ)』より)

この旧暦が新暦に変わったのは明治5年のことでした。12月2日(1872年12月31日)まで使われていた旧暦を翌日の12月3日を明治6年1月1日として新暦になったのです。この時には改暦によって、財政難の明治政府は官吏の1ヵ月分の給与を払わなくてもよくなったといわれています。これには12月分と1月分が一緒になったという話と、旧暦のままだと翌明治6年は閏年だったので13ヵ月分払わなければならなかったからという説があるようです。

それはともあれ、旧暦で決められた祭日・祝日をそのまま新暦の日にちに移すとなにかしっくりとこないことがあることに気づかされます。

先の西行忌だけではありません。節句などにもそれが感じられます。
たとえば桃の節句3月3日……。旧暦では4月上旬となります。実は本州では桃の開花は3月下旬から4月上旬となります(沖縄は1月下旬、北海道は4月下旬)。ですから桃の節句にふさわしいのはやはり旧暦3月3日のように思えます。ちなみに梅・桃・桜の順で開花するそうです。

さらに季節感が異なってしまうのが9月9日の重陽の節句です。その日は菊の節句とよばれ、「それにちなんだ菊の花や掛け軸」、それに菊花酒(菊の酒)を飲む風習もあったそうです。秋の気配を感じながら、月を愛で、酒に親しむ……という風情だと思うのですが、新暦では残暑の真っ只中、お酒も冷ややビールがふさわしいくらいです。もしも旧暦の9月9日でしたら新暦では10月3日頃から11月1日頃です。やはり季節感は旧暦のほうが出るのではないでしょうか。

秋といえば七夕も8月上中旬(新暦)のお祭りです。このような漢詩が引かれています。
──帝里初涼至 神衿翫早秋(略)
帝都にも初秋の気配が訪れ、天子は七夕の宴を賞美される(略)──(『懐風藻』)

『懐風藻』は奈良時代に編まれた現存する日本最古の漢詩集です。その時代と現在ではいささか季候の変動もあるかもしれませんが、それでも七夕が秋の気配を感じさせる頃の行事だったことがうかがえます。この旧暦を新暦に直した8月上中旬の時期ですと梅雨も明け、晴れた夜空が見られるに違いありません。なにしろ新暦の7月7日では晴れ渡った夜空になるのはなかなか難しいようです。(地域によって異なるとはいえ7月7日の晴天率は50%以下です)

こう考えてみると旧暦の日付を簡単に新暦にしてしまうのには問題がありそうです。もっとも旧暦をそのまま新暦の日時に移すと、その年によって行事の日時が異なってしまう移動祝祭日になってしまいますが。

であるなら、たとえば七夕は仙台のように遅れである8月7日に行うほうがかつての風情・情緒を感じさせるのではないでしょうか。(仙台の七夕は7日を中日として8月6日から8日まで行われます)

旧暦にはそれを使っていた当時の人々の暮らし・文化が色濃く反映しています。たとえば12月のイベント(?)赤穂浪士の討ち入りの元禄15年の12月14日を新暦に直すと1月30日になります。すぐに気がつくと思いますが、雪の中吉良邸へ向かったということを考えれば1月のほうが情景的にはあっているような……。12月はあまり雪は降らないですし……。

芭蕉の句が引かれています。
「五月雨の降りのこしてや光堂」
この「五月雨とは今の梅雨のこと」です。千葉さんはこの句について……、
──五月雨はすべてのものを腐らせる。しかしここだけは五月雨も降らずにいたのだろうか。五百年の風雪に耐えた金色堂のなんと美しいことよ。句の意味はこんなところだろう。──

もうひとつ引かれています、「五月雨をあつめて早し最上川」。どちらも新暦5月ではないのはいうまでもありません。5月=梅雨ということが直感できるかどうかで味わいがことなるように思います。

だからといって旧暦・新暦のどちらがいいかという比較をすることではありません。ですが旧暦には先に述べたようにその暦の下で生きてきた人々の文化(文明)が写し出されています。そこには人々の自然への親しみかた、脅威の感じかたがあります。それを感じるためには旧暦を知ることは大事ではないかと思います。

千葉さんのこの本は旧暦を心に秘めて(?)1年を過ごした備忘録風なエッセイです。私たちが合理性の名のもとに失ってしまったある感性の根を追ったもののように思います。そして時にはここに流れている、千葉さんが再発見した旧暦だからわかる“時の流れ、うつろいかた”というものを感じてみてはどうでしょうか。ゆったりとした時の流れを感じると思います。私たちが本来持っていた(感じていた)文化に近づくためにも旧暦を生きるのもいいのではないでしょうか。。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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