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2016.05.10

レビュー

「江戸しぐさ」に「親学」。偽史が堂々採用の教育現場に唖然

ひととき公共広告等で注目された“江戸しぐさ”、その後はマナー推奨運動にまで広がっていきました。この“江戸しぐさ”の正体、その偽史ともいえる成り立ちを追求してきたのが原田さんです。もちろん批判のための批判ではありません。原田さんは公正に“江戸しぐさ”の中にも「実用的なものが含まれている」ことは認めています。だからといって虚偽を許容するのは間違いです。

──「でもいいではないか。役立つマナーを語っているのだから」という人もあるだろう。しかし役立つなら嘘や疑わしいルーツをもたせる必要はない。「人に優しく、と語っているからスピリチュアルカウンセラーは良い」というようなものだろう。ましてや小学校や公共機関が教育や啓蒙活動で安易に採用しているのは問題ではないのか。──(本書引用の松尾貴史氏のコラムより)

まさしくこのとおり「役に立つならなんでもいい」といっているのは間違った考え方というべきでしょう。

ところで、今さらですが“江戸しぐさ”とは江戸時代の商人、町人の文化、生活哲学を学び、それを今に生かそうというものです。江戸の町人の哲学というと石田梅岩の石門心学や『養生訓』『和俗童子訓』を著した貝原益軒などが知られていますが、この“江戸しぐさ”とはなんの関係もありません。

“江戸しぐさ”とは、提唱者の芝三光氏が始めたものです。はっきりいってしまえば芝氏の好悪に結びついたマナー推進運動であり、それを根拠(権威?)づけるために、かつて歴史的にそのようなものがあったと主張したものです。原田さんの活動でさすがに無条件で〝江戸しぐさ〟というものを前面に押し出して推奨する動きは少なくなったように思います。とはいってもまだその普及(布教)活動は続いているようで、「江戸」という名前は冠されていませんが「わたしの『平成しぐさ・ふるさとしぐさ』コンクール」というものがNPO法人江戸しぐさで主催されています。

普遍的なマナーなら“江戸”の権威などを借りずに、現在の私たちに適った行動規範を考えればいいと思います。ことさら原田さんのように「同じことを行うにしても『江戸しぐさ』という捏造の意図を含んだ言葉を使い続ける意味」はまったくないと思うのですが。最近の“下町幻想”と通じるものがあるのでしょうか。

“江戸しぐさ”の問題はまだ残っています。松尾さんが指摘した公共機関による「教育や啓蒙活動」との結びつきです。原田さんはこの本で「親学」との関係を問題視しています。

「親学」とは高橋史朗氏によって提唱されているもので、「子供の脳を育て、心を育て、感性を育てるための親の学びである。今、起こっている青少年の問題は『親学』の欠如にある」という考え方、教育観です。高橋氏は「伝統的子育てなるものを奨励」しているのですが、それを推進するために“江戸しぐさ”を積極的に取り上げ、親学の「歴史的根拠」としたのです。

「親学」には「最新の脳科学」というものもよりどころとしてます。その「脳科学」の持っている問題点はこの本の中で詳述されています。よく読んでみるとかなり「疑似科学」と思えるような知見がうかがえます。読まれたかたはどうかんじるのでしょうか。そもそも「親学」をはたして「学」と呼びうるものなのか……。原田さんはこう記しています。

──学問を真理の追求とかんがえるなら、親学の「学」は実態から離れた僭称とさえ言っていいだろう。それは論理体系としては空っぽだからこそ、怪しげなものをいくつも詰め込める。「江戸しぐさ」もまたその怪しげなものの一つだったのである。──

「親学」はさらに「サムシング・グレート」(人知を超えたものによって生命、宇宙が作られたという説)も取り入れて「親学はまさにトンデモの総合商社の感がある」とまで原田さんは苦言を呈しています。

もちろんどのようなものであろうと個人の心掛けであるのなら、それは個人の自由裁量の問題です。けれど教育行政として取り上げられるというのでは大きく異なります。とりわけ“道徳教育”として「親学」や「江戸しぐさ」が取り上げられるのは大きな問題だと思います。「虚偽が歴史的事実として教育現場で通用する」ということになるからです。さらに“日本文化の伝統”として取り上げられるのは間違いの上に間違いを重ねたもので、論外としかいいようがありません。

“江戸しぐさ”はこれからどうなっていくのでしょうか。“○○しぐさのすすめ”というような身近な“マナー運動”というようになっていくのでしょうか。

──偽史は滅びない。「江戸しぐさ」だって何度も甦るかもしれない。「江戸しぐさ」は過去の現実と向き合う意欲がなく、まだ見ぬ未来への期待も持てない者の夢だからである。──

この本は“江戸しぐさ”の現象を追ったものであると同時に、ある一人の男の思いつき(思い込み)が社会化して流通し、“カルト”となるまでを追ったものとしても読むことができます。ある観念がふくれあがっていくのはこの“江戸しぐさ”だけではありません。この本からは“虚偽”がどのように社会通念となっていくのかを知ることができます。この本は、読み方によっては、時の権威・権力がその社会通念を、ある目的のためにどのように利用しようとしているのかもうかがえるとても興味深いものになっていると思います。

ところで「トンデモの総合商社・親学」には親学推進議員連盟というものがあります。正式名称は「家庭教育支援議員連盟」という超党派のものですが、会長は安倍晋三総理だそうです……。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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