社会学の中に男性学という分野があります。文字通り“男性”というものを調査・研究対象としたものです。どのようなものがあるかというと、
1.男性性という社会規範やステレオタイプの押しつけからの解放を目指すグループ
2.従来の男性性を強調する保守的な男性学
3.男女差別の視点からとくに父親の養育権要求などを展開した男性の権利擁護派
4.同性愛嫌悪や同性愛差別に対抗するゲイ派
5.男性の男性としての精神的回復を模索する精神主義派
6.資本主義批判と男性の抑圧を結びつけて考える社会主義派
などだそうです。(『現代社会学事典』)
この本は1と5の立場の男性学といえるでしょう。
──「男とはこういうものなのだ」というイメージ、つまり「男らしさ」に対してプレッシャーに感じる男性の気持ちを尊重して、しっかりと耳を傾けます。男性学の立場では、そうした感情をないものにしようとする社会的な圧力のほうがよほど問題だと考えます。──
この既成の「男らしさ」の象徴・典型が「男なら働くのが当たり前」という観念(思い込み?)なのです。
──多くの人が「普通」だと思っている男性の生き方をしようとすれば、自動的に数十年もの期間にわたって仕事中心の生活をすることになります。何をするにも、仕事に支障を来さない範囲でやることになるわけです。社会人として、それは「普通」だと言いたい人もいると思います。──
この「普通」というものを成り立たせているもの、それを「普通」として受け入れさせているもの、あらためてそれを問うているのがこの本です。といっても少しも堅苦しいものでありません。就職、育児、会社、社会についてのびやかに綴ったエッセイ集ともいえるものです。ですから自分が気になったトピックから読んでみてもいいと思います。たとえば……。
「低収入の男性は結婚できないって本当ですか」というトピックスでは、あの「普通」というものはどのようにあわれているのでしょうか……。
──結婚が輝いて見えたのは、昔は「男は仕事、女は家庭」が「普通」の社会だったからです。完全分業体制ですから、結婚が生活の前提です。必然的に、結婚を中心に将来設計をすることになります。経済状況も女性の仕事に対する意識も変化した現代の日本社会において、結婚は言わば力の衰えた元スター選手です。野球でもサッカーでも、気を使って元スター選手をスタメンで使い続ければ、チームバランスが崩れます。同じように、結婚を中心に人生を組み立てるのは無理があるのです。──
「結婚についての普通」は今どうなっているのでしょうか。
──現在の結婚制度では、「異性愛のカップルと子ども」という組み合わせの家庭を持てる人だけが「幸せ」を実感できる、という社会通念が浸透しています。未婚や離婚、あるいは不妊を「不幸」と見なしたり、同性愛を「不自然」だと差別したりすることで成立しているのです。──
「結婚の普通」には現代が強いてくる“観念”がまとわりついています。そしてこの“観念”に従わせることで成立する社会というものがあります。しかも面倒なことに経済的状況を強いてくるこの社会が「結婚の普通」をも強いているということです。
男女の分業でいえば一部の富裕層を除けば、貧困という経済状況により、また女性の社会進出という面からもこの「結婚の普通」が不可能になっています。私たちがいる“社会”はまったく矛盾したことを私たちに強いているともいえるのではないでしょうか。
ですから田中さんのいうように「世の中のせいにしたって、いいじゃないか」なのです。
──「いまのままの社会」は、男性に一つのパターンの生き方しか認めていません。これがいかに現実の多様性を無視したシステムなのかを、まずは自分が実感する必要があります。──
この社会はどんな言葉で装飾しようと根底に流れているのは“不寛容”というものです。あるゲイの若者から聴いた話が載っています。
──勇気を出して親に同性愛者であるとカミングアウトした時、親は彼の言葉にまったくリアクションせず、完全に無視をしたそうです。別の男性は、親に「そうなのかもしれないけど、『普通』に女の子と結婚しようね」と語っていました。多様性の否定がどのようにして人生の否定につながるのか、具体的に分かったと思います。──
ここから次の疑問が湧いてきます。このような“不寛容”、矛盾したことを押し付ける社会をなぜ私たちは「普通(そういうものだ)」と思って(思わされて)いるのでしょうか。
──社会心理学の知見では、実際に社会に問題が生じている場合でも、それが現状だからという理由だけで、人は社会のその状態を「正しい」と考えてしまう傾向があると指摘されています。多くの人が現状維持を臨み、「いまのままの社会」でいいと考えているかぎり、社会は変わらないのです。──
けれど「いまのままの社会」が差別や強制、不寛容のうえに成り立っていることは確かです。男性だけでなく女性も感じている息苦しさ、“しかたがない=諦め”があらわしているはそのことです。“生きづらさ”は錯覚ではありません。それを生む原因が確かに存在するのです。
「就職できなくたって、いいじゃないか」「男なら夢を追いかけるべきですか」「男の価値は年収で決まりますか」「低収入の男は結婚できないって本当ですか」「女性をリードできないとダメですか」「競争に負けるのは自己責任ですか」「未来に希望はありますか」等々のトピックに丁寧に答えた田中さんは最後に読者へむけて次のようなメッセージを送ります。
──多様な人が一緒に生きる社会を実現するためには、単に違いを求めるだけではなく、お互いを尊重し、受け入れようとする寛容さ、つまり積極的な寛容が求められます。現代の日本は、少子高齢化が進んでいるにもかかわらず、円滑な世代交代が遅れ、企業だけではなく、社会全体が若者につけを回す状況になっています。社会が変わらなければ、損をするのはみなさんです。自分を変える勇気を持って、一緒に社会を変えていきましょう。──
自分で自分を変える勇気こそが社会が強いてくる“息苦しさ”をなくすことができるのです。男性だけでなく、読むものすべてに元気を与えてくれる1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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