「共感性羞恥」。8月下旬、テレビのバラエティ番組でこんな言葉が出てきました。他人のミスや、ドラマの登場人物が恥をかかされるシーンを見ていると、まるで自分までもがそんな体験をしているかのように脳が働いてしまうことを「共感性羞恥」というのだそうです。そのような人はテレビのドッキリも苦手なのだとか。
わかります……。実を言うと、僕も昔からドッキリが大嫌い。絶対に観ません(作ってる人、ごめんなさい)。よほど好きな芸能人が画面に出続けない限り、チャンネルを変えます。そもそも好きな芸能人にはそういう番組に出てほしくない。
ただし、僕の場合は例外があって、フィクションの登場人物が恥をかくぶんには(若干の苦痛を伴いながらも)まだ看過できるみたいです。そこまで共感性羞恥は強くないのでしょう。……そうなのだと、思い込んでいましたよ。つい最近まで。『銃とチョコレート』を読むまでは。
先に言っておくと、この小説はホント面白いぞ! 名探偵、怪盗、謎の地図やらが登場する冒険ミステリ。もうそれだけで童心にかえってわくわくできます。さすがは乙一先生。
本作はもともと2006年に「ミステリーランド」というレーベルから刊行されました。「ミステリーランド」のキャッチフレーズは、〈かつて子どもだったあなたと少年少女のための〉、つまりジュブナイルを意識したレーベルです。『銃とチョコレート』の主人公リンツも11歳の少年です。
そのリンツくん、なかなか勘が鋭かったり、それ以上に、そうでもなかったりして、僕の共感性羞恥は珍しく頻繁に反応しました。
リンツは主人公ですが、推理小説的には「ワトソン役」も兼ねています。ワトソン役といえば、間違った推理を喋ったり、何かと勘違いして名探偵にうんざりされるのがお約束。僕は、そういうのには慣れています。よほど相手を小馬鹿にしたものでない限り、共感性羞恥が刺激されることはありません。これまではそうだったのです。でも、今回は違いました。
リンツがまだ11歳の子供だからだという理由に加えて、この子には幸せになってもらいたい、と切実に願いつつ読み進めたからだと思います。
リンツの父親は移民で、彼は混血児です。物語が始まって数ページで、リンツは差別的な発言にあい、それは小説全体を通じて出てきます。そういうものが絡んでくるとは想像していなかった僕は、ちょっとびっくりしました。リンツはそうした理不尽な状況に対して、もちろん悔しさや、やるせなさを感じています。親しくしていた人物から「このクソったれの移民め!」と罵られたあとは、とうとう泣いてしまいます。
でも、そのあとは、意外と平然としているのです(物語的に、あれこれ非日常的なことが起こるので、ずっと気にしている暇がないにしても)。これは、差別に慣れているからでしょう。そのことに、僕は心を痛めました。差別が常態化している環境で友人を作り、傷つきながらも、ポジティブに生きようとする。まだ11歳の子供が。身につまされるというか、その気丈さに頭が下がるというか……。
僕には、彼の本当の心情を推し量ることはできません。実は、平然としたふりをしているだけかもしれない。読者にも知られないところで、ずっと泣いているのかもしれない。そんな彼に、安易に「同情した」なんて言ったら、無責任でしょうか。しょせんは傍観者の意見でしょうか。きっとそうなのだとしても、そんなふうに思った以上、彼がミスをしたり、恥をかかされそうな場面になると、共感性羞恥が働いてしまいます。リンツには、辛い思いをしてほしくない。そんな気持ちから。
著者の乙一さんはこの作品の執筆前に、ポーランドに行かれたそうです。そのとき感じたことを「少年の冒険活劇に重ねようと決めた」。講談社文庫の『銃とチョコレート』の特設ページにその旨を記した文章が掲載されているので、興味のある方は一度閲覧してみるといいでしょう。
少し重たいことを書いてしまいましたが、これはおそらくこの作品の重要なテーマのひとつです。無視はできなかった。
もっとも、『銃とチョコレート』が心情的に読み進めるのがしんどい小説かというと、それは絶対に違います。むしろ、ぐいぐい読める。名探偵、怪盗、異国。そうした「非日常」をもたらしてくれる設定に、まずは興味を惹かれます。冒頭からリンツの生活が丁寧に描かれ、読者が望むであろうタイミングで、謎の地図が出てきたり、事件が起こったり、意外な人物が登場したりするので、ストーリーも決して冗長にはならない。そして、リンツが差別されているという設定が、この作品をジュブナイルにとどめず、大人が手に取っても読み応えのある傑作にしています。
大切な肉親を亡くし、やがて憧れの名探偵ロイズと行動をともにし、謎の怪盗ゴディバを追うことになるリンツ少年の力強さ、健やかさは、きっと大勢の読者の心に響くでしょう。物語が進むにつれ、彼は少しずつ成長していきます。気がつけば、僕の共感性羞恥は全然反応しなくなっていました。辛さ、苦さ、切なさ。そうしたものを飲み込んでしまう面白さ。そして最後には、妙に晴れ晴れというか、こざっぱりとした気分にもなれる。そんな小説です。面白い冒険ミステリを探しているなら、必読でしょう。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。