「やられたらやり返す……八つ当たりだ!」
大ヒットドラマ『半沢直樹』の決めぜりふ「やられたらやり返す、倍返しだ!」のパロディのようですが、これはパロディのセリフではありません。日本社会を息苦しくさせている画一的とも思える幸福を追い求めるという「タガメ女・カエル男システム」に取り込まれ、そのことに自覚しない「カエル男」の一種、「攻撃型カエル男」の行動(言動)パターンなのだそうです。(このシステムについては前著『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』に詳述されています)
この本は前著以上に、私たちが置かれている閉塞感がどこからきているのかを追った力作です。決して専業主婦批判や、それを補完するサラリーマン(根性)批判ではありません。
前著ではタガメ女の特徴(生態?)にページがついやされていました。彼女たちの“幸福”に対する先入観、強迫観念はどのようにして生まれたのか、どこからきたのか詳述されていました。その指摘に対する反響はすさまじく、深尾さんのエッセイによれば「タガメ女という言葉が“放送禁止用語”扱い」を受けたこともあったそうです。専業主婦批判と受けとられ、聴取者・視聴者の反発を恐れたのです。
この本ではそのタガメ女に“捕食”されたカエル男の実態を追求しています。“捕食”されたとはいえカエル男は被害者ではありません。相補関係にあるというべき存在です。
カエル男は深尾さんによれば4つの類(?)に分けられます。
1.妻にしがみつく「依存型カエル男」
2.家庭外で鬱憤を晴らす「攻撃型カエル男」
3.終身雇用にしがみつく「自己犠牲型カエル男」
4.自己啓発と絆に逃げ込む「現実逃避型カエル男」
「依存型カエル男」はとても分かりやすい例だと思います。“捕食”され、すべてを「妻の判断に委ねた」姿がその本質です。こういうと、なんだそんなことか……自分は違う、と思われるかもしれません。
けれどそれは短慮です。ここにあるのは「自分の頭で考えることができなくなってしまった」ということなのです。既成のお仕着せルールに従って疑うことができない……。
──「これが幸せ」というレールから外れることを極度に恐れ、そのレールに乗れない自分を責め、乗ることができた他人と比べねたみ、そしてその行き場のない怒りを弱きの者にぶつける、ということが日本社会のいたるところでおこなわれているような気がしてなりません。──
気づかないうちに自分を放棄し、「依存としがみつき」の中で生きているのがカエル男であり、それに「ぶらさがり」、「搾取」しているのがタガメ女です。この「タガメ女・カエル男システム」の行きついた果てが今の日本です。
──家庭で妻(=タガメ女)にカネや社会的リソースをチューチュー吸い上げられ、その反動で会社ではポストにしがみつき、弱い立場のものから収入を奪う……。日本にはそんな「カエル男」が蔓延(まんえん)しており、「搾取とぶらさがりの連鎖」が基本となる「カエル国家」を築き上げてきた。──
日本を覆っている息苦しさの正体がここにあります。つまり「日本が抱える根源的な『病』を、『依存型カエル男』の存在は、われわれに教えてくれているのです」と。
タガメ女に縛りつけられながら、タガメ女を縛りつけるカエル男は他方で会社組織、社会に「依存としがみつき」でぶらさがっているのです。ここにある閉鎖性と共犯性は無責任と停滞、さらには排他性を生みだしていきます。必要なことは「日本の男を“カエル”たらしめている、“搾取と支配”の構造から解放する」ということです。
すべての先入観(=常識)と呼ばれているものをまずは疑うこと、そして自分の頭で考え、自分の足で立つことを試みること、そのための方法はこの本に詳述されています。すでに“専業主婦”は特権化されています。ですから逆に“専業主婦”になれないタガメ女は新たな「働かされタガメ」、「間違えタガメ」、さらには「破滅しタガメ」になっていると深尾さんは他のエッセイで記しています。幸福追求の情熱が歪んでしまっているのです。深尾さんがいうように「新たな関係の構築」が急がれていると思うのですが。
ところで、日本の閉鎖性に触れ、さらに実に面倒くさい「攻撃型カエル男」について深尾さんはこんな“社会診断”をしています。少し長いですが、是非お読みください。どのような感想を持たれるでしょうか……。
──閉鎖性を象徴するのが、日本のリーダーではないでしょうか。安倍晋三、野田佳彦、麻生太郎……近年、首相の座についた面々を見れば、どの方も「カエル男」だということがわかります。とくに現首相の安倍さんなどは典型的な「攻撃型カエル男」といえるかもしれません。
二人の強力な「タガメ女」(安倍昭恵、安倍洋子)から搾取とコントロールをされ続けている安倍さんが、その鬱憤を晴らすかのように攻撃性を出すのも頷けます。
そんな“カエル男首相”が日本のデフレを脱却するために打ち出したのが「アベノミクス」です。この効果については専門家のみなさんがいま論じているところですから、私としては何も言うことはありませんが、ひとつはっきりとしているのは、しょせんは「井戸の中」を一瞬だけ明るく照らす打ち上げ花火だということです。花火は花火に過ぎません。いつかは消えます。ここから持続していく成長戦略、つまりイノベーションを引き出すためには、やはり日本的なカエル男社会から脱却し、井戸の中から飛び出して、異質なものを受け入れるしかありません。──
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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