先日、生まれて初めて救急車を呼んだ。6年近く住んだ家を引き払い、職場の近くに引っ越しをしたストレスによる。引き払った家は私には幾分広過ぎた家だったが、飼い猫のために維持していたようなものだった。しかし猫は最後の2年ほどは、夜中にこの世の終わりのような絶叫をするようになり、私はそのたびに起こされた。
猫は、新居を嗅ぎまわることもしないで、すぐに馴染んだ。西陽が差し込み、日向ぼっこをしている姿を見て、なんでもっと早くに引っ越さなかったのだろうか? と呆気に取られた。一方で、私は狭くなった部屋に馴染めずに、何度も壁やドアに手足をぶつけたり、圧迫感に苛まれ数日間は窓を開けなくては眠りにつけなかった。
ものを納め終わったころ、ようやく新居を「なかなかいい部屋かもしれない」と、これから始まるここでの生活に期待感を持てるようになった。
手放した空間やもの、思い出にばかりに気を取られて、新たに手に入れたものの価値に目も向けず、悲しんでいた。愚かだったと今は思う。人は未来を過去より上手く生きるために、記憶や知恵、知識を蓄えているはずなのに、その為に返って生き方が下手になっているのだと、この「ヨーコさんの"言葉"」を読んで気付かされた。「引っ越し?それがなんぼのことだ」である。経験則から複雑にものごとを考えすぎている人間の愚かさを、痛快に示唆してくれる。
現在もこの「ヨーコさんの"言葉"」は、NHKのEテレで日曜の朝と木曜の夜に放送されている。
番組ではエッセイ集の中から抜粋されたヨーコさんの“言葉”に北村裕花さんのイラストが添えられ、上村典子さんのドキッとするような声で語られる紙芝居のような5分間だ。
癌に侵された猫が「死ぬ」ということを当たり前のこととして受け止め、静かに息を引き取る姿を描いた人気作「フツーに死ぬ」や、大学時代にたった1枚の服しか持てなかった仲間たちのすがすがしさを綴った「貧乏人の品性」、『100万回生きたねこ』
ヨーコさんの"感じたままのシンプルな言葉"が、心にスッと突き刺さる。
ここに描かれていることは、全てごくごく当たり前の日常の出来事だ。
しかし、たとえそれらの出来事を私自身の生活にそっくり代入したとしても、ヨーコさんのようには感じられない。私は、猫のように屈託なくもなければ、ヨーコさんのようにいじわると諦めと愛が同居するような境地にも至れない。
出来事と自分自身をあるがままに受け止め、それを楽しめるようになるには、もう少し時間が必要なのだろうか? それとも訓練だろうか?
何かに迷ったとき、未来を不安に思った時、私はこの本をまた手に取るだろう。
レビュアー
1977年8月31日、東京都生まれ。