今年の3月末の講談社BOOK倶楽部「今日のおすすめ」に『三軒茶屋星座館』シリーズの著者・柴崎竜人さんのインタビューが掲載された。まずは、そこから一部抜粋したい。
──(前略)今では一人暮らしが当たり前の「核」だけになってきている。そんな時代を生きる僕らが、どうやって家族を取り戻していくのかがこの作品のテーマのひとつだと思っています。(中略)常連客たちも含め、血のつながりのない人たちが身を寄せ合って生活していく新しい家族像を描きたかったんです。──
──またそれとは別に、星座をテーマにした物語を作りたいとも思っていました。(中略)核である一人ひとり(=星)が、何かしらの線で結ばれたとき、家族という「星座」になることで奥行きが広がる。そこに物語が生まれる。各章で和真が語る星座とそれにまつわるギリシャ神話は、その象徴だと思います。──
著者のこのコメントは、シリーズ最新作『三軒茶屋星座館 春のカリスト』への質問に応じたものだが、これから紹介する『三軒茶屋星座館1 冬のオリオン』の説明としても完璧に機能している。というわけで、レビュアーである僕の役割は、この時点で実質的には終わった。と本気でそう思っているのだが、登場人物の紹介など、もう少し説明してほしい、という方もいるかもしれないし、その方がこの素敵な作品の魅力がより伝わるかもしれない、とも思い始めたので、よし、もう少し掘り下げていこう。
物語の舞台は東京・三軒茶屋。世田谷屈指のお洒落な街のイメージで語られがちだが、実際には新旧入り混じる下町で、昭和の匂い漂う一帯が現存。作中の記述によると、駅の裏手の古びた繁華街には、銭湯に立ち飲み屋、風俗マッサージなど低層建築ばかりが立ち並んでいる。その一帯の中で唯一の十階建てビル──といっても、築50年以上のおんぼろ雑居ビルの7階に「三軒茶屋星座館」はある。
ここは、バーカウンター併設のプラネタリウムだ。客席は扇状に12席並び、天井には常設型のドームスクリーン、その真下に年代物のレンズ式星像投影機。店の経営者は、大坪和真といって、金髪の33歳。彼が本書の主人公である。
お酒が飲めるプラネタリウムというのは、実際にあるらしい。しかし、僕は行った経験がないので、このアイデアにはおもわず膝を打ちたくなった。星空を眺めながらお酒が飲める。ひとり落ち着きたいときに顔を出すもよし、パートナーがいるならカップルで来店するもよし。
このアイデアを実行に移した和真の経営者としての才覚は、なかなかのものに違いない。こんな素敵な店が儲かっていないはずがないからだ。──と思ったものの、ページを進めていくと、閑古鳥が鳴きっぱなしの店だとわかる。
一応、常連客はいるようだが、飲酒と睡眠のために来ているようなもので、誰も星座にまつわるエピソードを聞きたがらない。物語を読み進めてゆけばわかるが、和真の星座の話(ギリシャ神話のエピソード)はめちゃくちゃ面白いのに、だ。四角張った感じが一切なく、ユーモアたっぷりで、とにかく笑える。そして下ネタが多い(下ネタが多いのは著者のせいではなく、ギリシャ神話の責任だと思うが、その下ネタがまた面白い)。とにかく、こんなに面白おかしく星座の話ができる和真は天才に相違ないはずだが、どうしてなのか客は来ない。来たとしても、「雀荘へ行くから二十二時前に起こして欲しい」とか頼むような客である。
ある日、そんな和真と店に転機が訪れる。といっても客が押し寄せてきたのではなく、アメリカで物理学の博士号と過剰な筋肉を身につけた弟の創馬が、8歳の娘・月子を連れて訪ねてきたのだ。星座館と同じフロアにある和真の住居スペースで、弟親子は居候を始めてしまう。和真にとっては何もかもが青天の霹靂だったろう。
しかし、和真にとってこの〝新たな家族〟の出現こそが、心温まる物語の胎動でもあった。抜粋した上のインタビューにあるように、『三軒茶屋星座館』は家族像を描いた小説だからだ。
第一章では、月子が連れて来た高校生・奏太(かなた)をきっかけに、物語が展開していく。コンセプトは章のタイトル「オリオン座」にまつわる神話だ。これは各章共通であり、言わば本書のストーリーはギリシャ神話の意訳のようでもある。
各章を読むとわかるが、ギリシャ神話の神々はとてつもなく人間臭い。傲慢で単純で節操がない。でもだからこそ、お高くとまった感じが希薄だ。おっちょこちょいだなと笑えるし、神様も人間とそう変わらないなと思えたら親近感が持てる。その共感が、この小説の面白味でもある。
本書には奇を衒った展開は、あまりないと思っている。それはそうなるだろうね、と思っていると、たいていその通りになる。しかし、退屈な感じはまったくしない。予測通りの展開ではあっても、本書のそれには〝磁場〟があるからだ。読めば読むほど吸い寄せられていく。磁場の正体は人生のリアリティだ。リアリティを生み出す要素のひとつが共感。コミカルに、ときには荒唐無稽に描いておきながら、人と人がたまさか出会って人間関係を築いていくさま、反対にそれまでの関係があっさり崩壊していくさまが、とても丁寧に描かれている。だから面白いし、強引に奇を衒う必要もないのだろう。
たぶんだが、人間は人間のことが気になって仕方がない。フィクションや報道など形はなんであれ、他者の人生の局面を知りたがる理由のひとつが、きっとそれだ。『三軒茶屋星座館』にはそうした人生の局面がたっぷりと詰まっている。笑って泣ける人間ドラマが、僕たちの身近にも、そして頭上にもあるのだと教えてくれる。
本書を読了した方の中には、晴れた日の夜空に、満天の星を仰ぎ見たくなった人もたくさんいるだろう。実際そうなったとき、もしも隣に誰かいたら、知ったかぶって一席ぶつのもいいかもしれない。気負う必要はない。むしろ和真のように、自然体で話すべきだ。神話や星座に疎くても、『三軒茶屋星座館』で予習しておけば大丈夫だ。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。