中山千夏さんという名前を聞いて何を思い浮かべるでしょうか。作家、エッセイスト、市民運動家、参議院議員、テレビ司会者、歌手、舞台・テレビの役者、声優(人形劇『ひょっこりひょうたん島』博士役)さらには名子役……。何を思い浮かべるかによって読む人の年代が分かるような気がします。
いまでは中高生向けのマルチタレントコースというものが芸能スクールにもある〝マルチタレント〟というものですが、このはしりとよべるのが中山千夏さんです。
テレビで活躍することによって、とりわけワイドショー出演の影響が大きかったのかとも思いますが、’60年代末から’70年代にかけて中山千夏さんは一種の社会現象ともいえるチナツブームを巻き起こしました。けれどそれは同時に毀誉褒貶、さまざまな形でメディアに取り上げられることになったのです。本人にとっては「芸能人・中山千夏の時代は、私にとって不快を伴う空虚な時間」となってもいたのです。この本はその時々に雑誌に書かれた中山千夏についての記事を読み返しながら、過去との対話を通じて綴り上げた記録です。回想録や自伝というより、〝中山千夏の時代〟の記録といったほうがふさわしいものです。
この記録に登場する人物は、佐藤栄作、菊田一夫、榎本健一、井上ひさし、野坂昭如、柴田錬三郎、カルメン・マキ、矢崎泰久、竹中労、加藤登紀子、和泉雅子、加賀まりこ、佐々木守、青島幸男など多士済々の顔ぶれです。それぞれが一時代を築く、もしくは一時代の象徴ともなった人々です。20歳前後の千夏さんが誰にも、何事にも臆せず振る舞うさまは〝才女〟と形容された彼女の面目躍如たるところでしょう。もっとも記事になったものの中には、ねつ造に近いものもあったようですが……。
この本の中に日大全共闘の学生と学生活動家のスタイルで写っている写真が収められています。時代は'60年代末、大きく日本が揺れ、変貌していく時代でもありました。連合赤軍事件にいたる学生運動、三島由紀夫の自決、他方では公害の発生や大阪万博……それぞれの事件に売れっ子のテレビタレントとして、ワイドショーの司会者として遭遇した彼女は天真爛漫とでもいっていいような姿で向き合います。忘れられないこと、久しぶりに思い出すこと、自分が登場する過去の記事と対話する現在の千夏さん……。複合的な視点によってこの本は、ジグソーパズルが完成するように文化史としても見事に織りなされています。
寵児となったブラウン管(!)の向こうで彼女は「ハタチの千夏にはそれと見て取る術もなく、ただそこでもてはやされながら、原因不明の居心地悪さ、底なしの疎外感といった不快に日々襲われているだけだった」と感じていました。けれどファン、視聴者はそのようなことを知るよしもなくタレントとしておもしろがっていたといってもいいかもしれません。
千夏さんに新しい世界をもたらしたテレビというものも大きな変革期をむかえていました。ドキュメントの手法が盛んに取り入れられ始めたのです。〝リアルさ〟というものが、速報性とともに求められるたのです。けれどこの手法には落とし穴がありました。ドキュメント風という虚構も生みだしたのです。今でいう〝やらせ〟に近いものといえるかもしれません。この本ではカルメン・マキのデビューの手法が綴られています。〝作られたドキュメント(ドキュメント風)〟というものの典型的な例として詳述されています。そこには視聴者の心にあった〝リアルさ〟への欲望・願望が反映されていたのだったのかもしれません。
このドキュメントの手法はテレビドラマにも大胆に取り入れられていきました。ドラマの内容・進行と出演者の現実とが入り交じったような番組も作られました。テレビが大きく変わろうとしていた時代だったのでしょう。
佐々木守さんがテレビについて語っていた言葉が引用されています。
──テレビとは、果てしのない時間の流れを、とにかく便宜的に区切った「番組」の総体でしかありえません。(略)テレビ番組はモンタージュが不要の素朴なドキュメンタリーである。──
これを受けて千夏さんはこう記しています。「人間ドキュメントの素材になるのがシゴトである、ということには、やっかいな問題がある。人間性がウケて売れれば売れるほど、素材もしくは商品に転換したぶんだけ、人間性が削り取られていく」と。千夏さんが次第にテレビの現場から離れていくことになった要因がここにあったのです。
テレビの変化、テレビに視聴者がなにを求めていたのか、作り手、送り手はなにを目指して苦闘していたのか……優れたテレビ論が語られている最終章は今のテレビを考える上でも必読です。
千夏さんの人物観察眼にも注意を払って読んでほしいと思います。たとえば青島幸男さんには心の奥の中に「深い虚無主義」を見ていたそうですし、喧嘩相手(?)でもあった竹中労さんには人間の真情のあふれている姿を見ているなど、千夏さんの人物評にはどれも読むものを唸らせるものがあります。彼らの活動を知っている人はウンウンと頷くでしょう。知らない人でも、この本を読むと改めて知りたくなるのではないでしょうか。
この本は疾風怒濤という言葉がふさわしいあの時代を、独自の観察点を持つことで生き抜くことができた千夏さんが描き出した'60年'70年代日本の文化論です。そして、またポスト芸能人としての今を生きる彼女の原点を記したものなのだとも思います。
週刊誌の記事となった自分と対面し、対話することで極私的なものがそのまま〝普遍的なもの〟となっている希有な記録がここにはあります。「何十年の距離を隔てて振り返ってみると、かつて自分のいた場所がよく見える」ものだということもあわせて……。そしてこの2点の距離のなかに人の生き死にを含めた歴史の流れというものを感じさせます。〝あの時代〟に興味があるかたには必読ですし、今のテレビ文化の源流を探る上でも興味がつきないものだと思います。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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