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2016.03.25

レビュー

【20年無敗の雀鬼伝説】他者を見抜く「自分を切る技術」とは?

〝眼光紙背に徹す〟にならっていえば〝眼光雀牌裏に徹す〟とでもいうのでしょうか、この本は、20年無敗を誇るプロ雀士が経てきた、勝負の場でつかみ取ってみた〝人間把握(観察)術〟です。

──人が人を見るとき、そのほとんどは自分の思考や価値観、そして体験値といった〝モノサシ〟を当てて見ているにすぎない。つまり、人は相手主導ではなく、自分主導で他人を見るものなのだ。──(本書より)

この間違いに気がつけば「人が人を観察するというのはたいしたことではない」と実にこともなげに桜井さんは語っています。「相手を正確に見るには、そんなモノサシはあまり必要ない」、いったん捨て去るがいいということなのですが、これが思ったより難しい気がします。観察というものにはどうしても〝私(観察者)〟の視点が入ってくるからです。

──じつはここに、人間の弱さが潜んでいる。固定観念に囚(とら)われ、「それしかない」と思い込んでいるのだ。答えは常にひとつしかない、というような強迫観念にも似た考えだ。そういう人は、「絶対」という言葉をすぐに使ったりもする。──(本書より)

〝私〟を捨て去ることの難しさ、それは麻雀の牌を捨てる難しさと同じように思えます。なにしろ雀士が牌を「捨てる、あるいは切るという行為は、臨機応変で、柔軟で……と、すべてをそなえていないとできないのだ。牌を捨てるという行為には、弱気、疑い、損得勘定など人間が持つ欲、いやらしい部分がすべて出てくる」からです。これを知り、このことを身につけられれば人を見抜くこともできるようになるに違いありません。桜井さんはそう言っているように思えるのです。

見事に「切る」ことができれば「自分のモノサシに囚(とら)われることなく、目の前の変化を感じ取り、柔軟に対応」できるようになり「たえず新しいものが生まれていることに気づき、それを発見することができるだろう」。もちろん変化しているのは相手だけではありません。「大切なのは、自分も変化しているのだという自覚と、目の前の変化に対応しようとする柔軟さ」なのですから。これが人を見抜く勘所です。

自分も変化していることを私たちはつい忘れがちです。忘れていなくても、自分を焦点(中心)にして変化していると思いがちです。なにしろ観察しているのは自分なのですから無意識でそうなってしまうこともしばしばあると思います。

桜井さんが率いる雀鬼会では「牌を切る練習ばかりしている」そうです。ひたすら「切る」という動きに集中することで、とらわれがちな〝私〟を捨てるということにほかなりません。

──動き、そしてその次に考え方。思考、動作といった心身の両面で、できるだけよい形で牌を切れるように、メンバーたちは日々鍛錬に励んでいる。切り方を練習していると、だんだん麻雀に対して美意識というものが出てくる。動作を磨いていくことで徐々に思考にも美しさが出てくるのだ。──(本書より)

無私の美とでもいうものなのでしょうか、その位置に立てれば「相手の体の動きや言葉から、微妙なリズムや調子、あるいは違和感を感じ取って」行動することができるようになるのです。ちなみに桜井さんの牌を切る美しさは動画サイトで見ることができます。

でも単なる無私のすすめではありません。

──私は、ものごとにはこだわる。こだわらないと選別できないし、方向性も決まらないからだ。しかし、その時に囚われるという感覚にはならない。酔う人は囚われるから酔ってしまう。「こだわる」と「囚われる」は同じようなものだけに使い分けは難しいところだが、ものごとにこだわってもけっして囚われてはいけないのだ。柔軟性を付加したこだわりを持ち、囚われに繋がる固定観念はできるだけ消し去るようにする。──(本書より)

このあたりが勝負の世界で生きてきた桜井さんの〝私〟というもののあらわれでしょう。そしてこう記されています。

──夢や希望というものは、妄想や幻想をごまかすためにあるのだということをまずは自覚することが大切だ。夢や希望を錦(にしき)の御旗(みはた)として掲げたら、それこそ嘘っぱちだらけの人間になってしまう。夢がなければ生きられないとか、希望があるから生きていけるとか、そんなものは人間の〝生(せい)〟とはまったく関係のないことだ。
──(本書より)

まさしく達人の言です。この本はどこをとっても桜井さんの鼓動と熱い血が感じられます。桜井さんの生きてきた世界がうかがえるようです。なにかに迷った時、人を見抜くということよりも、それ以上におのれの底にいつの間にか溜まった澱(おり)を取り除き、健(すこ)やかさを取り戻すのにきっと助けになる1冊です。こんな一節もまたそのような思いを強く感じさせてきます。

──存在感というのは誰でもがもともと持っているものなのだ。その存在感の幅を広げるには、日常生活の中で、なにごとに対してももっと〝当たり前〟という感覚を持つことが必要だ。最近よく耳にする「あり得ない」ではなくて、「すべてあり得るんだよ」という感覚だ。そういう感覚を持ち続け、自分の人間としての間口を広げて対応できる心構えをつくっていけば、存在感というものは自然と滲(にじ)み出てくるものなのだ。──(本書より)

〝私〟をちゃんと切れるという練習を私たちはすべきなのかもしれません。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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