56歳でセミリタイア宣言をした後、「日本、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア」と「ひまわり生活」を続けている大橋巨泉さんが胃がんになったのは2005年のことでした。この本はそれから9年後に発見された2度目のがん(ステージ4Aの中咽頭がん)の闘病記です。
普通の闘病記と違っているのはパートナーの日記が同時に収録されていることでしょう。この二つの視点(!)が巨泉さんのがんとの闘病・治療の様子がより克明に浮かび上がらせてきます。微妙に異なる記録が、人間がどのようにがんに立ち向かい、そこから回復してくるのか、読むものに強く迫ります(闘病中の方たちには失礼な言い方ですが)。
なかでも放射線治療中の患者さんの実態が患者(大橋さん)と看護人(寿々子夫人)の両面から同時に描き出されているのは、巨泉さんが言うように「今後同じような体験をされるかもしれない読者のため」の貴重なドキュメントになっていると思います。
大橋さんはがん治療にあたって主治医と徹底的に話し合ったそうです。「方法は、手術、放射線、抗がん剤、そしてこのうちふたつ以上の組み合わせ」があります。この話し合いで大橋さんが重視したのは術後に「生活の質」を落とさないということでした。そして選んだのは「転移していたリンパ節」のガン切除という手術と本体(中咽頭がん)を放射線で治療するというものでした。
リンパ節の手術後に始められた放射線治療の経緯がこの本の中心になっています。35回の照射、その間にはさまざまな副作用と日常生活の不自由さが彼を待っていました。
──副作用だが、3日目くらいから現れた。よく言われる〝口中の渇き〟ではなく、口の中がネバネバして不快感がある。──(本書より)
副作用との長い闘いが始まりました。巨泉さんが「お化け」というように、なにが出てくるか分からないのが副作用です。個人差、病状差等があり予測がつかないのです。
──個人差があるが、放射線治療を選択したボクの場合、痛み(主として口内炎)、乾き(口の中がカラカラに乾く)、吐き気(嘔吐感以外の不快感も含む)、そして最大の敵「味覚の喪失」である。この4つにまとまって攻撃されたら、まず食欲は完全に失われてしまう。──(本書より)
嚥下力も低下し、薬を飲むのも苦痛、誤嚥にも注意しなければなりません。その副作用を緩和するために処方された薬からもまた副作用が生じてきます。ほんとうになにが出てくるかわからない「お化け屋敷」のような、不安で心安まらない日々が続いたのです。その苦痛を少しでもやわらげようと、食事ひとつに工夫を凝らす寿々子夫人の記録もまた、がんと闘う方たちの参考になると思います。
嚥下力がいくら落ちても体力をつけるためには食事をさせなければならない。どのようなやり方をすればいいか、どのようなことに気をつけて調理すればいいのか……しかも夫の味覚は消えてしまっている……。文字通り〝味気ない食事〟は本人にまったく食欲ということを呼び起こすことがなかったのです。
では、どうすればよいのか……。夫人はこのようなことを提案します。「前に食べたときの味を思い出して、食べてごらんなさい」と……。これこそがヒューモア(ユーモア)のように思います。この二人の記録に、つまりはお二人の根底にあるヒューモアがここに顔を出しているように思えます。
その後の回復の経過、リハビリの様子も患者側、看護側と〝複眼的〟に簡潔ですが的確に記録されています。回復が決して「直線的に戻っているのではなく(略)もっと曲線的で、日によって違うことが多い」ということがよくわかります。
──女房としては、昨日作って喜ばれたのに、今日はまずい(食べられない)と言われた、ということになる。しかも酸味や苦味は、最初に戻ってきたときは強烈に感じる。(略)そうした「味」は、曲線的に強弱をつけながらボクの感覚に溶けこむが、次の味が帰って来ると、急に弱くなったりする。自分ではコントロールできないが、看護者とよく話し合って、〝落としどころ〟を見つける必要があるだろう。──(本書より)
巨泉さんは「生活の質」というものをとても大事にしていて、それを支えるのが「健康」「パートナー」「趣味」「財政」というものと考えて実践してきました。誰もが巨泉さんと同じような生活はできないとは思いますが、自分なりの「生活の質」を考えて生きていくことはなにより大事なことだと思います。
そしてなにより「パートナー」との関係が「生活」そのものを支えてくれているということを強く感じさせてくれる闘病記であり闘病後記でした。巨泉さんは今後は人生を5年ごととして考え、生きていくことにしたそうです。そのことの内実を含め、私たちにもいま一度、「生活の質」とはなにかを考えさせるヒントがあふれている1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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