スタンダールに『恋愛論』という古典がありますが、やはり誰かが言っていたように〝恋愛は論ずるものではなくするものだ〟という気がします。恋愛小説は〝擬似〟とはいえ〝体験する〟ものでしたから、かつては『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)を読んで、その影響を受けて多くの若者が自死するという社会現象を起こすものもありました。その後も数多くの恋愛小説の名作が生まれました。『若きウェルテルの悩み』ほどではないものの、流行・社会現象になったものは数多くあります。
その恋愛小説史からみてもこの小説はとても特異な、仕掛けの多いものになっています。
舞台となるのは『二十世紀の恋愛を振り返る十五ヵ国会議』という〝恋愛を論ずる〟会議。そして「BLIND」調査委員会と呼ばれる調査組織です。2001年に山梨で開かれた第17回目の会議で「二十世紀最高の恋愛」の最高賞に選ばれたのは、ある日本の〝恋愛事例〟でした。
その受賞した恋愛とは1994年の日本に生まれたものでした。テーマパークに勤める青年、華島徹とパン工場で新しい酵母の開発に熱中している遠野美和の間で起きた恋愛です。
思えばそれはとても不器用な恋愛でした。始まりは美和の間違い電話です。新しいパン作りを目指している彼女がパン屋の電話番号だと思い込んで掛けた先が、この〝恋愛事例〟の相手、華島徹の電話だったのです。徹は閉園計画が持ち上がっている遊園地で「レイン・レイン」という水のショーの演出の仕事をしている青年でした。
美和は徹の留守電のメッセージを聞いて心ひかれ、間違いだと気づいたものの、ついまた徹へ電話を掛けてしまいます。けれどなんのメッセージも残せません。無言電話になってしまったのです……。
幾度となく掛かってくる無言電話から徹は、相手が同じ人であることに気づき、なんとかコミュニケーションをとろうと試みます。徹の声、問いかけに臆しているのか少しも答えられない美和。けれどそんな彼女を徹は次第に身近な人と感じるようになっていきます。返事の代わりの電話のプッシュ音でのやりとり、でも恋愛に必要な心(言葉)はそこから始まっていったのでした。
ケータイやメール、SNSのない時代です、わずかな音、息づかいがお互いに大きな意味や喜び、時には悲しみをも感じさせたのです。思いはいつも言葉より先にあった時代だったのでしょう。あるいは、思いを伝えるには言葉がいつも足りない時代だったのでしょうか。
このような二人の恋愛の行く末が8ヵ国の恋愛学者による「BLIND」調査委員会のレポートで綴られていくのがこの小説の主旋律です。二人の恋愛だけではなく、それぞれの生活、家族の歴史、仕事の背景も追ったレポートです。しかもレポートごとに報告書のスタイルが異なり、徹の一人称で報告されたものや、客観的なスタイルで、20年前の世界を理解してもらうための注釈まで付けたものなどが交互に綴られていきます。微妙な解釈のズレ、勘違いだらけのこの注釈にはいとうさんのユーモアセンスがあふれています。
この二人の恋愛事例のレポートが主旋律だとすると、副旋律としてもう一つの〝老いらくの恋〟(もはや死語……)が奏でられます。それはこの会議に招かれた恋愛詩人であり、古今東西の恋愛詩を収集しているカシム・ユルマズと、戦後すぐの日本(神戸)で共に過ごした思い出を持つ島橋百合子との再会から始まるものでした。副旋律は多くの恋愛作品でも使われてきた往復書簡(2001年ですから往復メール!)のスタイルで語られていきます。
この副旋律は悲劇を持って突然の終わりを告げます。ニューヨークから百合子の待つ西海岸へ向かう予定だったカシムはどうやら2001年9月11日(アメリカ同時多発テロ事件)に巻きこまれ、帰らぬ人となったらしい……。
主旋律の二人の上にもさまざまなことが降りかかってきます。
プッシュ音と声との会話を続ける中、いつしか二人は会う約束をかわします。けれどなぜか美和は徹から「見られること」を拒否するのです。徹は彼女を気づかい、彼女を「見ない」という約束をします。目を閉じたままのデート、文字通りの「blind date」を重ねる二人。それは二人にとってなにものにもかえがたい時間でした。ところがある日の美和とのデートの最中に徹の目に驚くべき変化が起きます……。
二人に運命の日がやってきます。それは1995年1月16日のことでした。遊園地に集まってきた徹の同僚たち。その上、二人の恋愛に反対する美和の姉までも現れました。時間を追うレポートからは二人の苦しい息づかいが聞こえてくるようです。徹は美和を見られるのでしょうか。会議が選んだ「二十世紀最高の恋愛」の最高賞の全貌が明らかになります。
ドタバタ映画を見ているような遊園地騒動、そこに出現する幽霊、18世紀ロマン主義(?)を思わせるような美和の家庭の話。哄笑するようなエピソードの後にくる哀しみともいえる味わい、あたかも恋愛の全体小説とも呼べるような長編傑作です。この小説は、靄が掛かっているようにその実体がつかめなくなった現在の恋愛事情を背景にした恋愛(小説)のパスティーシュとパロディーのようです。そして同時にかつて存在した恋愛へのオマージュでもあるかのようにも思えてきます。
もう一つ、主旋律の運命の日は阪神淡路大震災の前日だったことも思い合わせるべきだと思います。副旋律の2001年9月11日とともに、いとうさんの小説世界にとって、〝時間の持つ意味〟がとても重いということがこの小説でもうかがえます。恋愛だけではありません。人間のなにかが大きくかわる運命の日、この小説はそれをめぐる物語でもあるのです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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