──かつて子どもだったあなたと少年少女のための──
2003年、このテーマのもとに講談社が創設したレーベルが「ミステリーランド」だった。このキャッチフレーズからもわかるように、ミステリーランドは〝一応〟はジュブナイル・レーベルだったと言ってもいい。〝一応〟は、と強調した理由は、刊行されたすべての小説が子供向けかと言われたら、そうでもなかったからだ。大人でなければ理解できないような作品、中には大人であっても容易には理解しかねるような作品が刊行されたのがミステリーランドだった。
とりわけ後者の性格が色濃かったのが、麻耶雄嵩の『神様ゲーム』だろう。「このミステリーがすごい!」(宝島社)と「本格ミステリ・ベスト10」(原書房)でそれぞれ5位にランクインしたことからもわかるように、大人からも(というより大人からの)評価が高かった。
そんな本作の語り手である芳雄(よしお)は、神降市(かみふりし)で暮らす小学四年生。浜田探偵団の一員であり、同級生の山添ミチルに想いを寄せている。その一方で、神降市では「連続猫殺し事件」が勃発。ミチルの愛猫も殺されてしまうが、犯人は一向に捕まらない。しかしある日、芳雄は意外な形で犯人の正体を知ることになる。トイレの掃除中に、転校生の鈴木太郎が教えてくれたのだ。
鈴木は推理によって犯人を言い当てたのではなかった。彼はただ知っていたのだ。その人物が犯人なのだ、と。なぜ知っていたのかというと、万能の「神様」だからだ。もちろん、本物の神様なのか自称・神なのか、芳雄には判断がつかない。初めは芳雄も真に受けてはいなかったが、鈴木の話には奇妙な説得力があり、実際、彼が犯人だと指摘した人物は実在したのだった。
かくして、芳雄が所属する浜田探偵団のメンバーたちは、猫殺しの犯人を追い詰めてゆく──で終わっていれば、神を名乗る謎の少年・鈴木を名探偵役に据えたジュブナイル小説として評価されていたかもしれない。それはそれで面白かったろう。しかし、著者は本作をそんな安易な展開には持って行かなかった。
およそ物語が半分を過ぎた頃、今度は人が殺されてしまう。このままでは犯人が逃げおおせてしまうのではないか。そう考えた芳雄が頼ったのが「神様」だった。鈴木は万能の神なので「天誅」を下すことがきでる。もちろん本人がそう言っているだけなので本当かどうかはわからないが、少なくとも芳雄は信じた。ほどなく、神様が天誅を実行する。芳雄がそう確信するような出来事が起こる──もしも物語がここで終わっていれば、ダークファンタジー的な要素を持つ本格ミステリとして、それはそれで評価されていたかもしれない。
だが、この作品にはここからさらに先がある。物語はやがて、あまりにも衝撃的なラストを迎えるのだが、実を言うと、それでもまだ終わらないのだ。ラストを迎えるのに終わらない、というのは明らかに矛盾した表現だが、真実そうなのだから仕方がない。
『神様ゲーム』という作品は、一度、最後のページまで読み終えてようやく〝折り返し〟地点。詳細は書けないが、本作を読み終えた読者の方にはそれがどういうことなのか理解してもらえると思う。ちなみに、その折り返し地点に到達した僕は、電撃的なラストの余韻に指先を操られるようにして、冒頭からページをめくり直していた。
もっとも、本作の読後感は決して良いとは言えないため、その折り返し地点で本を閉じてしまう読者も少なからず存在するだろう。間違っても万人受けはしない。『神様ゲーム』はそんな小説だ。でも、それでも、紛れもない傑作である。
ときどき、そんな作品に出会ってしまう。心をえぐり取られていくような、もはや唖然とするしかないような作品に。そして出会ったが最後、おそらくは死ぬまで忘れることはできない。そんなものはもう、ほとんど呪いに等しい。そしてそれが本作の傑作たるゆえんでもある。呪いのように、人の心に深々と入り込んできて離れてくれない小説など、そうそうありはしないのだから──。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。