コミュニケーションが苦手、人の顔や目を見て話ができない、読み書きが苦手……。こうした特徴は、近年は発達障害としてよく知られるようになったが、実はこれらは誰にでもある、ちょっとした性格のひとつ。多かれ少なかれみながもっているので、自閉症やアスペルガー症候群の正式名称「自閉症スペクトラム障害」から分かるように、発達障害全体を連続体(スペクトラム)と言うのである。
この発達障害では、脳が発達する過程で視覚がうまく形成されなかったことにより、そのほかの感覚器の形成に影響が出て知覚に歪みが出るのが分かってきている。今日は発達障害の知覚認知について、ブルーバックス『発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ』を教科書に見ていこう。
音に超絶的に敏感で雑音をシャットアウトしづらい
発達障害者による体験談は、部外者からはうかがい知ることのできない世界を教えてくれる。自閉症では、ドナ・ウィリアムズ(1963年オーストリア生まれ)やテンプル・グランディン(1947年アメリカ生まれ)など、自分の過ごしてきた世界を雄弁に語った著作がある。
ウェブを検索すると、自閉症の感覚世界を疑似体験できる映像がたくさんある。一般社会に向けて、より多くの人に感覚レベルのちがいを理解してもらうためのものだ。
実際に映像を体験すると、まず、そのざわめきの大きさに驚かされる。突然現れる雑音が、とても大きく感じられる。思わず、耳をふさぎたくなる。それとは反対に、人の声を聞き取ることが難しい。映像を観ていると、自閉症の子どもたちがどうして特異な行動をとるのかがよくわかる気がする。大きい音にパニックになったり、人の話し声が気になって人と距離を置いて座っていたり……。彼らの置かれている切迫した状況が伝わってくる。
ウィリアムズにとって、人の声は寄せては返す波のように聞こえ、言葉の内容まで注意がまわらなかったと回想している。話しかけても返事をしないため、耳が聞こえないのではと家族は心配し、子どもの頃に聴覚検査に行っている。検査の結果、動物にしかとらえられない周波数の音まで聞き取れるほど、音に敏感であることがわかったという。
グランディンによると、環境音をシャットアウトすることが難しく、特にショッピングセンターは苦手で、空港の騒音の中では電話で会話することができなかったようだ。人の声が耳に届かない一方で、一般の人にとって不快な音に異常に反応してしまうようだ。これは、感覚の歪みから生じるものなのかもしれない。
ウィリアムズは金属同士が触れる音が心地よく感じ、呼び鈴の音を繰り返し鳴らしていたという。特定の対象にこだわり続けるこうした感覚遊びは、情報過多をシャットアウトするひとつの手段ともいえる。健常者はさまざまな雑音を、意識に上る手前で自動的にシャットアウトしている。自閉症者はこの自動的なシャットアウトができないため、あらゆる雑音が意識化されてしまうのであろう。そのため、集中すべきときに集中できない状況に陥っているのだ。
人の声を聞き取りづらいため会話の語感が掴めない
反対に、聞き取りにくい音もあるらしい。それは特に、人の声である。
人の声を識別する能力の萌芽は、胎児までさかのぼる。人の声のもつ音響学的な特性は、胎児の段階から優先的に聞き取られている。さらにその学習も早く、出生時にはあらゆる言語の母音や子音を聞き分けられる能力をもつものの、生後10ヵ月になると母国語だけに限られるようになる。母国語だけに絞って、より繊細な聞き取り能力を獲得していく。このように生まれたときから非常に高い、音声認識能力をもつのがヒトの特徴だ。こうして、人の声を優先的に処理することができるようになる。
こうした聞き分けを自動的にできないと、教室の外の騒音や周囲のざわめきが、先生の声と同じレベルで耳に入ってきてしまう。そのため先生の声に集中することができない、人の声が聞き取れないといった状況となり、一般にいわれる自閉症特有の症状、「言葉の遅れ」につながる。
言葉の獲得が遅れる反面、外国語の獲得に突出した能力を示す者もいる。発達障害者の中には、耳にしただけの外国語を器用にしゃべることができたり、一度聴いた外国語の歌をそらで歌ったりする。理由はまだ明らかにはなっていないものの、言語というフィルターを通じて音を聞いていないことが、この能力の背後にある。聞きなれた母国語と聞きなれない外国語という区別なく、音として、聴いたまま口にできるのかもしれない。
また、音の高低の聞き分けができないので、聞きたい音の成分を抜き出すことも難しい。音の高さがわからないと、会話の語感がわからないため、怒られているかどうかなどのニュアンスが伝わらないことになる。実際に自閉症者は、どこが強調されているかがわからず、会話の微妙なニュアンスに気づけないのだ。
聞こえ方の障害は、話し方にも影響する。自閉症者の話し方の特徴に、滑舌のよさがある。日本では強弱のない単調で機械的な話し方がよく見られるが、これが欧米にいくと全く逆で、強弱の強いオーバーな話し方になるという。ウィリアムズもどこか芝居がかった話し方をして、同じような話し方を維持することが難しいのだという。
特徴的な行動は過敏な視覚を補うためのもの
発達障害者は瞬きを頻繁にしたり、片目だけで見る行動をとることがあるが、これらは感覚過敏に基づいている可能性がある。発達障害者によると、こうした行動は気分を落ち着かせるのだという。つまりこれらの行動は、過敏すぎる視覚を無意識にコントロールしていることになるのだ。
たとえば、蛍光灯の60サイクルの点滅が、いちいち見えてしまうという。無視できないことが、苦痛となっているのだ。1970年代の研究によると、蛍光灯が自閉症に特異的な反応である常同行動を引き起こすことが報告されている。
中には蛍光灯の点滅が、ディスコのミラーボールの点滅のように感じると話す者もいる。これはディスレクシアの一部であるアーレンシンドロームと呼ばれる症状の可能性が高いかもしれない。
ディスレクシアとは、知的機能には問題はないものの、よみ書きだけができない症状をさす。表記と発音が一致しないため、英語圏での発生率が特に高いといわれ、複数の著名人が自身のディスレクシアを表明している。俳優のトム・クルーズも、その1人だ。よみ書きが困難という点でディスレクシアという名称で一括されるが、視覚的な問題に起因する場合と聴覚的な問題に起因する場合に大きく分けられる。視覚的な問題に起因する場合、文章をよんでいる途中で、本の中のどこをよんでいるかがわからなくなる。視力は悪くないにもかかわらず、よんだ場所がわからなくなるのだ。ところが、文章を音声に変換すれば正しく聞き取って理解することができるようになる。
アーレンシンドロームでは、特定の色の色眼鏡をかけると、文章が正しくよめるようになる。眼鏡と同じ色の透明シートを紙の上に置くだけでも、よみは改善される。詳細なメカニズムはわかっていないが、何もないときに文章をよもうとすると、文字がぼやけたり揺らいで見えていたのが、色のついた透明シートを置くことによって、文字が静止して見えるようになるというのだ。ちなみに蛍光灯が点滅して見えたと主張したアーレンシンドロームの当事者も、カラー付きのレンズをつけると問題はなくなったという。
脳の発達と発達障害
通常、受けた損傷によって障害は固定される。リハビリで回復したとしても、問題が軽減されるだけで、その根本は変わらない。たとえば言語にかかわる脳の部位を事故で損傷すると、リハビリで言語障害は軽減するし、その後に別の障害が生じることはない。
それと比べると発達障害とは、刻々と変化するのが最大の特徴だ。リハビリによって壊れた脳は再び作り替えられるが、発達初期の脳はより柔軟で多様な変化を見せるので、発達上の障害は、その状態が一貫しないのである。
発達障害の診断が難しい理由が、ここにある。発達初期にその兆候らしきものが見えたとしても、そこで診断が決定できないからだ。多様な発達の中には、その速度が単に遅れているだけの場合もある。たとえば平均的な言葉の発現が2歳半から3歳にあるとすると、それまで発達障害の兆候が見られ発達の遅れが疑われていたのに、最後の半年で急速に発達して追いつく事例が数多くあるそうだ。
シナプスは生まれてから8ヵ月まで急峻な発達を見せる。胎内から外に出て、新しい環境に合わせた急速な学習を行うことにより、シナプスは爆発的に増加するからだ。その後、シナプスの数は減り続ける。「刈り込み」と呼ばれる状態だ。8ヵ月までは神経細胞同士の結合が大量に増加するのに対し、その後は不要な結合を減らし、より能率的な結びつきになるように、神経細胞の活動の頻度や細胞同士の連携の頻度の多さなどから状態を変化させていく。結果、より遠くの神経細胞同士の連携も進み、トップダウンな思考(全体を見わたせる能力)の獲得を可能にしていく。ところが発達障害者では、健常者に比べこの能率化が遅れたり、うまく進まなかったりするようなのだ。
自閉症児は刈り込みが少なく、多くのシナプスをもち続けるのではないかといわれている。脳の構造を調べた研究によれば、2歳の時点で、自閉症児の脳の容量が大きいというデータもある。それは前頭葉や側頭葉に特に顕著だという。
発達障害を理解するために
発達障害の知覚認知の例を見てきたが、いかがだろうか。
ブルーバックス『発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ』では、ASD(自閉症スペクトラム障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ディスレクシアなど、これまで社会性の障害といわれてきた発達障害の原因を、近年の脳科学と認知科学からわかった成果を基に説明している。発達障害と診断された人たちは、脳が発達する過程で視覚がうまく発達しなかったことにより、視力や聴力が極端に敏感で、人と同じものを見たりしてもまったく違う世界と受け止めているだけなのかもしれない。そうした発達障害の素顔に迫るのが本書である。
現代社会の中では、発達障害は特殊な問題ではない。中でも自閉症においては、同じ傾向をもつ人々はすそ野を広げ、社会の中でひとつの個性となりつつある。学校や会社で、少々変わった人はいないだろうか。彼らは認知の基本であるモノの見え方や聞こえ方が平均的な人たちとちがうだけで、コミュニケーションのすれちがいが生じ、社会性がないというレッテルを貼られることになる。じつは私たちのごくごく身近に、こうした素因をもつ人々は存在するのである。
小児医療の進展に伴い、発達障害と診断されるケースは増加傾向にある。こうした状況の中で人々は、さまざまな個性を受け入れていかねばならない。そのためにも、発達障害の認知の特殊性を理解する必要があるのだ。
『発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ』の著者である山口真美氏は、乳幼児の心と脳の発達を研究する心理学者であり、実験でさまざまな赤ちゃんを見てきた。「うちの子は自閉症ではないか」と心配して研究室の門を叩く母親も多いという。本書では、乳幼児のこれまでの実験や研究で分かってきたことや、脳の発達の段階、果ては虐待などによる外部環境が脳に障害をおよぼすケースなど、さまざまな例を用いて詳しく分かりやすく綴っている。発達障害を理解するのに最適な1冊となることだろう。